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ツバメの子ら巣立ちの頃
石見銀山のあちこちで巣をつくっているツバメたち。
子ツバメ巣立ちの頃のようです。

銀山公園から龍源寺間歩へ行く途中の車庫内にて。
大きさは、親ツバメと変わらないぐらいです。


銀山公園内にあるガイド事務所隣接のみやげ処入口上方でもツバメが子育てをしています。
東京都内では、ツバメは絶滅しそうだとか。それは巣作りに必要な土と水が得にくいからと、聞きましたが、どうでしょうか。

1週間前、大森小学校前ではホオジロが餌をくわえて子育てに大忙し。
 
今日はもぬけの殻でした。親子して飛び去ったみたいです。

石見銀山・大森町には、ホオジロもたくさんいます。
ちょっと見にはスズメと似ています.
スズメは顔の横に黒丸の模様がありますが、ホオジロにはそれが見えません。

ホオジロのさえずりは
「一筆啓上つかまつり候」とか「源平ツツジ白ツツジ」と聞こえるとか。
あなたはどのように聞こえますか。

| その他 | 23:49 | comments(2) | trackbacks(0) |
石見銀山観光には帽子(日傘)と水をお忘れなく
連日暑い日が続き、時に熱中症のような症状の方がおられ、ガイド事務所で冷やしたり、風を送ったりすることもあります。
救急車で病院へ搬送されるような方は、今年はまだおられませんが、油断は禁物です。
帽子又は日傘、そして水分補給の出きる飲み物をお持ちください。

銀山公園から龍源寺間歩往復は約5kmあります。途中、水を購入できる個所は少ないです。
仙ノ山や街道などは尚更です。
充分お気を付け下さい。

もし、気分が悪くなられた時は、どなたでも遠慮なく銀山公園内のガイド事務所又は観光協会においでください。
ガイド事務所では 、冷たい水、アイスノンや冷蔵タオルなどを常に用意しております。どなたでもどうぞお役立て下さい。

状態によりましては、救急車をおよびすることもできます。
| その他 | 23:50 | comments(0) | trackbacks(0) |
7月2日・3日無料シャトルバス運行時刻のお知らせ

世界遺産登録4周年を迎えた石見銀山では、7月2日(土)
3日(日)の両日、無料シャトルバスが下記の通り運行されます。どうぞ、ご利用くださいませ。

大田バスセンター発10:00→世界遺産センター着10:20
大田バスセンター発11:00→世界遺産センター着11:29

世界遺産センター発15:00→大田バスセンター着15:29
世界遺産センター発16:00→大田バスセンター着16:29

途中、大田市駅・宮崎橋・市立病院入口を経由します。

7月2日は、世界遺産センター・熊谷家住宅・旧河島家・龍源寺間歩は入場無料です。

7月3日には、世界遺産センターにおいて、土江子ども神楽社中による神楽の公演が、11:00〜と14:00〜と予定されています。どうぞ、お楽しみください。

| その他 | 23:19 | comments(0) | trackbacks(0) |
おめでとうございます「小笠原諸島」「平泉」世界遺産決定
パリで開催中の、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の第35回世界遺産委員会において、24日には「小笠原諸島」(東京都)が世界自然遺産に、26日には「平泉の文化遺産」(岩手県平泉町)が世界文化遺産に登録が決定しました。
これで、日本の世界遺産は、文化遺産が12件、自然遺産が4件、あわせて16件となりました。
おめでとうございます。

4年前の2007年6月28日、ニュージーランドのクライストチャーチにて、文化遺産「石見銀山遺跡とその文化的景観」が決定した日のことを思い出します。正式発表は7月2日でした。

小笠原諸島は「東洋のガラパゴス」と称されるほどの希少な固有種が多い島々。平泉は平安時代に奥州藤原氏が築いた仏教文化の遺跡群が残されている地。

東日本大震災に立ち向かう日本中の人々に明るい光となりますように。

世界遺産「石見銀山」も多くの課題を抱えています。今後は、このかけがえのない世界遺産を未来に引き継ぐために、石見銀山ガイドとしてどのような取り組みをしていけばよいか、各地と一層密に情報交換など進めていきたいと思います。
| その他 | 22:44 | comments(0) | trackbacks(0) |
故郷忘れ難く候〜赤名峠異聞 その10
 

