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キリシタン大名とその領民

 五野井隆史教授(キリシタン史)によれば、ザビエルが来日してから徳川幕府が禁教令を発するまでの間に、キリシタン大名の数は全国で72名にものぼったということです。この中には、大名というより地方の中小領主が含まれますが、それにしても多いですね。「高山右近」という小説を書いた加賀乙彦さんによれば、キリシタン大名といわれたそのほとんどは、宣教師に南蛮貿易の仲介を頼みたいという別な目的で入信したということです。布教と貿易をセットにしたことで、平戸(松浦氏)、長崎(大村氏)、府内(大友氏)などキリシタン大名が支配する港では、日本からの銀と外国からの鉄砲や生糸、絹織物などを交換するいわゆる南蛮貿易でおおいに栄えたということです。ところが、豊臣秀吉がバテレン追放令(1587)を出した後、多くのキリシタン大名が棄教するとともに、領内のキリスト教徒に対し残酷な迫害を開始しました。キリシタン大名は身の安全を図るために、さっさと棄教するのはいいのかもしれませんが、キリスト教に心から帰依していた領民が取り残され、長い苦しみの時代が始まりました。

 当時ピーク時のキリスト教徒の数は、人口比にしたら現在以上に多かったといわれています。それにしてもなぜこんなにキリスト教徒が増えたのでしょうか。大名の号令一下があったにしても、例えば大村忠純のように自領にある寺社仏閣を一斉に焼き払ったという過激なキリシタン大名もいましたが、領民が仏教からそう簡単にキリスト教に変えられるものであろうか、というのが筆者の疑問でした。最近、沖浦和光著「宣教師ザビエルと被差別民」(筑摩選書)を読んでいて、当時の時代背景とその理由の一部が分かったような気がします(O)。つづく。

| ガイドつれづれ日誌 | 02:40 | comments(1) | trackbacks(0) |
「大国」の地名の由来

 石見銀山の大森町のとなりに、「大国」という地名の町があります。現在の大田市仁摩町大国(旧大国村)で、面積は約15.1キロ平方メートルで市内でもかなりの大きさを誇ります。

 江戸時代の「大国」は石見銀山御料内(天領)でした。明治には「大国」の柑子谷で、石見銀山の大森鉱山として、銅採掘の近代的な開発を始めたところでもあります。

 

 その「大国」の中市には、出雲大社と同じ大国主命を祀る「八千矛山・大国主神社」があります。

 太古のむかし、高麗の地からお帰りの大国主命が、宅野の韓島に上陸されて、国見ご巡回の道すがら、この「大国の里」にお立ち寄りになりました。

 命はしばらく当地に滞在され、「御子森(みこもり)」の窟(いわや)で古代信仰をなされ、奥地に住む賊を平定されました。その折の戦の場所が「血の原」や「勝池」などの地名で残っています。

 そして、八千矛山に宮所を定められて氏神として祀られたことから、この地を「大国」の地名で呼ぶようになったと言われています。

 

       「みこもり穴」👆

 大国主命がおこもりになったと伝える窟は、大国主神社の境内より百数十メートルほど上の山中にあります。

 

 みこもり穴の入り口には、文久3年(1863)に、ここを訪れた大国隆正翁(津和野藩の国学者)揮毫の石碑が建てられています。👆

 

 この山に まつりたたへん ゆくすえを

   萬代とやいはむ 八千ほこの宮

 

     文久3年 野之口隆正(後に大国隆正と改名)

 

             と石碑に詠われています。

 

      八千矛山・大国主神社

 

 南北朝時代の正平4年(1349)に、足利直冬公が「大国」の宮村の「石見八幡宮」を氏神にするように指示されるまで、大国主神社が「大国」の氏神さんとして祀られていました。

 

 歴史は限りなく史実に近いものから、昔ばなしの空想に近いものまで種々さまざまです。

 「大国」の地名に関わる神話は、史実であるわけではありませんが、この縁起によって地方文化への関心、理解が深まればいいなと思います。      文 責(T)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| ガイドつれづれ日誌 | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
吉岡さんの言葉

12月に入って、一年を振り返ることも多くなります。

1月に、石見銀山ガイドの会の創立メンバーの一人で、大森文化財保存会の会長を長年務められた吉岡寛さんが亡くなられました。

吉岡さんの話しておられたことを折に触れて思い出します。

今回は、「観光について」の吉岡さんの言葉を紹介します。

 

 

沖縄のある村長が話をしてくれました。「観光というのは他の地に行ってその地の文化の光を見るですよ。光を見ることが観光ですよ」って。光っとるのが見えるか見えないか。自分の目を養っておかなければそこに行っても光が見えない。

私たちは大森を観光地にすることはええし、観光もいいと思うけど、観光という意味をはき違えた人もたくさんいる。土産屋をつくって泊まるところをつくって温泉に入って、一杯呑んで手を叩いてはいさいならっていうのは観光のように考えられておるけども、本当の「観光」っていうのはそうじゃない。(NPO法人緑と水の連絡会議「銀のまちをつくった人たちの話」より)

 

 

吉岡さんの言葉から、筆者は、「文化の光」を生み出しているのはその地の人々なのだから、観光というのはその地の人々を見ることだと思うようになりました。だとすれば、観光ガイドは、その地の人々について語ることが求められているのではないかと思えます。(A)

 

| ガイドつれづれ日誌 | 05:28 | comments(2) | trackbacks(0) |
石見銀山街道を歩こう!

