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ガイド研修その3〜渡辺 通の墓と七騎坂

瑞泉寺から大森へ向かう温泉津沖泊道を、降露坂(ごうろざか)へ向かって1kmばかり進むと、左手にかっての西田分校跡の石碑が見えます。(分校跡には民家が建っています)
その分校跡の民家の左手から小道を10分ばかり登って行きますと、かって毛利元就の危機を救ったという「渡辺 通(かよう)」の墓があります。


かつては字が刻んであったかもしれません。
地元の方が大切に墓守をしておられます。
(わかりにくい所なので、地元の方の案内を頼んだ方がよいと思います)


毛利元就の危機を救おうと、身代わりとなって、元就と鎧兜を交換し、「我こそは元就なり」と走り去り、討たれたと伝えられている所は「七騎坂」と呼ばれています。
七騎坂は、渡辺 通の墓から車で15分ばかり、温泉津警察署の近くです。
看板の建っている所は、山陰本線のトンネル上です。

渡辺 通ら七人が討たれた年については二つの説があり、看板も2種建っています。
さて、本当はどちらだったのでしょう。




1543年、元就が尼子の月山富田城(安来市広瀬町)を攻め、敗れて逃げかえろうとする時か、
1559年、石見銀山を取り戻そうと山吹城(大田市大森町、世界遺産エリア内)を攻めたが、余儀なく撤退中、本城経光軍に追撃された時か、
いずれも渡辺 通らは、降露坂付近で兜を換え、幟を押し立てて、身代わりとなって進んだようです。

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