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まだまだわからん石見銀山 第65話 御崎谷と大谷の間歩−福神山間歩、岩屋堂間歩、下惣太夫山

 1、福神山間歩(間歩番号459番〜462番) 

 龍源寺間歩に向かう御崎谷の市道脇に坑口が4箇所開口しています。いずれも山吹城(要害山)方面に坑口が設けられています。しかし、市道整備のときに大田市教育委員会が実施した調査で間歩番号459番と461番とは坑口から直ぐに旋回し南進していることがわかりました。そしてこの二つの間歩は市道下辺りで合流しているそうです。南進するのなら銀山川の右岸から掘ってもよいはずです。なぜこのような掘り方をしたのかよくわかりません。また460番間歩は要害山方向に北進していることもわかりました。

 

 福神山間歩(=福神山)は江戸時代の間歩ですが、採掘時期、山主、稼働成績などについては、資料を確認できませんでした。坑道図を見ると、この間歩も奥で新切間歩に連結されていて新切間歩に坑内水を落としたことが窺えます。

                   福神山間歩

 

 2、岩屋堂間歩 

 藤田組が保有していた地図では、岩屋堂間歩は旧高橋家の西に開口している間歩番号465となっていますが、本当にそれが岩屋堂間歩なのかははっきりしません。というのは、岩屋堂とは高橋家の前を栃畑谷方面に向う道に沿った地域をいうからです。そこにもいくつかの間歩が開削されています。丁度小割家の墓地の背面から栃畑谷に至る斜面に間歩群があります。

 

 一方、『銀山古事覚書』(山中家文書)に元和9年(1623)のこととして、「先年柑子谷主税横合水道切抜高御運上請候間歩七口之事」に「銀千枚 大谷岩屋堂山」とあります。この記録は柑子谷から水抜き用に主税横相坑道を開削した結果、岩屋堂間歩からこのような銀鉱石が売却できたとするものです。ここには「大谷」とありますから、そうなると間歩番号465でも説明が付きます。この465番は要害山方向に開削されていて、坑口はかなりの大きさを持っています。

間歩番号:465番。岩屋堂間歩か?現在付近で発掘調査がされている。

 

 3、下惣太夫山

 田中圭一氏によると、佐渡『川上家文書』の慶長11年(1606)の記事で、石銀に惣太夫横相があるといいます。「石かね惣太夫横相・又勘右衛門横相よく鏈大分上り申し候由、扨々(さてさて)めでたく奉り存じ候事」とあるとか。大谷下惣太夫平(御崎谷の仙ノ山斜面中腹、甚光院の下付近)から石銀に向けて掘ったらしく、山主は岩下惣太夫という人だといいます。筆者はその坑口を確認できていません(Ng)

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