<< August 2020 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>

カテゴリー
最新の記事
最新のコメント
最新のトラックバック
月別の記事
リンク
サイト内検索
その他
美味しんぼ 109 (ビッグ コミックス)
美味しんぼ 109 (ビッグ コミックス) (JUGEMレビュー »)
雁屋 哲
著名なグルメ漫画に『日本全県味巡り 島根編』が登場しました。石見の食の幸も色々紹介されています

国銅〈上〉 (新潮文庫)
国銅〈上〉 (新潮文庫) (JUGEMレビュー »)
帚木 蓬生
天平の世、大仏造営の命を受けて奈良へと旅立つ青年の苦難の人生を軸に、当時の人々の生き様が素朴で力強く描かれた良書
SPONSORED LINKS
MOBILE
qrcode
<< 不要不急老人の戯言(7) | main | 写真展始まる >>
まだまだわからん石見銀山 第42話 大久保長安の処断理由 続き

 次に、8⇔脇争説。

 これは、当時大久保忠隣(将軍秀忠年寄衆)と本多正信(大御所家康年寄衆)による権力闘争があって、一時本多正信が政権の中枢から外された、正信方はその復帰のため忠隣の庇護をうけた長安を排除することで忠隣の失脚を狙った陰謀だったとするものです。

 

 その背後には、更に三河譜代の家臣たちの権力闘争など複雑な事情がありました。これらの家臣たちは家康の関東入国後に新たに知行割を受け、また幕府の成立にあっては譜代大名にも再配置が実行される訳ですが、これらのことは家臣たちの相克を生みました。その結果、関ヶ原の戦の後井伊・本多・榊原などの上級家臣が幕政の中枢から遠ざかり、代わって関東内にとどまった本多正伸・大久保忠隣・酒井忠世らが幕政を担当することになりました。そこに、幕府直轄地の拡大にともなって長安が台頭してきたのです。

 

 また幕府成立間もないころですから幕府創成の功臣がまだたくさん生存していて、彼らは戦場で身命を賭して活動したいわゆる武功派に属する人たちであって、長安や本多正信など才気智謀によって台頭した事務官僚(いわゆる文治派)の増長に反感を抱いていたという事情もありました。

 

 しかし、権力闘争なら、いつの時代にもありました。その結果、敗者側は左遷、あるいは閉門蟄居などの処分が下されるのが普通で、古代でもない限り子息全員を切腹に処すなどという極刑にはなりませんでした。一族郎党に及んだ処罰はこの理由では説明がつきかねます。(続く)(Ng)

          長安墓所の案内板(大森町)

| ガイドつれづれ日誌 | 00:24 | comments(1) | - |
スポンサーサイト
| - | 00:24 | - | - |
コメント
 筆者(Ng氏)は、長安の死後、大久保長安一族が、徳川家によって処断された理由の一つとして、「権力闘争説」を挙げておられます。
 すなわち、『当時大久保忠隣(将軍秀忠年寄衆)と本多正信(大御所家康年寄衆)による権力闘争があって、一時本多正信が政権の中枢から外された、正信方はその復帰のため忠隣の庇護をうけた長安を排除することで、忠隣の失脚を狙った陰謀だったとするものです。』と書いておられるわけですが。

 山岡荘八氏によれば、本多正信・正純父子と、大久保忠隣・長安一派とは、互いに因縁の争いがあったとか。
 
 その一例として、本田正純の家臣である、岡本大八が有馬晴信をたぶらかして白銀6千両をせしめた事件があった。

 有馬晴信は、岡本大八に対して、『現在、鍋島家の所領となっている土地は元々は有馬家のものだった。これを返してもらえるよう、本多父子にとりなしてもらえないだろうか』と頼んだらしい。それで岡本大八は、賄賂を要求し、受け取った。

 この賄賂事件を裁いたのが、大久保長安であった。
 長安の裁定により、岡本大八は火刑に処せられ、大八の上司である本多正信・正純父子も、この白銀6千両の一部を手にしたのではないか、という疑いが持たれたという。
 
 本多父子にとって、家臣の岡本大八の汚職事件は痛手になり、同時に大久保長安に対し敵愾心を燃やす一因になったらしい。

| 沢村俊介 | 2020/07/03 11:39 AM |
コメントする