早春の風物詩として親しまれてきた中国地方では「山焼き」、九州では「野焼き」とよばれる草原の火入れが盛んに行われる季節です。三瓶山西の原では、3月26日に行われようです。
わが国の草原面積は、明治から大正時代にかけて国土の10〜12%も占めたようですが、現在ではゴルフ場などを含めてもわずか1〜2%程度になっています。これは、昭和30年代の高度経済成長期に、家畜の飼料や田畑の緑肥、屋根などに利用されてきたススキなど草の利用が激減したためです。その結果、草原にはスギ、ヒノキなどが植林されたり、利用されずに放置された草原は極相である常緑広葉樹林に遷移し、ほとんどの草原は消滅してしまいました。島根県でさえも古いカヤ葺き屋根の家屋を保存するためのススキの供給は県外に依存している状況です。
それでは、かっての広大な草原面積はどのようにして維持・管理されていたのでしょうか。刈取りや放牧などの利用の他、大規模な草原(ほとんどが共同利用された入会地)では火入れなどの人為圧により草原景観が維持されてきました。このなかでも、もっとも効果的で省力的だといわれるのが火入れです。火入れによって、火に弱い低灌木類が痛めつけられ、火に強いススキなどの草が生き残ることになるのです。
ところが、この草原景観を維持するための究極の手段である火入れさえも、今危機に瀕しています。草原に火を放てばいいという簡単なことではありません。火入れをする場合には、近隣に燃え移らないようにするため、あらかじめ周辺の草を刈取り、幅およそ10メートルくらいの防火帯(秋吉台では火道切り、阿蘇地方では輪地切りなどとよばれています)をつくっておく必要があります。実は高齢化が進んでいる地元民にとって、これが大変な重労働なのです。加えて、山焼きには危険がともない、例えば草原の延焼速度は強風下では人が走る速さ以上だといわれているほど危険な仕事です。そういえば、昨年三瓶の山焼きで消防車が1台焼けてしまう事故がありました。
今や山焼きの遂行は住民の力だけではどうにもならない状況になっています。伝統的な山焼きが行われている地域では、今やボランティアの力が不可欠になっています。地域によっては、これを機会に地域の古老の知恵と都市の若いパワーが連携する動きが活発化しています。草原の開放的な景観の魅力と、絶滅危惧に瀕している草原に生きている多くの動植物たちと共存しながら、持続的な草原農業をとおして国土を保全しようとする市民運動が展開しつつあります。(O)
俳句の世界では、枯れ草を焼いて真っ黒になっている草原の状態を末黒野(すぐろの)といい、春の季語になっています。火事跡のようなくすんだ所が、やがて緑なす草原に帰っていくという、本格的な春を待ちわびる人の心に重ね合わせたような季語です。
暁の雨や末黒野のすすき原 蕪村