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まだまだわからん石見銀山 第64話 休谷の間歩−蔵本坑

 蔵本坑(間歩番号420)。

 休谷から御崎谷、大谷に至る間の銀山川に面して坑口があります。坑口は人が立って入れるほどの十分な高さを持っています。坑道は西南方向に延びて仙ノ山西斜面地下を開削し佐藤鉉の永久東延坑道まで延びています。その間の主坑道の長さは822叩文寮于賈太郎氏実測値)。この坑道は下部で新切間歩に通じ、上部で新横相間歩の坑道とも連結されているようです。

            蔵本坑

 

 いつの頃開削されていつまで供用されていたのかは確認できませんでした(享保14年頃の史料には、蔵本山 山主原貞右衛門・松原栄兵衛 銀掘4人、手子2人、柄山負2人とありますから、江戸時代中期には稼行していました)。少なくとも石見銀山が休山となる大正12年までは運用していました。坑道の大きさなどから見ても、有力な鉱山だったと思われます。場合によっては、休谷や大森の町並み方面から通勤していた坑夫たちはこの坑道から入坑し自分の持ち場に通っていたのかもしれません。

 

 石見銀山は第二次大戦中に採掘を一時再開しますが、昭和18年の豪雨により坑内が水没して事実上閉山となります。そのとき急激な豪雨による坑内への入水で坑内に取り残された坑夫たちが永久坑方面に出坑できないので、片手のカンテラを頼りに竪坑を這い上がり命からがら蔵本坑から脱出したという話が残っています。

 

 戦後しばらくこの坑道は大森町の簡易水道の水源として使われました。現在坑口は鉄柵で閉鎖されていて中に進入することはできません。内部には水没個所や閉塞箇所があるようです。

 

 ここで故石賀末太郎氏を紹介しておきます。石賀氏は大正7年生まれで、銀山休谷にお住まいでした。戦時中兵役から帰られて昭和18年から石見銀山で測量技師として働かれ、坑道の実測調査をされました。昭和18年の水害の際には坑内で勤務されていて閉じ込められた一人でした。その後昭和20年まで残務整理に携わっていたということです。稼働していた石見銀山を知る生き証人でした。

 氏のお話では、蔵本坑から入坑されて各所の調査をされたそうです。石賀さんは平成25年に亡くなられました。石賀さんの死去によって現在の生存者で永久鉱床の坑内に入った人はいなくなったのではないかと言われています。(Ng)

故石賀末太郎氏。なかなかのイケメンである。

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