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代官は江戸から遠い地方に赴きます。従って目も届きにくく不正の温床になりかねません。8代将軍吉宗の時期口米の改革が行われました。代官は、年貢の他に口米を徴収それが代官所の経費とされていましたが。徴収率は一定しませんでした。代官次第で高額の口米を徴収することもあり不正の温床となる場合もあり享保10年(1725)口米は一度幕府に納め、改めて各代官所に支給されることになりました。また代官の権限は少なく、任期も数年と短いものでした。権限が大きく任期が長いと、不正やパワハラが起こるのは世の常という事なのでしょうね。

向陣屋跡(代官所前駐車場)から見た代官所門長屋

また、八代将軍吉宗が享保8年(17236月施行した、「足高の制」は、能力はあるが禄高の低い者、家柄が低いためにその役職に就けないという不都合を解消、(江戸期役職にはそれなりの禄高の基準がありました)。在職中はその不足分を支給されました。例えば俸禄100俵の者が代官になるとその期間中は50俵の不足分が上乗せされて150俵が支給されます。従来は加増という形でありましたが、幕府の財政が圧迫されるのを解消する意味もあったのでしょうね。石見銀山の場合、調べてみたら延べ59名中三分の一に近い代官様が該当していました。因みに、江戸の代官自宅は在職中には出張所になり代官手代が数名勤務し地方の代官所と江戸の幕府との連絡などをします。そのため自宅の改築もすることになります。(銀)

内側から見た代官所長屋門

| 銀山 むかし語りいま語り | 00:01 | comments(1) | trackbacks(0) |
読み間違えやすい地名

台風25号接近の為、本日の電動カート・ミニバンの運行は中止です。

 

 

石見銀山龍源寺間歩(いわみぎんざんりゅうげんじまぶ)です。

「いしみぎんざんりゅうげんじまぼ」と読まれる人も多いです。

間歩を「かんぽ」と読まれるお客様には、「それだと簡易保険」ですねと笑います。

 

 

豊栄神社(とよさかじんじゃ)も「ほうえいじんじゃ」と読まれることが多いです。

 

最近図書館で「読み間違えやすい全国地名辞典」を見ました。

大田市では

五十猛(いそたけ)、大家(おおえ)、刺鹿(さつか)、三瓶町上山(さんべちょううやま)などが載っていました。

出雲市では、十六島(うっぷるい)、美談(みだみ)、乙立(おったち)、松江市では、秋鹿(あいか)、恵曇(えとも)、魚瀬(おのぜ)などが載っていました。

 

もっとたくさんの人に知れ渡って、「石見銀山」を「いわみぎんざん」と読んでもらえるようになるといいと思います。(A)

| ガイドつれづれ日誌 | 08:40 | comments(0) | trackbacks(0) |
石見銀山に電動カートによる交通実証実験 スタート

   昨日、NHKテレビしまねっとニュースの中で、現在、ワゴン車で行われている交通実証実験(ギンザンライド)に新たに今日より電動カートによる交通実証実験の紹介がありました。

電動カートによる交通実証実験は、国土交通省による補助事業により行われ、身体障がい者、高齢者で石見銀山遺跡の龍源寺間歩まで歩行が困難な観光客等の利便性を図るために5日から15日までの11日間実施されます。

実証実験の概要

仝畫阿4回 銀山公園出発9時、10時、11時、12時の定時による運航です。

午後は3回 銀山公園出発13時30分、14時30分、15時30分

  いずれも龍源寺間歩到着は、20分後。間歩からは当会ガイドがご案内(35分)します。

時速10kmと低速でタブレット端末によるガイド案内

があります。

ワゴン車(向こう側)  電動カート(手前)

 予約の仕方

障がい者手帳所有者のみ事前電話予約可能可能(障がい者優先とするため) 障がい者以外の長距離歩行が困難な方は当日現地受付のみ。 現地受付は出発時間の30分前から石見銀山公園観光案内所横、ベロタクシー待機場所で受付けます。また、出発10分前に駐車場立体模型前に集合してください。

「予約」 ライナス・ワン 株式会社      

               電話 090-4574-2210

     (予約時間 8:30〜18:00)  

石見銀山に来訪の高齢者等の皆様、この機会にぜひ利用し魅力ある石見銀山遺跡の新緑を迎えた銀山路を楽しんでみてはいかがでしょう。(S)

