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まだまだわからん石見銀山 第40話 人材としての大久保長安

 大久保長安がどのような性格だったのか、筆者にはもちろんわかりません。「天下に並びなき奢り者」と言われた面があったり多くの女性を抱えたりというネガティブな話もある一方で、縁者や配下に細かな心配りを見せるところがあって、その人格はなかなか的確に捉えることが難しい人物でしょう。しかし、彼が政敵を持ったとか策略、謀略によって出世したとの話は聞いたことがありません。筆者には「英雄色を好む」以上に、彼にどこか人間味と庶民性を感じます。

 

 ただ少しやりすぎの面もありました。たとえば、子息や娘を婚姻によって諸大名とつながらせ姻族関係を結ぶとか、生前に自分の墓(逆修墓)を造らせるとか、自分の名を冠した菩提寺(大安寺)を石見、佐渡に建立するとか。これらが晩年に家康から警戒心を抱かせることにつながりました。

      大久保長安墓所の紀功碑と逆修墓(大森町)

 

 その一方、彼の能力面では何か卓越したものがありました。前話で彼の行政能力の一端を紹介しましたが、そのほかの能力面をまとめれば次のようになると思います。

 

  1.鉱山知識などで驚くほどの博識を持ち、それに基づいて細かで的確な指示ができた。

 2.戦場で勇猛に斬り合う前線型武闘派ではなく、兵站や民政を担当できる有能な後方事務官僚型武将。

 3.新たな制度を考え出すことのできる能力。アイデアマン。既存のやり方にとらわれないこと、これも優れた能力に含まれ  るのかも知れません。石見銀山では、山師に対する新たな運上(納税)方式の創設や「御直山」という幕府直轄の間歩経営制度を導入し、銀の採掘に画期をもたらしました。

 4.人をうまく使うという面での天才。細やかな心遣いなどによって人を掌握する能力があった。また身分や出身にとらわれ 

に人材配置ができる柔軟な思想を持った人物。奉行という高い地位にありながら直接山師に接したと言われます(村上氏の言われる、猿楽衆という身分から来た長安の「庶民性」)。これも彼の優れた能力に含めることができるでしょう。

 

そういう人材を発掘し重用した家康も見事だといえます。(Ng)

| ガイドつれづれ日誌 | 00:25 | comments(2) | - |
遠くからのお客さまも少しずつ

 県を越えての移動の自粛が解除されてから一週間経ちました。銀山へも、近隣の中国5県だけでなく、東京や静岡、福岡など、遠方からのお客様が少しずつお出でです。中には、ご自分から、「感染者の多い県からでごめんなさいね。」とおっしゃる方がいらっしゃいます。「いえいえ。大変でしたね。ようこそいらっしゃいました。マスク着用や距離を空けてのご案内等コロナ対策に留意してガイドします。楽しんで帰っていただけるよう願っています。」 と、気を遣われなくても大丈夫ですよと安心していただけるようお迎えしています。 

  まだまだコロナ感染が確実におさまったわけではないので、お出でのお客様も、迎える私たちも、共に今まで以上にコロナ対策に心して気をゆるめず過ごししたいと思います。 

 

  この約半年間、冬から春へ、初夏へと移り行く自然の美しさを見ていただけなくてとても残念な思いをしてきました。「○○○○がきれいですよ。来てください。」とやっと言えるようになってきたことが嬉しいです。まだまだ油断は禁物ですが、お客様のお出でをお待ちしています。

 

       ようこそいらっしゃいました

 

                    (М)

 

| ガイドつれづれ日誌 | 00:05 | comments(0) | - |
昨日と違うところ

 最近の話題の中で、「物覚えが悪くなった。今、言ったことを忘れた。」そんなお話しがよくあります。

 銀山ガイドの会もご多忙にもれず、頻繁に会話の中に「また、忘れた!」がでてきます。(笑)

 

 代わり映えのしない毎日を送ることは、脳に対してマイナスということは誰もが知っています。新鮮な刺激こそが、脳の成長を促すからです。しかし、実際には昨日とまったく同じ一日ということはありえません。

 要するに、大きな変化にしか気づけないのが問題と言うことです。小さな変化には気づくことができない、もしくは、小さな変化では新鮮味を味わえないことが問題なのです。

 

小さな変化、きょうは「空の顏」の雲をあげてみました。

 

   先日の日曜日・大田市の浮雲、空の顏です。

 

       三瓶山から見た空の顏です。

 

 ほとんど気づけないような小さな変化を発見することも、脳のトレーニングになります。浮雲は毎日変わります。背後の空も青色、灰色、黄金色と一つとして同じものはないから刺激になります。感性に富んだ心を持つようにすればいいのです。