江戸時代、牛馬300頭、人足400人で灰吹銀を運んだ銀山街道を歩きませんか。

石見銀山街道日本遺産認定推進協議会(大田市、美郷町、飯南町、三次市、府中市、世羅町、尾道市)主催によるイベントが開催されます。今回は世羅・三島古道約2kmを馬2頭、旅装束10名による復元輸送隊とともに古道歩きます。参加のあなたも蓑傘をかぶり歩きましょう。


 

日本遺産を目指す活動の一環となります。今年最後の挑戦となり日本遺産認定への足掛かりとしましょう。多くの参加でイベントを盛り上げていきましょう。

貴方もこのスタイルで歩こう!

 

開催日時 12月15日 土曜日 午後1時から午後3時迄

集合場所 世羅町東自治センター駐車場

募集人数 80人程度

参加費   一人1000円(保険・資料代として) 中学生以下無料

申込方法 往復ハガキにて、世羅町役場商工観光課

       電話 0847-22-3216

締め切り 12月7日の消印有効

今回は、往復はがきでの申し込みとなっていますのでご注意願います。  (S)

| ガイドつれづれ日誌 | 03:40 | comments(0) | trackbacks(0) |
武士の給料

下級武士の給料は「蔵米取」又は「切米」と言い直轄地からの年貢で賄われます。春4分の1、夏4分の1、冬4分の2の三回に分けて支給されるので「切米」というとか、江戸の蔵前で支給されますが、受け取るのは「札差」という商人です。武家の米を受け取り運搬、一部は換金して届けるのが仕事です。米の換金は米問屋に売り渡され、それが江戸庶民に流れるという、システムです。

 

一方石見銀山ではどうでしょう。勿論札差などは存在しません、代官所で現物支給という事になります。

大森代官所の年間行事を見ると、

1月に地役人の扶持米の支給(使用人手当)

3月に春の切米支給(4分の1

6月に夏の切米支給(4分の1

11月に冬の切米支給(4分の2

12月に勤励手当(ボーナス)の支給

となっていました。

なんと、ボーナスもあったんですね。また、先日紹介した阿部家の7代目「光格」さんの義父(阿部家6代目)は、20才から72才の50年間勤め退職の際には銀5枚の功労金をいただいた由。(銀)

石見銀山・地役人「阿部家」裏庭

| 銀山 むかし語りいま語り | 00:01 | comments(0) | trackbacks(0) |
猫に写真

12月に入りました。

いろんな思いが去来します。

今回は、猫に小判ならぬ猫に写真という話です。

 

石見銀山は今、紅葉がきれいなので写真を撮られる方も多いです。

ガイドの話より紅葉が気になる人もおられます。

龍源寺間歩駐輪場のそばの銀山川に散っている紅葉もきれいなので、筆者もカメラを向けました。

カメラを構えるとすぐに猫が集まってきました。よくお客様たちが猫の写真を撮っておられますので、自分たちの出番とおもったのでしょう。

あまりにもタイミングがいいので、「ハイポーズ」と猫にお願いしましたが、なかなか全員がそろってというわけには行きませんでした。

カメラを構えると寄って来る猫、すごいなあと思った次第です。(A)

| ガイドつれづれ日誌 | 06:27 | comments(1) | trackbacks(0) |
11月も銀山学習などで忙しかったです。

今日で11月も終わり。{

「あといくつ寝るとお正月」 というように今年もひと月残すのみとなりました。

11月、銀山学習、団体ツアーなどでガイドもフル回転で働いたようなひと月でしたね。

写真は深まりゆく石見銀山の紅葉の姿。

今年は綺麗でしたね。

ここの風景が好きです。

お客様から写真を撮りましょうとお誘いあり、ご夫婦をパチリ

 

先日も静岡からのご夫婦を案内しました。会話から歴史に詳しい感じがいたしました。深まりゆく石見銀山の紅葉を楽しみながら、ゆっくりとガイドさせていただきました。お二人ということもあって筆者流の説明で楽しんでいただき、難しい説明は避けてわかりやすく簡潔に話をしつつ話題も加えます。さらに問題形式でのやりとりもします。ずばり当りの返答を貰った時は「すばらしい」とほめたたえてテンションも上げていきます。お客様にも満足感が得られますよね。

 

龍源寺間歩出口で筆者は大江高山火山群の話と鉱床の説明をし、最後に事務所前の鉱石でまとめといたします。そして「銀はどこにありますか」と伺います。「ここです」と黒い筋に指がいきます。説明の総集編です。

