<< April 2019 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>

カテゴリー
最新の記事
最新のコメント
最新のトラックバック
月別の記事
リンク
サイト内検索
その他
美味しんぼ 109 (ビッグ コミックス)
美味しんぼ 109 (ビッグ コミックス) (JUGEMレビュー »)
雁屋 哲
著名なグルメ漫画に『日本全県味巡り 島根編』が登場しました。石見の食の幸も色々紹介されています

国銅〈上〉 (新潮文庫)
国銅〈上〉 (新潮文庫) (JUGEMレビュー »)
帚木 蓬生
天平の世、大仏造営の命を受けて奈良へと旅立つ青年の苦難の人生を軸に、当時の人々の生き様が素朴で力強く描かれた良書
SPONSORED LINKS
MOBILE
qrcode
<< 東大寺の大仏と石見銀山 | main | 春らしい快晴の天気の中で・・・・ >>
地方から見たシステムP5

 幕府の改革は石見にも当然波及してきます。一つに「地役人」の問題があります。奉行時代から幕府は石見陣屋の地役人が多すぎると言っています。銀の生産量は激減しているのに百名ばかりの地役人は多すぎるという事です。しかし、この問題は一筋縄では踏み込めないのです。

当初、大久保、竹村奉行時代は、年貢計算の基となる「検地」のために必要であった「地役人(現地役人)」も幕府から見れば用済みの無用の長物的な見方もできます。銀生産にも100名は多すぎます。現地(石見)で地役人を削減したくても代官一人で百名の地役人相手では当然大きな抵抗に遭いおいそれと出来ないことは当然と言えば当然です。歴代の奉行代官はこの問題に手を付ける事が出来ませんでした。下手に行えば混乱は必定、それよりも数年の任期を無難に過ごしたいのは理解できますよね。

銀山付役人・加藤家

 しかし、この難問に着手したのが、27番目(26番表記もあり)天野助次郎代官でした。かれは、地役人の名跡売買に目を付け(名跡売買とは、有力百姓と養子縁組し自らは百姓から大金を受け取り隠居と称して、地方に下り、代わりに養子となった者が地役人として勤務)。色々すったもんだもあったでしょうが、百名の地役人総リストラ、再雇用となり20名が削減、またそれまでばらばらであった給料も役人30俵同心・15俵・仲間8俵に抑えられました。私が個人的に計算したところ、1728年(享保13)と1752年(宝暦2)では総額で518俵の経費削減となっていました(公式な数字ではありません)。

銀山付役人・川島家

 また、これを機に地役人の身分は大きく変わりました。役職は世襲ではなく「父籍番代」、一言で言えばそれまで家に支払われた給料が(譜代)、人に支払われる形です。父が隠居すると、その空席に息子が着く、表面上変わりが無いようですが、身分的には大きく変わります。これらも、代官一人が出来るものではなく当然幕府の構造改革が地方に波及した表れと見るべきでしょう。

このように地方優位のシステムが、中央(幕府)主導の構造に、少しずつ少しずつ変えられていったのです。(銀)

銀山付同心・柳原家

 

| 銀山 むかし語りいま語り | 00:01 | comments(2) | trackbacks(0) |
スポンサーサイト
| - | 00:01 | - | - |
コメント
 天野代官は代官所のリストラを断行しました。その実行には大変なご努力と気苦労があったものと推察します。リストラの対象となった当事者にはまことに気の毒なことですが、組織と社会の維持のためにはこのような変革が必要です。変革には、残念ながら犠牲を伴うことが少なからずあります。

 そういう変革を進める人が真の指導者だと言えます。指導者が偉大であったと評価されるのは後世のことであって、同時代には汚れ役であったりするものです。天野代官はこの汚れ役を引き受けたと思われますが、彼には高い使命感と実行力があったと想像します。
| iso800 | 2019/02/24 11:52 AM |
当にその通りと思います。現に、遠国奉行(佐渡奉行)勘定奉行などの異例の大出世していたとか。石見銀山陣屋に赴任した代官優秀な代官が目立ちます。最後の勘定奉行加藤代官、石見銀山を立て直し勘定吟味役まで出世した川崎平右衛門定孝、勿論井戸代官も優秀な代官の一人ですね。
| Ginji | 2019/02/26 7:24 PM |
コメントする









この記事のトラックバックURL
http://iwami-gg.jugem.jp/trackback/3323
トラックバック