 

| ガイドつれづれ日誌 | 03:32 | comments(0) | trackbacks(0) |
エゴマの効用

 銀山公園から龍源寺間歩に向かう途中、「喫茶やまぶき」の付近でエゴマ上手に作っている方がおられます。周辺の空き地はイノシシによって穴ぼこだらけなっているのに、この畑だけはまったく荒らされている気配はありません。ご主人に伺いますと、イノシシはエゴマの臭いを嫌い、畑に侵入することはないためではないかということでした。エゴマはシソ科の植物ですので、特有の臭いがします。おそらくイノシシはこの臭気を嫌ったのでしょう。健康ブームでエゴマ栽培が全国的に広がっています。そこで、エゴマのイノシシに対する忌避効果をネットで調べてみました。ありました。このテーマに取り組む試験研究機関や現場に応用している集落がけっこうありました。結果をレビュー してみますと、〆惑櫃気譴織┘乾渕体は、イノシシやシカからの食害をのがれることができる、△靴し、畑の周辺部をエゴマで囲っても、中心部に植栽されたソバや大根などの穀物や野菜は被害を受ける、ということのようです。まだ結論が出たわけではありませんが、今後の研究に期待したいと思います。

今、島根県では川本町を中心に耕作放棄地をエゴマの栽培に切り替えるなど、エゴマの栽培が盛んに行われるようになり、特産化に成功しているようです。ガイドの会のメンバーにもエゴマを栽培している方がおられ、これに貢献しています。次回は、エゴマの今健康食品としての効能について述べます(O)。

| ガイドつれづれ日誌 | 02:43 | comments(0) | trackbacks(0) |
「パリの空の下」で

 先日、パリを旅行されたガイドの会の(N)さんに、ガイドの目線での旅行記をお願いしました。

 以下は提出された原文を載せています。(T)

 

『パリの空の下』で

 パリに行ってきました。初めての訪問でした。パリといえば、どういうイメージを持っていますか。

 芸術の都ですか。セーヌの川沿いにたたずむ恋人たち、画家、アコーデオンが奏でるシャンソンの音色、マロニエの並木、・・・・・・。

 私もシャンゼリゼ劇場でフランス国立オーケストラの生演奏を聴きました。素晴らしい体験でした。

 

        シャンゼリゼ通

 

       シャンゼリゼ通の人なみ

 

         ミロのビーナス

 

 しかし、3日間の滞在で見たものはやや泥臭い現実でした。パリの街を一言で表せば、そこは多人種都市であるということです。街にはアフリカ系、アラブ系の移民が多く住み、また観光都市として南北アメリカや東欧、アジアからの観光客であふれています。

 アジア系では中国人と韓国人がたいへん目立ちました。彼らの服装や大きな声からすぐそれと分かります。

 一方、パックツァーで来られたと思われる日本人たちもいくらか見かけました。お揃いのツァーバッジを付け、まとまった集団を形成していて、やや慎ましやかに行動することからこれもすぐ分かりました。

 

          凱 旋 門

 

      凱旋門からエッフェル塔を望む

 

 また、石見銀山ガイドの目から見ると、学習することがいろいろありました。案内地図はまず合格ですが、現場の案内表記には問題を感じました。案内表示の位置、通り名の表示などには残念ながら課題がありました。パリは地下鉄鋼や郊外電車が発達しています。地下鉄には数回乗りました。しかし、案内表示を読み誤って、二度乗り間違いをしました。

 

     土曜日のセーヌ川沿いの人なみ

 

 これからパリに行かれる皆さんへのアドバイスです。盗難に細心の注意が必要ですよ。地下鉄では、日本語で盗難注意の車内アナウンスが流れていました。それだけ日本人の被害者が多いということなのでしょうか。

 それから、地下鉄や路面電車、バスなどを利用する際に現金の使用はダメなことが多いです。    (N)

 

 

 

 

 

| ガイドつれづれ日誌 | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
天空の朝ごはん

9月29日、「天空の朝ごはん in 大森(馬路ディナー)」がありました。

あいにくの雨で、お目当ての夕日、漁火は見ることができませんでしたが、仁万まちづくりセンターで、ディナーと交流を楽しみました。

 

島根和牛のサイコロステーキにワインやノンアルコールビールもあって、ごきげんなディナーになりました。

好きなものを選んで、こういう感じで食べ放題(ベッカライ・コンディトライ ヒダカのパンとズイエントのサラダやソーセージなど)にカリアーリのコーヒー飲み放題ですから、みんな大満足でした。

今回はそれに加えて、ベッカライ・コンディトライ ヒダカの特製シュークリームもデザートにつくというぜいたくさでした。

大田市以外にも、益田市、浜田市、江津市、美郷町、松江市と遠くからの参加者もたくさんおられました。(47人の参加でした)

 

ディナーの後は、星空観察ができなかったので、星空のお話をしていただきあっという間に時間が過ぎていきました。

参加者のみなさんからは、来年もやってほしいという声がたくさん寄せられていました。(A)

| ガイドつれづれ日誌 | 06:06 | comments(0) | trackbacks(0) |
猛暑から一転、涼しい9月に

  猛暑の7・8月に対して9月に入った途端涼しくなり残暑もありませんでした。このところ夜も肌布団では寒いでしょう。筆者は夏蒲団に毛布を使用しています。

 さて、9月、大雨による遊歩道の通行止め、さらには秋雨前線の影響で雨の影響もありお客様の来訪に少しは影響もあったでしょう。しかも度重なる台風の影響もありました。ガイドの会、事業としては16日開催の健康ウオーク温泉津・沖泊道には12名の参加でにぎわったものの、30日の鞆ケ浦道は台風24号の影響で中止となり残念な結果となりました。また、天空の朝ごはんin大森「馬路ディナー」は室内に変更され盛況の中実施されました。参加されたみなさんご苦労様でした。

