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地方から見たシステムP3

 幕府創生期は代官頭の下に小代官(呼び名は一定していなかったようです)的な者がいますが、彼らは在郷の有力者で現地に精通したもので、いわば税金徴収請負人的で多くは世襲でした。また村々には代表者数名がいたようです。幕府(奉行)と村々の間に小代官がいる地方主導型から、徐々に幕府の派遣する代官(官僚型)に移行し幕府主導型と変化するのですが、大きな権力を持つ幕府と云えども、改革を一気になすことは出来ません、徐々に少しずつ変えていったのが17世紀(1600年代)でした。

 幕府創生期に大活躍をなした代官頭も、2代将軍秀忠になるとその役目を終え徐々に消えてゆきます。大きな権力を世襲で受け継ぐのは不正の温床になりやすいでしょうね。個人的な見解ですが大久保長安の死後一族が粛清されたのは、大久保家の大きな権力を排除する目的もあったのではないかと思います。17世紀の徳川幕府は粛清の時代といっても過言ではないですね、現に当初2百万石余りの幕府領は改易等の粛清により4百数十万石に膨らんでいます。

一方石見銀山では、二番目奉行は大久保長安配下の「竹村丹後道清」その後、息子の「竹村籐兵衛」が奉行となり「京極若狭守忠高(松江藩主)」の預かりをはさみ「杉田九郎兵衛・六之助・又兵衛」と血縁者が奉行になっていますが注目すべきは竹村、も杉田も大久保長安の配下であった事です。その後「山高」「永田」と奉行が続いた後10番目「柘植伝兵衛」から代官となりました。これらから、従来の慣例を一気に変えるのではなく徐々に変えているのがうかがえるのではないでしょうか。(銀)

今も現存する、代官所・門長屋

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