 白くなった頭を単なる「白い毛」、或いは「素敵なロマンスグレー」と捉えるかで、脳の活性に違いが出てくると思います。

 

 毎日顔を合わせる人を観察して、昨日と違うところを探して見るのも良いかもしれません。もちろん、じっくりと相手を見つめるのは失礼になってしまいます。異性の場合だったら誤解を受けますから注意が必要です。^^

 パッ!と見ただけで違いを発見するのがベストかも知れません。

 能の活性化のために、小さな変化、昨日との違いが発見できるようになったらいいなと思います。 文 責(T)

  

 

 大田市の日曜日の海です。日本海に浮かぶ夕陽は本当に綺麗ですね。

| ガイドつれづれ日誌 | 00:00 | comments(0) | - |
日本遺産

「我が国の文化・伝統を語るストーリー」日本遺産に、今回、大田市の「石見の火山が伝える悠久の歴史〜"縄文の森""銀(しろがね)の山"と出逢える旅へ〜」が認定されました。

昔、大田市では、三瓶山や大江高山火山群が活発に活動していた時期がありました。その活動によって「三瓶小豆原埋没林」、「石見銀山」などが生まれました。

 

 

大田市では、昨年の「石見神楽」に続いての日本遺産認定です。

石見銀山は、世界遺産に加えて日本遺産ということにもなったわけです。

全国で104、島根県では7つの日本遺産が認定されています。日本遺産は当初、100を認定すると言っていましたので、今年で104になり、来年以後どうなるのか注目されます。

 

 

お客様をご案内するとき、筆者は、必ずと言っていいほど、「三瓶小豆原埋没林公園」を紹介して、来訪されるようおすすめしています。

今回の日本遺産認定を機に、石見銀山と三瓶小豆原埋没林公園をセットで周遊できるよう本格的に取り組んでほしいです。(A)

 

| ガイドつれづれ日誌 | 07:09 | comments(1) | - |
まだまだわからん石見銀山 第39話 大久保長安の行政能力

 大久保長安にはいろいろな事績があります。石見銀山や佐渡金銀山、伊豆金山で大きな功績を残したことが有名ですが、筆者は彼の行政能力についても高い関心を持っています。具体的に何をしたのか筆者が理解できている訳ではありませんが、その後の家康から受けた処遇から察すると、成功裡に成し遂げたのだなと思います。

           大久保長安像

 

 その一つ二つを紹介しますと、まず1582年(天正10)武田家の蔵前衆(代官に相当する在地支配職)だった長安は武田氏が滅亡した後、家康に召し抱えられて甲斐の民政担当となっています。いわば武田家の遺臣として戦後処理を命ぜられ適格に遂行しています。これは敗戦処理ですので、決して容易なことではなかったと思います。

 

 もう一つは、それから8年後の1590年(天正18)今度は家康の関東入国に従って関東代官頭(の一人)となっています。これも難しい仕事だったと思います。検地を成功させたことが後の記録に残る訳ですが、大名の入国とはそれまでいた領主の所領を取り上げて、今度は入国に付き添った家臣にそれをうまく配分するという仕事(いわゆる「関八州の知行割」)を伴ないます。取り上げられる側、新たに「あてがわれる」側とも、当事者には生死とその後の命運がかかっています。配分される領地の場所、配分割合など利害が真っ向から対立して、おそらくそれを指揮した長安は関係者から大きな恨みをかっただろうことは容易に想像できます。もちろん長安だけでやったのではありませんが、彼はその実行責任者の一人でした。

 

 それやこれやをうまく処理したが故に、1601年(慶長6)石見銀山の支配を任され、更には1603年(慶長8)には佐渡金銀山の支配を加えられた。そして、同年従五位下石見守に任ぜられたのだと思います。(Ng)

| ガイドつれづれ日誌 | 00:19 | comments(1) | - |
シルバーラッシュは何故起きたP-14

☆銀山を領有するってどういう事?☆

 石見銀山を訪れるお客様には、大内、尼子、毛利等戦国大名が石見銀山を掌握すると、産出する銀はほとんど領主の元に入ると思っておられる方が少なくありません。しかしそれでは銀など採取しても意味がなく誰もそんな苦労はしたくないでしょう。

16世紀後期石見銀山を領有していた「毛利元就」

 銀山を領有すると云う事は、言い換えれば税の徴収権を得たと云う事です。しかし考えてください、顔も見たことのない領主が税を納入しろと云っても誰もはいそうですかとは行かないでしょう。そこで領主は地元の有力者に何某かの位を与え(箔をつけ)彼らに税の徴収をさせるのです。つまり代官(文字通り代わりの官)と云う事です。この方式は17世紀に徐々に近世の代官制度に移行したのです。徳川創成期に活躍した「大久保長安」をはじめとした4名の代官頭は、こうした地方の小代官を束ねていたのですね。それが徐々に近世型の幕臣による官僚型代官制度に移行していったのです。