 

以下の写真は銀山学習でやなしお道の様子

やなしお坂を体験

キノコに恵まれました。

このきのこ食べられるますか・・・教えてください

 

当会の9月活動、銀山学習の申し込みも多く、成果として大田三中のやなしお道、大田二中の大森町界隈での銀山学習にガイドも奮闘、事務所にもにぎやかさが戻ってきています。

いよいよ10月、行楽シーズンを迎えます。天気も回復し今日もガイドに頑張りましょう。(S)

 

| ガイドつれづれ日誌 | 02:48 | comments(0) | trackbacks(0) |
後回しにしないで

お客様に、世界遺産の全容を理解して頂きたいとき、案内板を利用します。

この案内板は、分かりやすくてとてもいいのですが、現在の状況とは違っているものもあります。

現在ないものは、テープで見えないようにしてあります。

ふれあいの森公園の上にテープが貼ってあるのですが、透けて見えます。

ここは、現在、石見銀山世界遺産センターになっています。

石見銀山世界遺産センターができて10年以上たっているのに、案内板にはかかれていないのです。

これまでに何回か取り上げましたが、展望台の案内板もアラビア文字化がさらに進行しています。(10月3日撮影)

町並がこんなにきれいに見えるように木や枝を伐採してもらったのですが、案内板はそのままです。何らかの対応が必要だと思います。

予算がないという声も聞こえてきそうですが、いつも後回しにされていいものかと思います。

おいで下さいというからには、おいでいただいて恥ずかしくないようにするということも必要ではないでしょうか?(A)

| ガイドつれづれ日誌 | 06:08 | comments(0) | trackbacks(0) |
石見銀山第二次シルバーラッシュ

江戸初期、大久保長安が奉行の頃石見銀山は光り輝きました。その中心となったのが「安原伝兵衛」の開発した「釜屋間歩」です。

釜屋間歩

彼の存在が石見銀山で最初に確認できるのは、慶長4年の清水寺の本堂棟札でした。これには毛利輝元が大旦那で、施主に田兵衛(伝兵衛)と伝兵衛の孫の名がある事より。毛利輝元が支配していた頃安原伝兵衛はすでに一族と共に石見銀山に住み、清水寺を建立するほどの有力な山師(鉱山経営者)であったことが分かります。清水寺縁起によると、天正年間(15731592)銀山に来た伝兵衛が日頃より信仰している清水寺の観音様に祈願の「物忌み」を行ったところ満願の朝観音様が現れ「銀の釜」を賜る夢を見た由、そのことを大久保長安に申し出たところ、長安も又同様の夢を見たとか、長安は公費を投じ伝兵衛の釜屋間歩開発を援助結果大量の銀鉱石を掘り出し三千六百貫(13.5t)の運上銀を上納しました。

当時の清水寺跡

旧清水寺跡に取り残されたお地蔵さん

伝兵衛は慶長8年(1603)八月一日(八朔の吉日)伏見城で家康公に拝謁、「備中」という受領名・辻が花胴服・扇子を下賜(かし・身分の高い方から授かる)されました。

清水寺縁起絵

千六百年代後期(元禄年間)釜屋間歩は一族が相続していますがその後別の経営者に所有権は移り、安原一族は石見銀山から姿を消しました。(銀)

| ガイドつれづれ日誌 | 00:01 | comments(0) | trackbacks(0) |
大雨の後

台風24号が接近しています。

被害のないようにと願うばかりです。

どうしてかと思うくらい、今年は、大きな自然災害が続いています。

 

写真は、釜屋間歩前の階段です。

この場所で、先日の大雨の後、大久保間歩ツアーに参加されたお客様が茶碗のかけらのようなものを見つけられました。

石見銀山課の人に見てもらうと「詳しく調べて見ないとわからないが、江戸時代後期〜明治時代のものかもしれない」と言われていました。

同じ場所で、2年前は「寛永通宝」をお客様が見つけられました。

「寛永通宝」は、江戸時代初期から明治時代初期まで使われていますので、どの時代のかを特定するのは難しそうです。

「寛永通宝」と言えば、2か月ほど前、龍源寺間歩手前のこの間歩付近でも、お客様が見つけられました。

いずれも大雨の後のことです。

大雨は災害をもたらしますが、埋もれていたものを洗い出すこともあります。(A)

 

| ガイドつれづれ日誌 | 07:12 | comments(0) | trackbacks(0) |
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