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サツマイモのルーツ

 江戸時代に起こった享保の大飢饉に、食料用としてサツマイモ(甘藷)が役立ったことから、お客さまから日本に伝わってきたサツマイモのルーツを尋ねられたことがあります。

 

 メキシコを中心とする熱帯アメリカで生まれたサツマイモは、紀元前から南アメリカのアンデス地方まで栽培されていました。

 16世紀の初めの大航海時代に持ち帰り、ヨーロッパへ伝わりましたが、気候が合わず、あまり普及しなかったようです。その後、インドや東南アジアの暖かい植民地に持ち込まれたことで世界中に広がりました。

 どういう経路をとって、ヨーロッパからアジア大陸の各地に伝わったかは不明のようですが、シナ(今の中国)の国に伝わった時には、サツマイモが赤いものであったため史料は、「甘藷」を「朱藷」として記述されているものもあるようです。

 

 日本には17世紀の初め、中国から琉球(今の沖縄県)に伝えられました。

 琉球から薩摩(今の鹿児島県)にも伝わって栽培されていたので、甘藷のことをサツマイモ(薩摩芋)と呼ばれていますが、琉球から薩摩に渡ってきた当時は、カライモ(唐芋)と呼ばれていました。

 当時の薩摩の国では、海の外の国々をカラ(唐)と呼び、サツマイモはその地から渡ってきたことによる名です。また、中国での名前と同じ、そのまま「甘藷」とも呼ばれていました。

 

        サツマイモ(甘藷)

 

 石見銀山のサツマイモの伝播は、享保17年(1732年)に銀山の代官・井戸正明公が享保の大飢饉を乗り切るため、薩摩から種芋を取り寄せ、食料用として普及させたことで知られています。

 ところが、薩摩は国産(薩摩芋含む)を外に持ち出すことは、厳しい国禁となっていました。したがって、井戸公は直接取り寄せることが叶わず、幕府の力を借りて、種芋を薩摩から取り寄せたと考えられています。

 しかし、井戸公は代官の着任時(1731年)に、石見銀山の大飢饉による窮状を目の当たりにしています。対策を急がなければならず、江戸や薩摩間の往復路の交渉で時間が掛かるこの手続きをしていては、救済は難しかったのではないかというのが筆者の推測です。

 

 享保の飢饉対策のひとつとして、江戸で幕府もサツマイモの普及を奨励しています。

 井戸公が薩摩から取り寄せる5年前の享保12年には、既に八丈島に薩摩芋種がもたらされ、栽培が成功し生産されたと「八丈島年歴抜書」に記述されているようです。

 これも幕府による手配のひとつですから、サツマイモを八丈島に送った先覚者がいて広めたことになります。

 よって、実際には享保年間の初期には、既に薩摩から江戸にサツマイモはもたらされていて、江戸で生産された種芋を直接、石見銀山へ持ち込んで享保の大飢饉を救ったとする大胆な推測もできるのではないかと思います。    

                  文 責(T)

 

 

(参考文献)

   宮本常一著の「日本民衆史(全7巻)」

   の「甘藷の歴史」

 

 

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