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シルバーラッシュは何故起きたP-25

☆銀流出の規制☆

 石見銀山開発の当初は日本国内で銀の需要はありませんでした。言い換えれば銀に貨幣の価値があるとは誰も思っていなかったのです。と云う訳で、当初の銀は海外貿易用でした。その後徐々に貨幣価値が認められ金と並んで高額決済用貨幣の役目を負うようになりました。江戸時代には「三貨制」で西日本を中心に銀が貨幣として使われます。一方銀の国外流出はとどまることなく、江戸期前期の100年で国内生産の75パーセントの銀が、25パーセントの金が流出したと云われます。

 糸割符制は春先に輸入値段が決まり、その後一年はその値段で取引がなされていました。当初はそれなりに銀の流出を抑えましたが、相手もさるもの春先には少量の絹を持ち込み品薄状態にして絹の値段を釣り上げその後大量に持ち込むなどうまく機能せず50年ばかりで廃止します。その後自由貿易となり銀の流出が増します。長崎貿易は色々あって、金銀流出を抑える銅や俵物(ナマコ、アワビ、フカヒレ等いずれも高級中華料理の材料)での決済を進めました。石見銀山でも当初銅は副産物として自由に販売していましたが、銀と同様幕府の買い上げとなりました。銀の産量が落ち込む中銅の生産は増し実質銅山でした。

干しアワビ、干しナマコ、フカヒレ、俵に詰めたものです

 文化年間(18041818)に銀輸送の負担が大きい事から、銀山街道の赤名宿から「赤名訴訟」という訴訟事件もありましたが、実はこの時代銅の輸送が大きく牛馬が大量に使われたのでした。当時(文化年間)銀の生産量は年間100~200貫で一頭の牛馬が20貫運びました。

 以上のように、16世紀半ばから17世紀にかけ日本は世界が注目した銀の国であったのです。需要があるから供給があると云う事です、一言でいえば、石見銀山が光り輝いたのは、中国()の事情と云う事ですかね。

これにて25回に及ぶシリーズを終えます。ありがとうございました。(銀爺)

ありがとうございました。引き続きよろしく願います。

 

 

| 銀山 むかし語りいま語り | 00:01 | comments(2) | - |
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コメント
 シリーズの完結ですか。わかりやすくよかったです。「〇〇的な感じで」と軽いノリで語られるところは親しみやすく、楽しませてもらいました。

 また次のシリーズが始まるのですね。期待しています。
| iso800 | 2020/09/06 11:39 AM |
銀路さん、とても興味深く、何より分かりやすい解説ありがとうございました。石見銀山に行くときは是非銀路さんと歩きたいと思っております。ブログ又楽しみにしています。

| 船田亮輔 | 2020/09/06 9:02 PM |
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