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将軍様へおみつ献上
ここのところ大田市温泉津町西田のお話をしております。
西田は世界遺産・石見銀山街道の途中にある村です。

江戸時代、石見銀山では、「おみつ」と呼ばれる物が毎年江戸へ向かって送られ、将軍へ献上する習わしだったそうです。
その「おみつ」とは、
まずは、「西田の蜂蜜 」「日祖の海苔」そして「無名異(むみょうい)」でした。
やがて、西田で葛が生産されるようになりますと、
「西田の蜂蜜」に代わり、
「西田の葛」「日祖の海苔」「無名異が「おみつ」となりました。
日祖は今の大田市温泉津町です。

江戸時代、石見銀山から将軍への献上品の二つまでが、今の温泉津町から送られていったのですね。
将軍は、これら蜂蜜や海苔、または葛を食べたのでしょうか。無名異を傷薬などとして、使ったりしたのでしょうか。
知りたいものです。

| 御山ものがたり | 22:33 | comments(0) | trackbacks(0) |
4月29日はよずくの里においでませ
江戸時代に「おみつ」と呼ばれる物がありました。
「西田の蜂蜜」「日祖の海苔」仙ノ山の「無名異石」でした。
このおみつは、毎年江戸の将軍へ献上品されました。
やがて、西田で「葛」が作られるようになりますと、おみつの「西田の蜂蜜」は 「西田の葛」にかわりました。

西田葛は、山野に生えているイノコと呼ばれる葛の根を採取し、細かく砕いて清水にさらし製法しています。その品質は日本一と言われるほどです。
江戸末期の天保飢饉の時、西田の瑞泉寺第十二世自謙和尚は楢の吉田葛の製造法をこの地に伝えました。
その後、本格的な商業生産が始まったと言われています。
そして、西田葛の名声は、銀山街道を通った旅人や商人、温泉津温泉の湯治客によって広まったと推測されます。
今でも、冠婚葬祭、祭、病人の食事として、またゴマ豆腐としても用いられています。
西田葛は、西田を訪れる観光客に大変喜ばれています。

| ガイドおすすめのスポット | 22:33 | comments(0) | trackbacks(0) |
4月29日はよずくの里にきてごしなさい〜その2〜
みんなでヨズクハデを立てる(昨年10月12日撮影)
(
これがヨズクハデです。
年によって異なりますが、大体9月末頃ハデ(木組み)を立て、1ケ月ばかり稲を干します。
架かってているのは稲束です。その姿が何かに似ているような気がしませんか。
ヨズクハデは、2009年1月16日、文化審議会で重要無形民俗文化財指定となりました。

伝説によりますと、神代の昔、海上を守る上綿津美命(うわずわたつみのみこと)と上筒男命(うわづつおのみこと)の二柱の神様は、大風で稲ハデが倒れ難儀している西田地区の里人を見て、海岸で網を干す方法を教えられました。 
木を三角錘状に立てるこの方法は、材料が少なくてすむ上に、必要な面積も狭く、しかも短時間で組み立てることができ、風で倒れる心配もありません。
「ヨズクハデ」とは、稲がかかった姿が「ヨズク(フクロウ)」に似ていることからよばれるようになりました。
ヨズクハデの高さは約5m、一基のハデに稲束が500束、約5俵分架けられます。
今から30年ほど前には100基以上のヨズクハデが作られていましたが、減反政策や高齢化、器械化などにより暫時減少していきました。

道の右手にある瑞泉寺近くにも作られています。

「よずくの里」は平成3年に「島根60景」「日本の米作りの里100選」に選定され、秋の水稲の刈り入れ時期になると、「ヨズクハデ」は西田の田園を飾る「秋の風物詩」となっています。

二柱の海神は、西田の水上神社に祀られています。


| ガイドおすすめのスポット | 23:30 | comments(0) | trackbacks(0) |
4月29日はよずくの里にきちゃんさい
よずくの里は、温泉津長西田(集落)にあります。
温泉津の沖泊(港)から代官所のある大森の町へ向かって、たくさんの人々、そして荷物を積んだ牛馬が集まり、ここ西田で、これから上る降露坂に備えて、休憩と荷の付け替えをしたと言われています。
かつては、西田千軒と呼ばれたぐらい、大変賑わった銀山街道沿いの宿場町でした。
その西田でくずかゆ定食を食べてみませんか。
よずくの里においでください。