万右衛門が非業の死を遂げてから10日余り過ぎた728日のことである。

ようやく広瀬藩つまり容疑者・磯五郎の在所から、役人衆がやって来た。


先だっての吟味の場にも広瀬藩からは誰ひとり同席しなかったのである。今頃になっての着到の理由をどう見るか
---他の“関係者”である大森天領や広島藩への遠慮と見るか、国境を越えた事件ゆえの手続きの複雑さと見るか。


いずれにしても、広瀬藩役人は

「これ以上、広島藩に迷惑をかけられぬ。よって吟味の場を我が藩領に移されたし」

ときっぱりこう述べた。

そこで白州は赤名町肥後屋に移されることとなった。磯五郎は引き立てられ、関わりある者一同がぞろぞろと赤名に移動したのである。

 

横谷村の庄屋・要平の気は晴れぬ。

(結局、水野様の命を果たすことは出来なかった・・・)

大森代官所の手代筆頭役・水野正太夫の頼みを受けて、磯五郎に自白を促すべく試みたこと、二度三度ではない。しかし磯五郎は頑なに

「わっしではありません、わっしは殺しておりません」

とかぶりを振るばかりである。いわば≪限りなく黒に近い灰色≫であるが、要平には如何ともし難い。

 

赤名町肥後屋の白州で、磯五郎はいよいよ拷問に掛けられることとなった。自白を望んで居た御役衆の間でも「もはや、きつい責めも致し方なし」との意見で一致したのである。

磯五郎は囚衣もろとも後ろ手に縛られ、三角にとがった十露盤板の上で石を抱かされた。縦三尺に横一尺、十三貫の平石が一枚、また一枚と膝に乗せられていく-----

 

磯五郎はついに一切を白状した。

「あの日、赤名の峠で万右衛門に会うたのです。作木での博打で負けて、すっからかんの無一文だったので、万右衛門に『少々金子を貸してくれまいか』と頼みやした。嫌な顔つきでかぶりを振るので、なおも『20文か30文でいいから』と万右衛門の荷物にすがって口説きやした。


そのうち万右衛門がステンと転び、荷物が滑り落ちて中身が辺りに飛び散った。万右衛門、かっと怒って『この、横道者が!』と私に手元の石を投げつけて来たのです。私はその石を万右衛門に投げ返した。すると石が万右衛門の額に当り、大層な血が流れました。


うっと額を押さえてうずくまる万右衛門を見て、『こんなことになったからには、生かしておいてはまずい』無我夢中で天秤棒をふるい・・・動かなくなった万右衛門の懐から財布を奪って駆け出し、財布は国境番所の風除け垣の中に隠して、番所に通報したという次第でごぜえやす」


果たして財布は磯五郎の供述通りの場所にあった。この一件は江戸にも伝えられ、老中揃って討議のうえ「広瀬藩赤名宿・磯五郎、打ち首獄門のこと」と決まり、その秋に果たされた。


********************


赤名峠がそうであったように、かつて「峠」は、国境を成していた。

山道を登りつめ、

いよいよ峠を越して我が故郷へといさんで帰る者。

いよいよ峠を越して見知らぬ国へと足を踏み入れる者。

「峠」には、数知れない旅人がそれぞれの思いを胸に行き交ったドラマが詰まって居る。
その中で、万右衛門の悲劇も生まれた。

 


