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まだまだわからん石見銀山 第28話 佐毘売山神社のこと その二

 またまた佐毘売山神社の話に戻ります。この神社は1434年(永享6)に旧美濃郡から分霊されています。佐毘(比)売山神社は、現在大田市内に石見銀山のほかに2社あります。三瓶町多根と鳥井町にあります。また三瓶山は嘗て佐比売山と呼ばれ、その周辺にも複数の佐比売山神社が鎮座していました。

 銀山の近くにこれらの佐比売山神社が存在するのに、なぜわざわざ遠くの美濃郡に分霊先を求めたのでしょうか。

 

 そこには鉱山の産出品種に関係があると思います。佐毘(比)売山神社の祭神は鉱山神金山彦命です。しかし、多根と鳥井町の金山彦命はたたら製鉄の守護神です。石見銀山で採掘された銀・銅とは産出品種に違いがあります。一方旧美濃郡の金山彦命は、近くにあって平安時代から銀・銅を採掘した都茂(つも)鉱山と関係しています(註)。その違いがあるのではないかと思っています。

           佐毘売山神社(益田市乙子町)

 

 都茂鉱山は現在の益田市美都町にありました。『続日本後記』や『日本三代実録』にも出てくる古い歴史を持っています。9世紀ごろから採掘が始まって途中休山を繰り返しながら昭和62年(1987)まで操業した大規模鉱山でした。都茂鉱山には守護神社として同町丸山にあった葛籠丸山山神社(通称:山神社)が知られていますが、鉱物の物流ルート上にあって益田市乙子町(旧美濃郡益田郷)にある比礼振山の佐毘売山神社も同じく重要な役割を持ったと考えられます。

 

 また、ご祭神の分霊とは、養子をもらい受けるのとは訳が違います。通常は信仰の引継ぎがあって、神職や氏子に相当する人たちの異動を伴っています。そこで、筆者は旧美濃郡からの分霊には、それを信仰する人々の異動があったと推定しました。これまで文献などで裏付けをとることはできていませんが、都茂鉱山の職人と技術の異動があった。特に、15世紀という祭神の分霊時期を考えると、その頃は国際情勢を背景に国内で銅の開発熱が高まった時期に当たります(第35話ご参照)。その銅の開発にかかわる人々と技術の移転があったと考えました。同様のことを、村上勇氏(三次市奥田元宋・小由女美術館館長、島根県文化財保護審議委員)も主張されています。(Ng)

 

 (註)益田市の佐毘売山神社は木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)、金山彦命など5柱の神々が主祭神です。農耕神、航海守護神、鉱山神などの性格を持ちます。『銀山旧記』の「雑記」には、その金山彦命を「惣して金物精霊の御神なり」と書かれ、銀銅のことには触れていません。なおかつ社伝には都茂鉱山のことが出てきません。しかし、社の由緒書には「益田越中守も代々厚く当社を信仰され中古より此の地は益田より都茂に至る街道として人馬の往来も多く」と記され、都茂との係わりが述べられています。

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コメント
 元明天皇の和銅1年(708年)に、武蔵の国から和銅(熟銅)が献じられ、これをきっかけに和同開珎という銅銭がはじめて鋳造されたらしいです。
 また、この年に銀銭も鋳造されたらしいです。もっとも、翌709年に銀銭は廃止されていますが。

 ところで、東大寺の大仏の鋳造は天平19年(747年)9月に開始され、天平勝宝元年(749年)10月に終了したらしいです。
 この大仏を作るため、炉を持ち込み、高温で銅を溶かし、外型と中型のすき間に、溶けた銅を流し込んだらしいです。

 そうした大仏建立に用いられた銅の量は約500トンと考えられていて、その時に用いた銅は西海から集めたとされており、銅のほとんどは山口県の長登銅山やその近隣の銅山で産出された銅でまかなわれたのではないか、と推察されているようです。
 いずれにしても、銅や銀を生み出した人々の苦労や歴史の古さを感じさせられます。
| 沢村俊介 | 2020/05/16 11:26 AM |
 長登銅山研究の第一人者池田善文氏によると、大内氏は15世紀勘合貿易で銅を重要品目として認識し長登銅山に深く係わったということです。

 都茂鉱山は益田氏の鉱山でありながら、大内氏も当時何らかの関係を持っていたと思われます。ただし、都茂鉱山の職人や技術が石見銀山に移転したということに言及した文献などは見付かっていません。よって、この話は、残念ながら今のところ想像の域を超えていません。
| Ng | 2020/05/16 1:13 PM |
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