 延べ59名の奉行・代官で治められた石見銀山領は9番目までが奉行、10番目から代官によって治められましたが、これは銀の生産量が落ち込み代官に格下げ云々ではなく、徳川幕府の制度改革によるものとみる方が的を得ています。

写真上は銀山役人宗岡家座敷

写真下は、江戸時代初期活躍した「吉岡出雲」の墓(旧極楽寺)

 徳川初期に大活躍をした石見銀山地役人の吉岡出雲や宗岡佐渡は、徳川以前は(毛利時代)銀山6人衆で広島毛利に収める税の徴収請負人でした。つまり広島毛利の石見銀山担当者は、吉岡等銀山の代表者に対して、今年はいくらの銀を納めなさいと指示するのです。と云う事は江戸期と違い、毛利家では、石見銀山で生産される銀の量は把握していなかったようです。

 この中世型の税の徴収方式は不正が行われることが多く、17世紀に徐々に近世型の税の徴収に変わっていったのです。

 大久保長安をはじめとした徳川創成期の4人の代官頭が次々と失脚していったのは、旧体制から新体制への過程の出来事と見る方が的を得ているように思えます。

 実は、石見銀山は、現地にいろいろ施設が残されているだけではなく、たくさんの文書もあり、江戸期における中央(徳川政権)の政策が地方にどのように伝わってゆく様がよく残されていて、学術的にも大変重要な世界遺産なのです。石見銀山資料館をはじめとした各部門で今も地道な解明がなされている地域と云えると思います。(銀爺)

https://www.facebook.com/iwamiginzanshiryoukan/

石見銀山資料館

| 銀山 むかし語りいま語り | 00:13 | comments(0) | - |
大森町文化財保存会の広報誌

初めに大森町の最近の話題から。

 

 

観世音寺のお地蔵さん。マスクをかけられて、恥ずかしくて、石像だけに「せきめん」されているとか・・・・。

 

 

群言堂恒例の田植えが17日(水)に行われていました。

 

 

きれいに植えられています。

 

さて本題ですが、大森町文化財保存会が発行されていた広報誌を見せていただきました。

龍源寺間歩など14か所が国史跡指定を受けた年(1969年・昭和44年)に、第1号が出されています。

1・3・4・6・8号を見せていただきました。

 

 

第1号では、高橋宣光大森町文化財保存会会長が、国史跡指定以外の大森町の文化財(辻が花染め胴服、清則刀)について紹介されています。

大森小学校の高見如一校長は、この年から大森小学校で始まった石見銀山遺跡愛護少年団について寄稿されています。

また、勝源寺の住職は、勝源寺の沿革について書かれています。その中で、勝源寺は、創立建立ではなく、それまであった寺を中興再建したと古文書などから明らかにしておられます。

その際の大檀那は初代奉行大久保長安で、二代奉行竹村丹後は、石見銀山東照宮を造立したとされています。

 

他の号にも興味深い内容が掲載されていますので、機会を見てご紹介できればと思います。(A)

 

 

| ガイドつれづれ日誌 | 04:23 | comments(0) | - |
まだまだわからん石見銀山 第38話 南蛮人は当地に来たのか

 銀山が開発された戦国時代、石見銀山で産出された銀は、当時の言葉で「南蛮人」(つまりポルトガル人)によって中国「明」に輸出されました。そのポルトガル人は交易のために平戸、長崎、博多には出入りできたけれども、当地には来なかったのではないかというのがこれまでの定説でした。その後日本に来たキリスト教の宣教師も国内に上陸して布教に当たったとされるものの、領主の許可がなければどこにでも行けたのではないと思われていました。

            南蛮人

 

 しかし、研究者の間で史料を解析しているうちに、宣教師以外はどうもそうではなく、石見に来た可能性があることが令和元年(2019)にわかりました。これはスペイン国立文書館に残されていた文献(1587年7月4日付)があって、東京大学の岡美穂子准教授によって確認されたもので、スペイン語で「イワニ国、銀が大量にある。当地にはポルトガル人が来航する」と記されていました。

 

 江戸時代の話ですが、大久保長安もこれら南蛮人と接触があって、その鉱山技術を習得したのではないかという論者がいます。また、これは小説の世界ですが、長安はムスリムであるという極論者まで出ました。筆者には理解できない部分も多いのですが、あの長安のことですから西洋の情報を直接取り込むルートを持っていた可能性は否定できないと思います。

 