「鎮魂 故郷忘れ難く候」

故郷の波根西村へと足をはやらせながら赤名峠で非業の死を遂げた魚行商人・万右衛門の魂は、今も峠近くの碑でひっそりと祀られている。
(了)

| 銀山 むかし語りいま語り | 04:30 | comments(1) | trackbacks(0) |
故郷忘れ難く候〜赤名峠異聞 その9
 

要平は、室市の升屋栄次郎の屋敷に籠められている万右衛門殺しの第一発見者・磯五郎のもとを訪ねた。大森代官所の手代筆頭役・水野正太夫からの頼みを受けて、である。

磯五郎は薄暗い壁にもたれ、板敷きにダラリと座っていた。薄鼠色の囚衣をあてがわれて居る。すでに単なる重要参考人ではない、容疑者の扱いであった。むろん飯や水はあてがわれているが…。

 

疲れたような不貞腐れたような表情で横を向く磯五郎に、要平は声をかけた。

「どうじゃ、磯五郎」

磯五郎は顔を上げた。要平、静かに、しかしきっぱりと告げる。

「もうたいがいに白状せぬか。先のお役人衆の吟味でも、様々なる調べでも、お前の言い分の是一つも通らぬことは明明白白なのじゃ。このまま頑なに口をつぐんで居ても、良いことは何ひとつ無いぞ」


要平、ここへ来る道々でどう切り出そうかと考えていたのだが、結局はこういう謂いとなったことである。


「わ、わ、私が殺ったんじゃありやせん!」
磯五郎は大声でわめいだ。

「何かの間違いだ、よぉく調べて下せえ、何ならもう一度お白州に出たっていい。考えてみて下せえ、私は万右衛門どのを助けようとして酷い目にあったんですぜ、それがなぜこんな、」


「もう良い、磯五郎!そろそろ芝居は終わりにせぬか」

「し、芝居なんかじゃござんせん。私はやっておりやせん」大きくかぶりをふる。

「磯五郎・・・」

きつく睨みつけながらも要平、内心は困っている。

 

水野正太夫からは「どうにか白状させよ」との命を受けて居た。江戸の時代、犯罪の容疑者にはとかく厳しい詮議をしたり拷問で口を割らせたりしたという印象があるが、実のところそうではない。容疑者が自ら罪を認めて粛々とお縄につき罰を受けるというのが理想であって、「自白させられず仕方なく拷問を加える」というのは諸役方にとって恥ずべきこととされていたのである。

 

ところが目の前の磯五郎、頑なに認めようとせぬ。

(これでは、どうしようもないではないか・・・)


要平はいったん引き揚げた。帰り際、板敷きに手をつきこちらを恨みがましい目で見つめる磯五郎の囚衣がはだけ、ちらりと覗いた刺青が、要平の脳裏に焼きついた。
(続く)

 

| 銀山 むかし語りいま語り | 05:15 | comments(0) | trackbacks(0) |
故郷忘れ難く候〜赤名峠異聞 その8
 

<8>

ところかわって、ここは室市の升屋栄次郎方である。

大森代官所の手代筆頭役・水野正太夫ほか関わりある役人や庄屋たちが磯五郎の吟味を行って居る。


すでに一刻も経っただろうか。ことが大森天領・広島藩・広瀬藩と国境をまたぐややこしい話だけに、各々の面子もあれば立場もある。《揺るがせには出来ぬ》とばかり、場の空気はしんと張り詰め、蜂の羽音さえ雷に聞こえそうなほどであった。


磯五郎は、
16日の夕刻のことをつらつら語り

「・・・というわけで、慌てて国境番所に駆け付けたところで番人の友次郎どのに出会ったとこういう次第でごぜえやす、へえ」と息をついた。


「うむ。では聞くが、お前が行き会うたというその無頼の輩、どのような風体であったか」

「どのような、と申されますと」磯五郎、はっとした。

「何も目が二つに鼻一つなどと訊いて居るのではないぞ、身なりを見ればどのような者どもか見当もつこう」

「…い、いずれも月代の整わぬ者どもで、もみあげ長く色黒く、人相凶悪にて、縞の半襦袢にわら縄と間違う帯を締め…」

役人、庄屋たち、顔を見合わせる。これではまるで町芝居の口上である。

「して、言葉は交わさなかったか。訛りを聞かなかったか」

「私が加勢に戻りました折、『やめろ』『何を、こいつめ』と逆にやられてすぅーと気を失うてしまいましたもので、へえ」

「では、」広島藩の御役・手島武平次がたたみかける。万右衛門殺しの場が広島藩領であるゆえにこの一件にも立ち会うのは当然だが、正直なところ(早く片付いて欲しい)というのが本音であった。