日時 4月29日(祝)
時間 11時〜14時
くずがゆ定食 500円(限定50食)予約をお勧めします。
その他 各寿司、中華ちまき、手作りパン、おからコロッケなど販売
予約は 西田ひまわりの会へ  電話0855−65−2418

よずくの里は、ヨズクハデのある里です。
さて、ヨズクハデとは何でしょう。

このように一家或いは隣同士てごしてヨズクハデをたてます。

てご=助け合うこと


西田のヨズクハデはこの地方の風物です。
ヨズクハデには稲がかけてあります。
いつ頃から、ヨズクハデがたてらるようになったのでしょう。
 
| ガイドおすすめのスポット | 20:17 | comments(0) | trackbacks(0) |
梨の木坂を歩く
石見銀山大森から温泉津へ向かう途中の「清水」という集落から、温泉津駅前通りの町「小浜」 へ向かうと、「梨の木坂」と呼ばれている道があります。江戸時代の石見銀山幹線道路の一つです。
かつては大森〜温泉津を結ぶ道の一つであったこの梨の木坂は、物資の往来で賑わったことでしょう。

梨の木坂を4月半ば、久しぶりに歩いてみました。


登っていくと、向こうにコンクリートの白い壁がみえました。
道を横切る高速道路です。


壁の下にあるトンネルをくぐって清水集落に向かい上りました

キブシ

チロリンチロリンと下がった花がかわいらしい。

石垣の跡もありました。
| ガイドつれづれ日誌 | 22:32 | comments(0) | trackbacks(0) |
5月の連休中の交通事情
今年春の大型連休が近づいてきました。
たくさんのお客様をお迎えする準備をしています。

ガイドの会では、4月29日、5月1・3・4・5日には
龍源寺間歩ツアー(無料)10:30発 12:30発
  (各出発時20名様まで×2組  ガイド2名)
街並みツアー   (無料)10:00発 13:00発
  (各出発時20名様まで×2組  ガイド2名) 
同時刻ご出発40名様(ガイド2名)迄でご案内致す計画でございます。

どうぞ、石見銀山ガイドの語りを耳に、石見銀山散策をお楽しみください。

石見銀山・大森町の駐車場は、世界遺産センター(400台)があります。他には、銀山公園や代官所跡もありますが、こちらは駐車できる台数が少なく、すぐ満車となることでしょう。
大田市仁摩町仁万の駐車場をご利用いただき、仁万から無料シャトルバスにて大森町にご到着、龍源寺間歩等の観光をお楽しみいただけたらと思います。

仁万→大森へ
シャトルバスご利用の時は、代官所跡でも降車できます〜終点は銀山公園です。
大森→仁万の
駐車場行きのバスは、銀山公園発で、直接〜仁万駐車場に向かいます。
代官所跡には停車しませんので、ご注意ください。

詳細は大田市観光協会HPをご覧ください。

駐車場や観光コースなど、ガイド事務所にもどうぞお問い合わせください。
石見銀山ガイドの会 事務所の電話 0854−89−0120


| 交通・施設・行事 | 22:32 | comments(0) | trackbacks(0) |
阿部家と半蔵とナニワイバラ
阿部家初代清兵衛は、甲斐国出身で、石見銀山初代奉行大久保石見守に、銀山附地役人として召し抱えられました。大久保石見守も甲斐国で武田氏に仕えていたところから、呼び寄せたのでしょうか。
7代目半蔵光格は絵師として有名で、石見銀山資料館近くの「即応山 勝源寺」所蔵の「家康並びに十六将像」は半蔵の筆によるものです。龍源寺間歩内の奥にある電照板の江戸時代の間歩内部を描いた絵の元も、阿部半蔵ではないかと言われています。

4月末から5月にかけて、阿部家の板塀を這うようにして「ナニワイバラ」が咲き、道行く人の足を止めています。

阿部家の「ナニワイバラ」


ナニワイバラは江戸時代から知られているバラの原種のような花で、元は、中国から移入された品種だそうです。
江戸時代、難波の商人によって運ばれ、広められたので、この名前になったとか。
中国では中部〜南部、台湾、日本でも広く栽培され、人気の花のようです。
四国や九州では野生化したものもあるようです。
花は一重で真っ白、光沢があり、夏椿を思い出させます。近寄ると、さわやかな香りがします。
とげにご注意ください。

 
| ガイドおすすめのスポット | 19:41 | comments(0) | trackbacks(0) |
阿部家のおもてなし御膳はいかがですか
石見銀山・大森町の街並みにある阿部家では、年に数回特別の料理「おもてなし御膳」をこしらえ、石見銀山においでになるお客様に楽しんでいただく催しを計画しています。
今回は下記の通りです。