 また、江戸時代は厳しいキリシタン禁令政策が布かれた訳で、そのため寺請檀家制度が徹底されたにもかかわらず、銀山の中に秘かに十字架を彫り込んだ墓標や地蔵が発見されています。有名なものは畑口番所付近にあるお地蔵さんで杖に十字架マークが掘られています。また勝源寺に保管されている地蔵にも十字架マークが見られます。キリスト教の宣教師が銀山に来たとは思えませんが、潜伏キリシタンはいたのかもしれません。(Ng)

| ガイドつれづれ日誌 | 00:24 | comments(2) | - |
不要不急老人の戯言(6)

―人種差別問題とアメージンググレース―

 コロナ騒ぎのさなか、アメリカでの一人の黒人男性の死に端を発して、人種差別に対する抗議活動がアメリカだけでなく世界中に広がっています。

つい1週間前には、アメリカのある映画配信会社がマーガレット・ミッチェル原作の「風と共に去りぬ」と同名の映画の配信を中止すると発表しました。南北戦争を背景にしたこの物語の根底には、奴隷制度を正当化しているとの批判が、配信中止の理由だったようです。今、アメリカでは南北戦争で南軍を指揮したリー将軍の像が撤去されたり、南軍の将軍らに因んだ米軍基地の名前を変えようという運動が各地で起こっているようです。

一方、ヨーロッパでは、旧ベルギー領コンゴを支配したベルギー国王の騎馬像が破壊されたり、イギリスでは奴隷商人の像が引き倒されています。ビートルズの地元リバプールでも、ビートルズのナンバーにもなっているペニーレイン(ペニー通り)という名前が奴隷船オーナーであるジェームス・レインに因んだ名前だということで、論議をよんでいます。

18世紀後半のヨーロッパ最大の奴隷貿易港はリバプールでした(奴隷船の世界史、布留川正博著、岩波新書2019)。リバプールの奴隷船の船長としてジョン・ニュートンの名前は、賛美歌「アメージンググレース」の作詞家としてよく知られています。彼は、この歌詞を作った頃には、奴隷貿易を悔い、牧師として奴隷貿易の廃止運動に貢献していたということです。ちなみに「アメージンググレース」には、深い後悔と神への感謝の意味が込められているそうです。クリスチャンでもない日本人の私でも「アメージンググレース」を聴くと、心が洗われるような気持ちになります(とくにホイットニーヒューストンの歌は圧巻です)。まして人種差別が今もって続いているアメリカでは「アメージンググレース」の歌は、特別な意味を持っているにちがいありません。

大航海時代から近代にいたる歴史のなかで、国際通貨としての銀が燦然と輝いていた裏側では、身を切れば真っ赤な血が流れる黒人奴隷の存在があったことをしみじみ思う今日この頃です(O)

 

Good ニュース があります!

6月7日(日)付けの朝日歌壇に、Aさんの短歌がまたまた選ばれました。おめでとうございます。この調子でますます頑張って下さい。

朝食は我が家の茱萸(ぐみ)と決め込んで猿の家族の今年も来たる(高野公彦選)

 

| ガイドつれづれ日誌 | 01:20 | comments(0) | - |
みどりの森

 石見の森をご紹介しましょう。日本の山の景色を捉えて青い山脈、青い森と呼んでいます。色彩からみて明らかに緑色ですが、そう呼ばれています。その理由は江戸時代に遡ります。

 

 江戸時代は、緑という言葉や表現が無かったことに由来します。青も緑も、み〜んな同じ青として捉えていました。その名残りから青い山脈、青い森と言われてきたようです。慣れ親しんだ私たちは、その言い方が響きよく伝わってきます。

 

         カラマツの森

 

         クマシデの森

 

         イヌシデの森

 

 このモスグリーンは、記憶に残る石見地方の森です。

 

 生活に密着した道路信号機をご覧ください。緑っぽいものも青として表現しています。これも江戸時代からの名残りではないでしょうか。そして、青は言いやすく、青い空と重なる自然の総称でもあります。   文 責(T)

 

 

 

(番外偏)

 昨日も当ブログでご紹介していますが、本日が応募締め切りの「ガイドの撮った石見銀山写真展」。当ブログの担当(A)さんには劣りますが、写真展に向けて、この一年間に撮影したものです。(撮影場所は大田市内です)

        夕暮れの仁万漁港

         百子島 と 燈台

         青き三瓶の山

    カキツバタ と ピンクパンサーの人

        春のお客さま 

            (写真展など展示のご了解は頂いております。)

     仲良しこよしアベマキと手摺り

 

 

 

 

 

 

| ガイドつれづれ日誌 | 00:00 | comments(0) | - |
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