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まだまだわからん石見銀山 第14話 廻国聖と石見銀山

 勧進聖(=廻国聖)は中世から近世において石見銀山のあったこの地にも当然遊行したものと思われます。この地に多くの高野山真言宗の寺院があるのも、その一つ高野聖の影響があったものと見られます。

 

 この聖たちは信仰を広めること(=勧進)がその重要な目的であったことは勿論ですが、その遊行による副作用として各種の技術知識や情報をも当地に持ち込んだことがあげられます。鉱山技術や銀・銅の市場に関する情報もその一つだと思われます。石見銀山に具体的に何をもたらしたのかはわかりませんが、その活躍ぶりは想像できます。

 

 実際16世紀の事例として、『高野山浄心院過去帳』という史料があります。これは高野山に残る過去帳で、後に高野聖が勧進のために銀山に来て利用したものが残っています。これにより当時の石見銀山の住人の実態がわかる貴重な史料です。この過去帳によれば、天文(1532〜1555)や永禄(1558〜1570)のころ栃畑や銀山で備中や博多から来た人(複数)が亡くなっていることがわかります。いずれにせよ廻国聖がやって来ていろいろな活動をしていることを裏付けます。この過去帳については、後ほど折に触れて引用します。

 

 また、大田町にある大田南八幡宮には法華経の写経を収納する経筒が残っています。廻国聖(「六十六部廻国聖」)が奉納したものです。これも戦国期当地に廻国聖が来たことを物語る訳ですが、その内容から開発当初の鉱山町成立の様子がわかる一級の史料といえます。そのなかでも、石見銀山が「発見」されたとする1527年以前に、石見銀山で製錬事業をやっていたという備中出身の「吹き屋」のことが書かれた経筒が注目されます。このことも後の話で採り上げます。(Ng)

六十六部廻国聖。全国66ヶ国の霊場を巡礼し法華経を奉納した。

| ガイドつれづれ日誌 | 00:18 | comments(2) | - |
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コメント
『廻国聖の遊行による副作用として各種の技術知識や情報をも当地に持ち込んだ』」というのは、興味深いことですね。例えば、廻国聖が全国の鉱山における状況、例えば周囲の山並みがどうで、周りにどういう草木が茂り、山頂の石(火山岩の種類、鉱物の含有率)の表面の具合がどうで、という様々なことから推測し、ここ(石見銀山)でも、掘れば銀鉱石が出てくるかもしれないと予言したりしたのかな、と想像しました。

『1527年以前に、石見銀山で製錬事業をやっていたという備中出身の「吹き屋」のことが経筒に書かれていた』とありましたが。古代においては、吉備や備中が製鉄の中心であったようで、その後中世になると出雲、石見、安芸の辺りでも製鉄が行われるようになったと聞いています。そうであるならば、石見銀山は、島根県大田市大森町という限られたエリアではなく、全国の様々なエリアから集まった、様々な人たちの知恵や手から、育ってきたのかなと、思いました。
| 沢村俊介 | 2020/03/28 10:35 AM |
 沢村さん、引き続きのコメント、有難うございます。石見銀山に関心をお持ちで、こうして当会のブログにも目を通していただき嬉しく思います。

 廻国聖が石見銀山に来たのは事実ですが、彼らがそういった情報を本当に提供したのかどうかまでは確認がとれていません。でも、全国の情報に精通していたであろう聖たちにしてみれば、そういったことは十分ありうると思います。

 備中出身の「吹き屋」が神屋寿禎の「発見」前に、既に石見銀山に来ていたとは不思議な話ですね。「発見」以前にも採掘活動があったことは間違いないでしょう。

 お説のように、石見銀山ではいろいろなところから来た人たちが鉱山事業にあたりました。吉岡出雲は和泉の出身、宗岡佐渡は長門の人でした。そのようななかで備中の人が多かったことは注目に値します。
 既に第6話で安原伝兵衛のことに触れました。彼は備中早島の人です。また後の話(第21話)で採り上げますが、於紅孫右衛門事件に関係した吉田・於紅などの山大工(鉱山技術者)も備中に出自があると言われています。

 備中は古代からたたら製鉄やベンガラ生産、銅採掘で鉱山事業が盛んな地域でした。山師なども多かったのではないかと思います。
| Ng | 2020/03/28 12:57 PM |
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