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まだまだわからん石見銀山 第38話 南蛮人は当地に来たのか

 銀山が開発された戦国時代、石見銀山で産出された銀は、当時の言葉で「南蛮人」(つまりポルトガル人)によって中国「明」に輸出されました。そのポルトガル人は交易のために平戸、長崎、博多には出入りできたけれども、当地には来なかったのではないかというのがこれまでの定説でした。その後日本に来たキリスト教の宣教師も国内に上陸して布教に当たったとされるものの、領主の許可がなければどこにでも行けたのではないと思われていました。

            南蛮人

 

 しかし、研究者の間で史料を解析しているうちに、宣教師以外はどうもそうではなく、石見に来た可能性があることが令和元年(2019)にわかりました。これはスペイン国立文書館に残されていた文献(1587年7月4日付)があって、東京大学の岡美穂子准教授によって確認されたもので、スペイン語で「イワニ国、銀が大量にある。当地にはポルトガル人が来航する」と記されていました。

 

 江戸時代の話ですが、大久保長安もこれら南蛮人と接触があって、その鉱山技術を習得したのではないかという論者がいます。また、これは小説の世界ですが、長安はムスリムであるという極論者まで出ました。筆者には理解できない部分も多いのですが、あの長安のことですから西洋の情報を直接取り込むルートを持っていた可能性は否定できないと思います。

 

 また、江戸時代は厳しいキリシタン禁令政策が布かれた訳で、そのため寺請檀家制度が徹底されたにもかかわらず、銀山の中に秘かに十字架を彫り込んだ墓標や地蔵が発見されています。有名なものは畑口番所付近にあるお地蔵さんで杖に十字架マークが掘られています。また勝源寺に保管されている地蔵にも十字架マークが見られます。キリスト教の宣教師が銀山に来たとは思えませんが、潜伏キリシタンはいたのかもしれません。(Ng)

| ガイドつれづれ日誌 | 00:24 | comments(2) | - |
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コメント
 筆者(Ng氏)は、上記に『江戸時代の話ですが、大久保長安もこれら南蛮人と接触があって、その鉱山技術を習得したのではないかという論者がいます。筆者には理解できない部分も多いのですが、あの長安のことですから西洋の情報を直接取り込むルートを持っていた可能性は否定できないと思います。』としるしておられます。

 ところで、平成7(1995)年に島根県大田市大森町に取材に来られ、『大久保長安』(PHP)を書かれた齋藤吉見氏によれば、天正10(1582)年に、大久保長安は、安土の南蛮寺にて、ポルトガル人の「テッピ・ヨウズ」や博多商人の神屋善四郎(=後の神屋宗湛)と会っているようです。

 また、大久保長安は、南蛮人より手に入れた、「DE RE METALLICA(デ・レ・メタリカ)」(鉱山技術書)なる書物を読んでいた、とも齋藤吉見氏は書いておられます。

 慶長5(1600)年、関ケ原の戦いのあと、大久保長安は、石見銀山に進駐し、銀山において横相(よこあい)という水抜きをする坑道を、谷間から間歩へと掘り進んだりもしています。
 むろん、そのような工法を用いるには、かなり高度な測量技術を必要とするらしいのですが、大久保長安には、武田信玄に仕えた頃に得た甲州流の土木技術や、ポルトガル人の「テッピ・ヨウズ」らを通じて修めた鉱山技術があったのだろうと、斎藤吉見氏は書いておられます。
| 沢村俊介 | 2020/06/19 2:15 PM |
 補足情報をいただき有難うございました。大久保長安については、この後第39話から第43話まで4話にわたって自説を述べます。ご期待ください。
| Ng | 2020/06/19 5:17 PM |
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