「お前は、気のおぼろげな中で石州に駆け逃げたのを見たというのか?」

「は、いえ、あの、今となりましてはいずこに逃げおおせたかも定かでなく……」

磯五郎、目が宙を舞って居る。

そこへ水野正太夫、

「万右衛門を殺めたのは、---お前ではないのか?」

声を高めてずばり訊いたものである。その一言に、場の空気がさっと張り詰めた。

「へっ?! わ、私ではごぜえやせん、そのような恐ろしい事、決して決して」

磯五郎、何度も大きくかぶりを振り、貝のように口をつぐんだ。

吟味はいったんここで打ち切りとなった。

 

吟味を終えた大森代官所の手代筆頭役・水野正太夫は翌日、庄屋の要平を呼び付けた。

朝から小雨が降り続き、庭の前栽が濡れて色濃く光って居る。

「金子は、見つかったのか」

「いえ、この辺り一帯くまなく、それこそ番屋の床板まではがして調べさせておりますが、見つからないのでございます。まことに申し訳ござりませぬ」

「ふむ。いずれにせよ、こたびの下手人が誰か、そちも先刻分かっておろう」

「は…っ」

「これ以上吟味が長引けば広島藩に迷惑がかかる」

迷惑がかかる、とは裏返せば天領大森の面子が立たぬ、との意味でもある。

「そなた、早々に事を収めてくれぬか。頼むぞ」言い置いて座を立った。水野正太夫の頼みは分かって居る。しかしそう易々といくかどうか・・・
(続く)

| 銀山 むかし語りいま語り | 02:30 | comments(0) | trackbacks(0) |
故郷忘れ難く候〜赤名峠異聞 その7
 

庄屋・要平のもとへ、殺された万右衛門のせがれ、安右衛門が訪ねてきた。

たいそう気の重いことではある。


案内した国境番所の番人・友次郎、「なんとも父親そっくりで、番所に現れた時は万右衛門が化けて出たかと、思わず足があるか確かめました」などと口走るのを「これ、めったなことを」とたしなめ、安右衛門を座敷に通した。


なるほど、あまり思い出したくはないが、検分した折の万右衛門の面立ちにそっくりの四角い小作りな顔である。


かしこまる安右衛門に、「こたびはとんだ災難であった、」と声をかけると、安右衛門は「庄屋様にも、ご公儀かたがたにも、大変なご迷惑をおかけしまして…」と頭を下げる。


挨拶ののち、安右衛門が切りだしたのは、
こういう話であった。

 

---父・万右衛門、1週間ほど前に行商に出かけたのでございます。いつも通りにめしと沢庵、白湯の朝飯をかきこみながら「こたびは盆の掛け取りがあるゆえ、少々日柄がかさむかも知れぬ。留守をしっかり頼むぞ」と言い置いて出かけました。はい、掛け取りだけに出かける父ではございません。海苔やらローソクやら魚やら、山のように荷って出かけたのでございます、はい---

 

「盆の掛け取りか。さすれば、作木にてかなりの金を集めたであろうな」

「はい。私めが言うのもなんでございますが、父は常々『商売は信用第一じゃ』と申しておりました。『良い商いをすれば良いお客がつく、掛け取りにも苦労せぬ』と」

「ふむ、さもあろう」優しく頷く要平である。


「父は『わしは腐れ魚だのニセの茶葉だの売りつけて大儲けする才覚はない。その代わり、売掛を頂き損ねたこともただの一度もない』と言うのが口癖で…」

安右衛門、言葉を詰まらせ思わず下を向いたが、きっと顔を上げて要平を見つめた。

「庄屋さま、父の懐にも荷物の中にも、一銭の金もなかったというのは、まことでございますか」

「うむ。お前の話を聞くだに、あり得ぬことじゃのう」

「いえいえ、恨みつらみで殺される父ではございません、銭が目当てであれば金子が消えるのもおかしくはございません。されど、」

安右衛門、こうきっぱり言った。

「金子を、探して下さりませ。金子が惜しうて申し上げるのではありませぬ、金子はきっとこの近辺に隠されていると思われてならないのでございます。下手人を明かす手掛かりともなりましょう」

