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まだまだわからん石見銀山 第30話 佐毘売山神社のこと その四

 佐毘売山神社は旧美濃郡から分霊を受けて、最初は休谷というところに鎮座しますが、「その場所宜しからず」ということで後に昆布山谷に遷りました。何故休谷に一旦鎮座させたのか、何が「宜しからず」なのかはよくわかりません。しかし、何かの事情があったものと思います。

 

 その事情を知る由はありません。銀があったのは石銀・本谷と仙ノ山の西北斜面(つまり昆布山谷方面)であり、銅があったのは同じく昆布山谷方面です。石銀ではなく、また昆布山谷でもなく、休谷に鎮座させた理由はどういうことだったのか、謎です。また後に昆布山谷に遷すことになるのですが、そこにはどういった事情があったのかも謎です。

 

 その後何十年か経って神屋寿禎が同じ仙ノ山で銀を「発見」したということですから、それまでの銀・銅の産出は忘れ去られる程度の規模だったのでしょう。つまり都茂鉱山の技術をもってしてもなかなかうまくいかなかったのではと推察します。

 

 その要因について更に推察が許されるとするならば、次の二つをあげてみたいと思います。

 第一に、佐毘売山神社が最終的に鎮座した昆布山谷・栃畑谷で銅を狙ったとするならば、それは永久鉱床の銅鉱石を採掘しようとしたと思われます。しかし、後に述べるように(第55話)銅鉱石は鉱脈鉱床ではその生成温度が比較的に高く、地中のより深いところに多く存在します。15世紀の技術では永久鉱床を地中深く穿つことができなかったのではないかということです。

 

 第二に、都茂鉱山と石見銀山は同じ銅といっても鉱物の性質がやや異なります。都茂鉱山はスカルン鉱床という鉱床に存在する酸化銅系の銅鉱石が多いのに対して、石見銀山は鉱脈鉱床(鉱床についてはこの後第55話で説明します)に存在する硫化銅系の銅鉱石です。硫黄分の除去に難題があったことも考えられます(ただし、都茂鉱山近くにあった大年ノ元遺跡では、後期には硫化銅鉱を製錬していることが確認された)。いずれにせよ、宿題として今後の研究に待ちたいと思います。(Ng)

             仁摩町大国から見た仙ノ山

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コメント
 古代の石見では、渡り鳥の雁が、鍛冶の神さま(金屋子の神)を乗せて降臨して来るという伝承があるようです。
 郷土史家の故・石村勝郎氏は、自著の「歴史の落穂拾い」において、
「佐比売山神社が鈩の神様だった証拠に、石見銀山に入っていた周防の大内氏が永享年間(1429〜1440年)に、比礼振山の佐比売山神社の神霊を、石見銀山に勧請している」と書いておられます。
 また、石村勝郎氏は、「朝鮮半島から渡来した、鉄の技術集団は、女性のシャーマンを中心として、倭国において鉄資源を探し求めて歩いていたのでは」とも書いておられます。
 
 では、渡来人たちが日本列島(倭国)に鉄資源を求めてやって来たのはいつ頃のことでしょうか?

 鳥取県青谷町にある「青谷上寺地遺跡」には、多量の人骨が発見され、その中には戦闘による殺傷痕のある頭蓋骨もあったらしいです。つまり、2世紀後半、「魏志倭人伝」に言う「倭国大乱」(後漢書東夷伝ではAD147〜189年)があったことの、一つの証左ではないかと言われています。
 頭蓋骨の殺傷痕から見て、この頃の戦闘において倭国でも鉄製の刀剣などが使われていたのでは、と僕は考えています。

 また、松江市宍道町の上野彊篝廚ら出た鉄斧、鏃などにより、古代出雲では3世紀頃には鉄器が作られていた、と言われてもいます。
 
 高校の日本史の教科書では、4世紀に大和政権は朝鮮半島の伽耶(かや)に日本府を置き、鉄資源を求めた、とあります。そして、391年には高句麗好太王の碑文にあるように、倭軍が朝鮮半島に出兵しています。
 
 以上、戦闘のための鉄というなら、鉄の技術を持った渡来人たちが倭国に渡来してきた時期は、紀元後(AD)1世紀あたりと推察されますが、一方、稲作が始まり、その生産を高めるために紀元前(BC)100年頃に青銅器や鉄器が大陸から伝わったとすれば、それら鉄の技術集団は、紀元前には、すでに倭国にやってきていたのかなと推量しました。
| 沢村俊介 | 2020/05/23 2:55 PM |
 考古学的には、日本列島では青銅器も鉄器も弥生早期から使用が始まったとするのが通説です。その弥生早期を絶対年代でいつとするのかで論争があります。

 比礼振山の佐毘売山神社の主祭神は5柱ですが、元はサヒメ信仰がベースにあったとするのが筆者の持論です。つまり、穀物神オオゲツヒメの末娘サヒメが朝鮮半島から穀物をもたらしたという伝承が土台にあって、その後金山彦や金屋子神らが加わったものと思われます。言い方は悪いけど、歴史を経る過程でいろんな神さんが集合した状態だと言えます。そのなかで、15世紀に金山彦命が石見銀山に分霊されたのでした。
| Ng | 2020/05/23 8:20 PM |
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