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まだまだわからん石見銀山 第6話 天池寺の創建とその後

 『石州銀峯山清水寺天智院縁起』によれば、天池寺は推古天皇の時代に創建されたとされています。推古天皇が「上宮太子(=聖徳太子)に勅して一仏堂を池のほとりに建て天池寺と号す。更に太子をして自ら観音の像を作らしめ以って天池寺に安置す」とあります。

 

 しかし、この推古天皇の時代の創建というのは明らかに疑問です。つまり、推古天皇と言えば、飛鳥時代の天皇です。太子が建てたといわれる四天王寺や法隆寺と同時代にこのような地方に寺院が建てられたというのはどうかということです。おそらく聖徳太子信仰にあやかって後の時代にそういう話が生まれたものと考えられます。

 

 いつのことなのかはわかりませんが、この寺は清水谷という谷の山稜中腹のようなところに移転しました。その移転の理由も筆者にはよくわかりません。移転先には現在でも広い境内跡が残されており、庭跡や僧の石塔墓も確認できますので、その場所は特定できます。清水寺は明治時代になって更に休谷に降りて現在に至っています。この寺は高野山真言宗に属します。

                   清水谷の清水寺跡


 一方、清水寺には慶長4年(1599)の寺建立の棟札があるそうです。そこには、毛利輝元が清水寺の本堂を建てた、その施主は安原田兵衛知種、孫十郎徳忠であると述べられているとか。また安原家に残る別の記録によると、田兵衛は自分の家(本谷にあった?)の隣地に寺を建てて清水寺を仙ノ山からそこに遷して再興したとする文書もあるそうです。

 

 さて、天池寺が飛鳥時代に創建されたという話はともかくとしても、かなり古い時代に創建されたという伝承があったことは認める必要があろうと思います。しかも、仙ノ山という山が霊峰であるという意識があってそこを創建の場所としたことが考えられます。

 

 仙ノ山がなぜ霊峰であったのか。仙ノ山をはじめとする大江高山火山群には他にも数々の深山幽谷の山々があるのですから、それはすぐにはわかりえないですが、想像をめぐらせば銀があった峰は仙ノ山だけです。やはり古い時代から銀の採掘がなされて、その採掘にかかわる信仰と関係していると推定できます。その信仰とは修験道と勧進聖(かんじんひじり)活動だと思います。次話ではその修験道を、その後に勧進聖を取り上げます。(Ng)

     大屋町から見た大江高山火山群の連峰。仙ノ山は左の尾根状の峰。

     中央に山吹城があった要害山とその奥に大江高山が見える。

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コメント
 補足ですが、慶長4年の寺建立の棟札にいう建立の場所、そして別の文書にある安原田兵衛が寺を再興したとするその場所がわからないということです。それと清水谷の旧清水寺との前後関係もよくわかりません。
| Ng | 2020/02/10 2:10 PM |
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