期日 4月23日(土)24日(日)
時間 11時〜14時
場所 他郷阿部家
値段 1500円

要予約 群言堂本店 電話0854−89−0077

おもてなし御膳をお召し上がりのお客様でご希望の方には、阿部家内部見学のご案内を致しますと言うことです。

阿部家の一部をご紹介します
日暮れの阿部家玄関


阿部家の台所は昔風。ご飯もかまどで炊きます


さて、このかわいい豚ちゃんはどこにいるの?
| 食べる・泊まる・買う | 23:06 | comments(0) | trackbacks(0) |
再現品「辻ケ花染丁子紋胴服」公開〜5月8日まで
山師安原 伝兵衛が、将軍家康より拝領の「辻ケ花染丁子紋胴服」の再現品を、世界遺産センターで公開展示しています。
再現品といいましても、あれこれ工夫して1年もかかって出来上がった品です。
世界遺産センター職員に、「辻ケ花染丁子紋胴服」のいわれや再現品作製にまつわる話など、説明を依頼してください。喜んで説明をしてくれます。

備中国早島出身の安原伝兵衛は、銀の採掘をしようと、石見銀山へやってきました。恐らく戦国時代末頃のことでしょう。
伝兵衛は銀の山「仙ノ山」で採掘するのですが、なかなかよい鉉(つる=鉱脈)にあたりませんでした。
そこで伝兵衛は清水寺に七日七夜こもり、本尊の十一面観音に、
「どうぞよい鉉にあたりますように」
と祈願しました。七夜目のこと、夢に、銀の釜をささげ持った十一面観音が現われ、
「水抜きをするとよい」
と言われました。
驚いた伝兵衛は、初代奉行・大久保長安にこの夢の話をしたところ、
「それはよい夢である。銀がでるまでの費用はだしてやろう」
と言われ、喜んだ伝兵衛が採掘したのが、釜屋間歩だと言われています。

伝兵衛は、なんと3600貫(13,5トン)もの銀を税として納めました。
そこで、京都は伏見城の徳川家康に大久保長安と共によばれ、謁見を許されました。1603(慶長8)年のことです。家康は伝兵衛に、「備中」の称号と「辻が花丁子紋道服」及び扇子を与えました。

この胴服は、安原備中(伝兵衛)の孫(十郎兵衛)により、清水寺に寄贈されました。その後、国の重要文化財となり、現在は京都国立博物館に寄託されています。
その再現品の公開です。この再現品は、京都の染色家が1年以上かけて制作した品で、安土桃山時代の華やかさが伝わるようです。

丁子はまさに南蛮貿易の証で、南方で採取される香りのよい香料です。グローブとも呼ばれています。展示品の反対側にあるガラスケースの中には本物の丁子も展示されています。
本物の丁子と着物柄の丁子を見比べてご覧ください。
当時のデザイン家の意匠を想像するのも楽しいかと思います。

会場  世界遺産センター
再現品はセンター内の有料施設部分に展示してあります。

 
| 交通・施設・行事 | 23:30 | comments(0) | trackbacks(0) |
着物で歩こうin温泉津〜好天のもとにぎやかに
17日は朝から好天に恵まれ、着付け会場の温泉津会館から着物姿の方々が次々と散策に出かけられました。
着物姿は温泉津の歴史と温泉の街によく合いますね。
大田市内外からのおよそ80人の参加者の着物姿に、道行く方々も思わずにっこりです。
家から着物姿でおいでになられた方もありました。
お父様、お母様、お子様も着物姿で、楽しいひと時をすごされるご家族もありました。

テント村では「ぼべ飯」「てんぷら」「ケーキ」「ポルカガル料理」など出店で賑わいました


フランスから旅の途中で温泉津へ寄られた方もあました


素敵な男風着こなしも注目のまと


本日の読売新聞記事もご覧ください
| 交通・施設・行事 | 20:08 | comments(0) | trackbacks(0) |
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