(磯五郎のこと、すでに聞き及んで居るのだな…)

要平は黙って頷いた。
(続く)

| 銀山 むかし語りいま語り | 00:54 | comments(0) | trackbacks(0) |
故郷忘れ難く候〜赤名峠異聞 その6
 

要平の使いで磯五郎の足取りを探って居る舷助、上下についで作木へと出向いた。

ここ作木もまた中国最大の長河・江の川の舟運で開けた交通の要所である。白壁の町家が軒を連ねる街道では、大きな荷物を背負った商人やら町人やらせわしなく行き交い、日照り続きの路地に土ぼこりが舞っている。

手ぬぐいで頬かむりをして足早に歩くうちに喉が渇いてきた舷助、ここらで一休みと、とある茶屋に腰を下ろしたのである。


茶屋のおかみが「いらっしゃい」と近づいて、

「あれ、この辺りじゃ見かけない顔だね」と愛想を言うのに、舷助は

「ああ、ちょいと用向きでね。・・・時におかみ、赤名宿の磯五郎さんという人を最近見かけなかったかね」

「・・・お客さん、磯五郎の知り合いかえ?」

別に知り合いたくもないのだが、よんどころない事情で見知って居る舷助である。

「ええ、まあ」

おかみは黙って踵を返すと茶屋の奥に入っていった。しばらくして入れ替わりに出てきたのが蟹のような赤ら顔の茶屋の亭主、前掛けで両手を拭き拭き近づいてきた。

「お客さん、真面目なお店勤めのお方とお見受けするから余計な世話を焼きますがね、ここら辺りで磯五郎の名前を出さねえほうが身のためですよ」

「それはまた何ゆえ」

「そりゃあ、あいつの仲間と思われちゃあ百害あって一利なしだ。何しろ商いは信用ならねえは、三度の飯より博打が好きだは、」

博打は公儀ご法度。見つかれば胴元は遠島で、参加しただけでも大層な罰を食らう。

「そういえばほら、お前さん、あの話」

おかみが横から亭主の横腹を突いた。

「おお、そうだ。何でも磯五郎のやつ14日の晩に下作木の東光坊で開かれた賭場で徹夜の丁半に興じた挙句、21匁の大負けをしたそうですよ」

東光坊といえばこのあたりで知られた寺である。寺社奉行の管轄で町方役人の手の及ばぬ寺社内で賭場を開く(このとき寺に納めたのが寺銭、いわゆる所場代の語源である)これはよくあることだったが…

21匁とは…」
庶民にとってはちょいとした大金である。

「有り金はたいても払えねえから、『残りは魚の売り掛けを集金してきっと返す』と言うて作木を離れたとか聞いてますがね」

「返すも何も、」おかみが口を挟んだ。

「今頃はきっとどこかで『ちょいと20文ほど貸してくれねえか』とか何とか言ってるに決まってますよう。うちの人だってほら、ひとがいいから騙されちゃって」

「まあそう言うねえ、もうてんで懲りたさ」

舷助、早々に茶屋を後にした。磯五郎が14日の晩に博打で21匁も大負けしたというのは、見逃せない事実と思われ、頭を離れなかった。

 

 

「御苦労だったの」

作木から戻り、聞き及んだ話を逐一報告した舷助を要平はねぎらった。磯五郎が無一文の体で銀山街道をたどっていたのは間違いない。

(しかも「無頼の輩」なる話、どうも辻褄が合わぬ)

