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ザビエルが目の当たりにした日本

 応仁の乱(1477)以降、百年以上にわたる戦乱によって国土は荒廃し、水害、旱魃、地震など天変地異も加わり、飢餓、疫病などにより多くの民衆が犠牲となりました。まさに、この乱世のさなかに西洋からキリスト教が入ってきました。沖浦和光著「宣教師ザビエルと被差別民」(筑摩選書)では、当時なぜキリスト教徒が増加したかについて、次のような解説があります。

ザビエルが所属していたイエズス会とその後訪れたフランシスコ会は、故国では社会奉仕活動を重点的に実践し、腐敗、堕落した当時のキリスト教精神の再生を図ろうとした会派であったということです。日本に派遣されたこれら宣教師たちによって、乱世を極めた当時の日本で、戦争孤児の施設、学校の建設、また生活困窮者の救済活動に全力を傾け、さらには日本人医師の養成をも行いました。また、全国に7つの病院が建てられました。宣教師たちは、大名の入信に力を入れた一方では、さまざまな差別に苦しむ底辺の人達がこぞってキリスト教に入信したということです。いつの世の中でも階層差別、職業差別、男女差別などの差別が厳然と存在し、その中でも、もっとも普遍的で根深い差別がライ(今でいうハンセン病)患者に向けられたものです。この点、ライ患者の救済は特別な意味を持っています。宣教師らが建てた病院の多くはハンセン病患者のための病院であったということです。当時の社会的弱者がキリスト教の教えに共鳴したとしても不思議はありません。

ところでこの混乱期に、人々の心の安寧を希求する仏教は何をしていたのでしょうか。仏教は被差別民の救済には無力だったのでしょうか(O)。つづく。

| ガイドつれづれ日誌 | 02:05 | comments(1) | trackbacks(0) |
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コメント
トン!チン!カーン トンチンカーン!
槌が鳴るう
法を蹴り 理屈越えて 滑舌悪く 軽いオツム
ごますりも高らかに 軍拡進むよ そーりの遊び
トンチンカン! トンチンカン!団結だあ!
今日も気楽なそーりの遊び
トンチンカン!トンチンカン!鑿(のみ)が鳴るう
さあさ 行こうよ 天国へ!
(晋美歌19番:『シンタが穴からやってきた』より)

全くの門外漢ながら思うのですが、例の宗教比較の論題です。
キリスト教(含むユダヤ・イスラム教)は唯一絶対神の一神教。
それに引きかえ仏教や神道(取りあえず”民俗宗教”としての)は、多神教。
後者の方が、権威=権力を集中せず多様性を重んじ、和をもって貴しとなすから何ちゃらかんちゃら。やはり日本人はスゴイんだぞ・・。

如来(釈迦、阿弥陀、大日など)という覚者がピラミッドの頂点にいて、次段に如来候補の菩薩(弥勒、観音、地蔵など)、またその下に如来のパシリである明王やまたその下には天部(帝釈天、毘沙門天などやまほど)がいる。
この構成は如来中心の一神教ではないのか。少なくとも仏像世界ではそんな気がします。
ひるがえって、キリスト教でもイエスとキリスト(救済者)の関係や絶対神との関係が今一つ解りません。
それにマリア信仰もあれば聖人(十二使徒以下、一説では1万人以上もいる)信仰もあって、ほとんど”八百万の神様”状態ではないか。ちなみにサンタクロース(聖・クラウス)さんも聖人です。

宗教者とそれを信奉する人々(宗教団体)の、信仰の本源的な目的が自己の救済にあるのか他者も含む社会(国家、地域、部族、類縁などなど)総体の救済にあるのかは、大きな問題過ぎて私には分かりません。
ただ、(O)さんの指摘のようにイエズス会・フランシスコ会による日本での布教の開始は、「生活困窮者」への救済活動や「差別」の問題への取組と同時であった事は納得できます。

当時の仏教と被差別民救済の件については次回の記事を待ちます。が、平素の「お寺さん」と地域の「普通」のひとたちのあれやこれやを見聞きしていると、どうも現場で奮闘している僧侶や熱心な在家と、「教団組織」とはきちんと分けて考えた方がいいのかな、とも思っています。
また、「仏教の教義」に内在する論理と、現に実践されている活動との齟齬も同様です。

身も蓋もない言い方になりますが、「差別意識の塊でも、慈善活動は出来る」わけです。
仏教者の伝統の中には、一遍のように被差別民(下人、非人)の中にも深く入り込んだひともいれば、暁烏敏のように結果として「ハンセン病者隔離政策」に加担していくひともいる。「自分の永遠の住処は地獄である」と覚悟したくらいラディカルな宗教者である暁烏をしても「差別意識」の問題は根が深く暗い。

「石見銀山と文芸」、「石見銀山と修験道」、「石見銀山と近代化」、などなど。石見銀山とその文化に多方向から照明を当てようとする動きがある事は、石見銀山が持つ多面性の証しであり可能性だと思っています。
「石見銀山と信仰」のテーマも是非加えていかなければ、とも。

聖・クラウス⇒サンタクロースとして世界中の子供のアイドル。
聖・ザビエル⇒新作ヘア・スタイルの世界のカリスマ。
聖・アダーツ⇒石見銀山の魅力の伝道者。電動車でやってくる。

本堂に燭の影揺る冬至かな 亀鳴

| どっと・かめ | 2018/12/20 9:47 AM |
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