しっかりと説明を聞いていただいている成果です。そしてガイドが終わった後、「楽しかったですよ」と声をもらいました。嬉しいですね。ガイドやめられない1日でした。(S)

| ガイドつれづれ日誌 | 03:37 | comments(1) | trackbacks(0) |
エゴマが消えた

 先日、あるテレビ局から放映された”ダメしてガッテン”という番組でエゴマ油の効能が特集されたそうです。ところが、

その翌日には地域の特産物を扱う道の駅やおそらく原料を輸入品でまかなっていると思われるスーパーやドッラグ

ストアの棚からもエゴマ油が忽然と消えてしまったようです。日頃からのエゴマ油愛用者はビックリ、ガックリしているようです。

健康食品として使用する場合、1日の消費量が小さじ1杯程度とされていますので、150g入りの瓶ですと1カ月ももたないと

いうことになります。

 このエゴマブームがいつまで続くか分かりませんが、生産地としては単純に喜ぶわけにはいかないでしょう。エゴマのブランド

として川本町が全国的に有名になりましたが、その主要生産地は昔の石見銀山御料(天領)です。エゴマバブルの反動が

心配です(O)。

| ガイドつれづれ日誌 | 02:16 | comments(0) | trackbacks(0) |
中等教育の先駆者

 郷土にはすごい人がおられるものです。

 大田市仁摩町大国(旧大国村)の篤農家の安井好尚翁は、8年制の大国小学校が廃止され4年制の尋常小学校に代わったことに頭を痛められ、明治19年に島根県の許可を得て、英学を中心とした私立の大国英和学校を開設しました。安井好尚翁39歳のときでした。

 

       安井好尚頌徳碑👆

 仁摩・邑南線(県道31号)沿い、龍巌山(石見城跡)の麓に、安井好尚頌徳碑が建てられています。

 

 資料によると当時としては教育理念が卓越しています。

 国学者・大国隆正翁(津和野藩の国学者)の思想に影響を受けたもので、西洋の学問と日本の学問を併せ学ぶことの重要性を考えてのことだったといいます。

 学ぶ科目には、英語、数学、地理、歴史、教育、科学、物理、経済などの学科を設けています。

 特に英語は、読み方、訳読、綴字、書き取り、文法、会話、作文に分かれ、各学科の教科書も書を使用し、日本史は中国の漢書を教材にしたと資料は紹介しています。

 

 尋常小学校の卒業生や満14歳以上のものを対象に、修業年限は3年間でしたが、更に2年間の選科を設けてありました。

 生徒定員は25名でしたが、最盛期には50名にも及んだと伝えられています。私財を使って開設し、初代の校長を務め、校費のほとんどは自分で負担しました。

 

          勝音寺跡の碑

 創設期の校舎は、今は廃寺となった「勝音寺跡」の境内に建てられ、縦17間、横15間の建物でした。後に大国の川西の宇谷下流付近に移転、さらに宮村の大国小学校龍巌支校の建物を使用しました。

 

 

 大国城跡(山頂に城跡)が残る前方の山の麓👆に「勝音寺跡」の境内の跡地がありますが、そこから英和学校が始まりました。右端に見えるのは龍巌山です。

 

 以上は、仁摩町の文化協会資料(郷土史シリーズ)を参考にして記述しました。その他にも和牛の改良や養蚕事業など、農業振興にも尽くしておられます。

 その当時、この地方にとって英語の普通教育の私立学校は画期的なことでした。英和学校を郷土の若者たちの教育の場として開設し、安井好尚翁は中等教育の先駆けと言える人物でした。

 先日の歴史講座のフィールドワークで改めて知った郷土の偉人でもあります。        文 責(T)

 

 

 

| ガイドつれづれ日誌 | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
元気な高齢者

11月24日、旅行社のツアーで来られたご夫婦が、町並みコースと龍源寺間歩コースに分かれてそれぞれぞれガイド歩かれました。

町並みを歩かれた女性が、間歩から帰ってこられた男性にガッツポーズをして「とってもよかったよ」と自慢されました。すると男性が「こっちもとてもよく説明してもらってよかった」と言い返されていました。元気なご夫婦だなと思いました。

女性は、大森町住民憲章をご覧になって、素敵な言葉に出会えてうれしいので、コピーしてもらえないかといわれましたので、持って帰っていただきました。

 

11月25日、筆者の住んでいる大屋町で文化祭があり、自治会や有志で作った「かかしコンテスト」も行われました。

 圧倒的支持を得て1位に選ばれた「チコちゃん」

 2位に選ばれたスーパーボランティア尾畑さん

大屋町は、人口350人ほどで高齢化率は市内で一番高い町ですが、みなさん元気です。

文化祭にも150人ほどの人が参加されました。

石見銀山ガイドの会も、高齢化率では大屋町を上回っていますが、からだに気を付けて、元気な高齢者として活動していきたいものだと思いました。(A)

 

 

 

| ガイドつれづれ日誌 | 05:20 | comments(1) | trackbacks(0) |
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