銀の道「尾道ルートを歩く」その4
2011.10.27 Thursday
江戸時代初めの1603年、初代奉行・大久保長安は、灰吹銀を大浦港(大田市五十猛町)から海路を千貫(3.75トン)、陸路を大森〜粕淵〜赤名〜三次〜尾道へ、更に船で大阪〜京都へ千貫送ったと伝えられています。
その後、いつの頃か陸路輸送となり、それは明治まで続きました。
◎大森→4km→〇堂原→4km→〇別府→8km→〇小原→2km→〇浜原→10km→●九日市→4km→〇酒谷→4km→〇赤名→6km→〇室→8km→〇布野→12km→●三次→
20km→〇吉舎→20km→●甲山→12km→〇御調→12km→●尾道
〇銀付け替え駅 ●銀泊まり駅 *数字は駅間の距離
銀輸送には、御銀蔵の灰吹銀10貫目(37.5kg)を木箱に詰め、菰で包み、馬1頭に付き、木箱を2箱づつ背負わせ、葵の紋を染め抜いた小旗を背に立てて出発したと伝えられています。
出立は、旧暦10月下旬から11月初旬で、当時は雪が降っていることもあったそうで、そのような時は、雪踏み隊がまず雪をふみならしながら進んだそうです。
中でも、今も豪雪地帯として有名な、島根県と広島県境の峠越えは大変な苦労だったようです。何故、このような時期に灰吹銀を輸送したのかわかりません。稲の収穫が終わってからということなのでしょうか。
ちなみに貢納銀(年貢)は春になってから運搬しています。
灰吹銀の輸送準備が整いますと、大森を早朝出発します。
大森代官所跡
代官や役人、町民等は羅漢寺あたりまで見送り、そこで、壮行式を行ったと伝えられています。
羅漢寺 右窟
今年の「尾道ルートを歩く」は、
第1ステージ、10月29日〜30日。大森代官所跡から1泊して飯南町赤名の道標まで。
第2ステージ、11月12日〜13日。赤名の道標から1泊して三良坂竹工房まで。
第3ステージ、12月3日〜4日。三良坂竹工房から1泊して宇津戸まで。
それぞれ1日に19km〜20km歩く予定です。
バスが伴走していますので、荷物はのせられるし、体調不良の時など安心です。
来年はこの続きを歩き、尾道まで到達する計画です。
その後、いつの頃か陸路輸送となり、それは明治まで続きました。
◎大森→4km→〇堂原→4km→〇別府→8km→〇小原→2km→〇浜原→10km→●九日市→4km→〇酒谷→4km→〇赤名→6km→〇室→8km→〇布野→12km→●三次→
20km→〇吉舎→20km→●甲山→12km→〇御調→12km→●尾道
〇銀付け替え駅 ●銀泊まり駅 *数字は駅間の距離
銀輸送には、御銀蔵の灰吹銀10貫目(37.5kg)を木箱に詰め、菰で包み、馬1頭に付き、木箱を2箱づつ背負わせ、葵の紋を染め抜いた小旗を背に立てて出発したと伝えられています。
出立は、旧暦10月下旬から11月初旬で、当時は雪が降っていることもあったそうで、そのような時は、雪踏み隊がまず雪をふみならしながら進んだそうです。
中でも、今も豪雪地帯として有名な、島根県と広島県境の峠越えは大変な苦労だったようです。何故、このような時期に灰吹銀を輸送したのかわかりません。稲の収穫が終わってからということなのでしょうか。
ちなみに貢納銀(年貢)は春になってから運搬しています。
灰吹銀の輸送準備が整いますと、大森を早朝出発します。
大森代官所跡
代官や役人、町民等は羅漢寺あたりまで見送り、そこで、壮行式を行ったと伝えられています。
羅漢寺 右窟
今年の「尾道ルートを歩く」は、
第1ステージ、10月29日〜30日。大森代官所跡から1泊して飯南町赤名の道標まで。
第2ステージ、11月12日〜13日。赤名の道標から1泊して三良坂竹工房まで。
第3ステージ、12月3日〜4日。三良坂竹工房から1泊して宇津戸まで。
それぞれ1日に19km〜20km歩く予定です。
バスが伴走していますので、荷物はのせられるし、体調不良の時など安心です。
来年はこの続きを歩き、尾道まで到達する計画です。