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まだまだわからん石見銀山 第41話 大久保長安の処断理由

 徳川家康は、様々に活躍した大久保長安の能力を高く評価した訳ですが、晩年には一転して警戒しだし彼の死後には彼を断罪しその一族を処罰してしまいます。何故でしょうか。実は、これにはいろいろな理由が論じられています。”埓輝F神癲↓▲リシタン説、8⇔脇争説、に堵神發覆匹任后

 

 史書には「大久保石見守が私曲の事、死後に露頭するにより、その贓罪(そうざい)を糺される」と書かれました。その私曲というのは、長安は武田家伝来の遺品を奪い、毒酒数石を貯えて叛逆の時機到来を待っていた、また長安の死後、側室への遺金分配をめぐり争いが起こり、その際夥しい金銀財宝の隠匿が発覚し、居間の下からポルトガルと通じた叛逆連判状が発見された、などが伝えられました。

 

 このうち”埓輝F神發任垢、長安が私財を不正に蓄財して隠匿したという内容です。彼は関東代官頭の一人になり大きな権限を持ちました。その後石見銀山、佐渡金銀山、伊豆金山の奉行に就任し、その間に本来幕府に貢納すべき公金を私財に流用し隠匿したということが言われました。確かに、そのような嫌疑が彼の生前にあって、死後実際に不正蓄財の調査が実施されています。

 

 しかし、江戸幕府成立間もないころには、まだ幕府財政の仕組みや奉行制度が明確に確立していなく、どこまでが公金なのかどこまでが私財なのかの境界は明確ではありませんでした。たとえば、長安には代官、手代、下代など多くの部下がいたのですが、彼らの俸給は長安の私財から支給するほか方法はなかったのです。このあたりの事情はおそらく家康をはじめ当時の関係者なら理解できたであろうと思われます。したがって、この嫌疑は何か口実というか表向きの理由のように思えます。

 

 ▲リシタン説。

 長安が鉱山情報や南蛮事情に精通し、ポルトガル人との交流があった事実をとらまえて生まれた説でしょうが、これはどうでしょうか。憶測にすぎないかもしれません。彼は石見と佐渡に大安寺(浄土宗)を建立しています。彼の葬送後にそのようなことにつながる事実があったのでしょうか。また長安が実はイスラム人だったという人もいますが、これは論外だと思います。(続く)(Ng)

            大安寺跡の案内板(大森町)

 

| ガイドつれづれ日誌 | 00:22 | comments(1) | - |
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コメント
 あの頃、西洋においては大航海時代であり、船長はスポンサーから資金を借りて船出をし、東洋に行って、香料、絹織物、陶磁器などを買って帰りました。
 むろん、帰国後は、船長はスポンサーに対し、会計帳簿とともに会計報告をしたものです。それをアカウンタービリティー(会計責任)と言ったようです。

 ところで、能吏であった大久保長安も、徳川幕府から金・銀の鉱山経営の初期費用として、資金を出してもらい、金や銀を掘り、精錬し、幕府の御銀蔵に納入していきました。

 当然、そこでは、勘定帳は書かれ、生産高とともにそこから諸経費が引かれ、幕府への運上金が明らかにされていきます。

 なお、作家・堀和久氏によれば、慶長16(1611)年頃、すなわち、大坂冬の陣・夏の陣の前、大久保長安は、金銀で500万両を徳川幕府に納めており、長安自身の蓄えとしては5万両ほどであった、と書いておられます。
| 沢村俊介 | 2020/06/29 12:36 PM |
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