腕組みして考え込む要平のところへ、国境番所の番人・友次郎の案内で訪ねてきたものが居る。それは殺された万右衛門のせがれ、安右衛門であった。
(続く)

| 銀山 むかし語りいま語り | 02:30 | comments(0) | trackbacks(0) |
故郷忘れ難く候〜赤名峠異聞 その5
 

三次奉行所のもとへ、大森代官・根本善右衛門からの書状が届いたのが19日頃の事である。

大森天領住人・万右衛門殺しの一件の検分のため、手代・水野正太夫他2名を22日に寄越す。ついては広島藩及び広瀬藩(=磯五郎の在所)の御役人衆にもお立ち会いあるべし」

 

そこで要平はさっそく、三次奉行所からの呼び出しを受けたのである。

「大森代官所よりかくかくしかじか連絡あり、22日にこの一件について吟味を行うことと相成った。ついては大森代官所と広瀬藩から出張る役人衆の宿泊所を用意すべし」

「ははっ、かしこまりましてござる」

帰り途、要平は歩きながら思いにふけった。

宿泊所の手配ぐらいはどうにかなろう。3日後というのは少々きついがな。

それにしても

(こちらの都合も聞かず吟味の日取りを決めて事を押し進める大森代官所・・・そしてそれに黙って従う三次奉行所・・・天領石見銀山のご威光とはかくも強いものか)

思わずにはいられぬ。

 

22日。

いよいよ検視と吟味の日である。

大森代官所からは手代筆頭役・水野正太夫と元締役・小野源次郎が、広島藩からは手島武平次および木原覚蔵が、そして三次町奉行役人、関わりある庄屋たちが、室市の升屋栄次郎方にて一同に会した。

事の顛末を改めたのち、証人の磯五郎が呼ばれた。

凶事が起こって以来、数日留め置かれていた磯五郎は、随分やつれた様子で役人衆の前にまかり出た。

「そちが磯五郎であるか」

「へ、へえ」そうそうたる役人衆の居並ぶ座でますます畏まる磯五郎である。

「こたびの事、そちが見た限り知る限りをつまびらかに申すが良い。嘘いつわりを申すでないぞ」

「へ、へえ」磯五郎は、唇を舌で湿らせて深呼吸すると、

「あれは16日の夕刻のことでございます、わたくしめがもうじき国境という所にさしかかりますと、」芝居のト書きを読むような調子で語り始めた。

 

ところで。

この吟味に先立って、要平は手代の舷助をある使いにやった。

「良いか、磯五郎の足取り、真に当人の申す通りかどうか、しっかり確かめてくるのじゃ。わかったな」

「承知、つかまつりました」

舷助が草鞋のひもを結ぶのももどかしく向かった先は上下町と作木である。

磯五郎によれば、13日から上下町や作木で魚を商い、16日にようやく商いを終えて国へと帰る途中だったという。これが事実かどうかを聞き込んで来い---というのが主人・要平の命であった。

(旦那様の大事な御役目だ、万に一つも見逃しがあっちゃあならねえ)

 

舷助、まずは上下に立ち寄る。上下は石見銀山から尾道に至る銀山街道の宿場町、幕府の天領である。代官所も置かれ商家が立ち並び、たいそうな賑わいである。

「ちょいとごめんなさいよ、」

町中の市で、商いをしている男にそれとなく声を掛けてみた。

「赤名宿の磯五郎さんってえ人を探しているんだが」

「磯五郎?ああー、磯五郎か。おめえさん、まさか借金の取り立てかえ」

男は舷助の風体にちらりと目をやった。

「えっ?あ、いや、ちょいと人から文を言付かっているもんで」

「そうかえ、ま、その文もロクな用件じゃあるめえよ。お前さんも大儀なことだの」

「磯五郎さんの姿を最近見ましたかね」

13日頃だったかな、行商の荷を背負ってこの辺りをぶらついては居たがね」男は肩をすくめてそう言った。男のそぶりがそのまま、磯五郎の評判を表すようであった。
(続く)

| 銀山 むかし語りいま語り | 02:48 | comments(0) | trackbacks(0) |
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