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方言がつなぐ庄内地方

 先日、庄内地方(山形県北西部)から来られたバスツァーのお客さまを、龍源寺間歩コースでご案内しました。

その中に、男性のお客さまでしたが、石見地方に大変興味を持たれた方がおられました。

 坑内の「ひ押し掘り跡」を下から見学して頂くために、

「しゃがんで下さい」と、うっかり、石見弁を使ってご案内しました。「しゃがんで」は「中腰で座って」の意味の石見方言です。その方は、山形県でもよく使われる言い方ですよ。とおっしゃっていました。

 その他にも、山形県に石見と似通った方言はあるようです。

 

 江戸時代の後期19世紀になると、石見の東部地方の海岸部では廻船業が盛んになりました。

 

 上の写真は、大田市・和江の港(浦)ですが、かつて、ここに廻船(北前船)が往来する廻船基地がありました。

 

 

 保有船の数の多い港(浦)として、大田市内の久手浦、鳥井浦、和江浦、宅野浦、神子路浦、温泉津浦の6カ浦が、寛政3年(1792年)の廻船問屋の文書から確認できます。当時の石見地方・大田市の海岸部には、多くの主要廻船基地が実在したことになります。

 その廻船業者の活動範囲は、100石積船(約15トン)以上では、庄内地方や新潟などの比較的遠隔地での操業でした。

 

 文書によると、庄内地方や新潟から石見に移入された物資は、米が最も多く、その他は塩や塩相物などで、対する石見からの移出品は銑鉄や瓦となっています。

 当時の石見の商人は、銑鉄を元手に庄内地方の米を買い入れて、石見に持ち帰り販売していました。米の生産量が豊富な庄内地方の米価は安く、石見地方は庄内に比べて高価でした。

 その販売価格の差額で高収入を得ていたことが、廻船問屋の文書でも確認できます。

         (昨年の大田市歴史講座の資料より)

 

 日本海側が日本の表玄関だった江戸時代、物流を通して、盛んに石見と庄内の人々は往来し交流していました。

 石見地方と庄内地方の方言に、似たところがあるのは、かつて、人の交流が盛んだった証しかも知れません。

                  文 責(T)

 

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