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能仁寺山の城跡をたずねて

 去る11月7日の木曜日に、仁摩公民館担当の大田歴史講座が開かれました。

 石見城に立て籠もる尼子軍と、能仁寺山に陣を張る毛利軍の合戦を背景にした歴史講座のフィールドワークでした。

 参加者は、当日の欠席者が2名ありましたので、スタッフを入れて51名となりましたが、今年度の大田市の公民館主催の歴史講座では最も多い参加でした。

 

 仁万まちづくりセンターのロビーで歴史講座の開会式と注意事項などがありました。

 

 石見城跡(尼子軍)の石見山(龍巖山)から能仁寺山(毛利軍)が一望できます。

 

 逆に、能仁寺山(毛利軍)の中腹から石見城跡(尼子軍)のある石見山も一望できます。

 

「仁摩町ふるさと伝承記録」にも載っていますが、現場の状況からも、尼子軍と毛利軍は、互いに約3kmを隔てて対峙するように、二つの山を利用して陣を張っていたことが分かります。

 

 能仁寺山から2〜3km東に、宅野(大田市)という町があります。宅野は、平安時代に書かれた和名類聚抄によると「宅野郷」として載せられています。

 中世の鎌倉、室町時代では、宅野郷は益田家文書によれば「宅野別府」と言われ、宅野氏が居住していたとあります。

 能仁寺山の兵は、その宅野氏の流れをくむ毛利派の兵と言われています。 

 

 能仁寺山の山頂の山城跡から日本海が一望できます。

 北側に位置する写真の島は、右から韓島・麦島・逢島(おおしま)です。

 

 戦国時代の尼子氏・毛利氏は、共に水軍を備えていました。

 どちらが銀山を支配しても、能仁寺山から狼煙を上げれば、石見城を通して根城(本城)の山吹城へ、海からの情報を即座に伝達することができたのです。

 日本海側から攻めてくる敵から、石見銀山を守り防御するには、この二つの山城は、必要不可欠な山城(砦)だったことが想像できます。

 

 参加者の半数近くは、70代の皆さんだったような気がします。80代の方もおられました。大田の歴史講座は今年度で2回目ですが、大変人気の講座のようです。

 山歩きや講座を通して元気な高齢者が増えて、語り継ぎが伝わる社会がくればいいなと思います。 文 責(T)

 

 

 

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