キリシタン大名とその領民
2018.12.06 Thursday
五野井隆史教授(キリシタン史)によれば、ザビエルが来日してから徳川幕府が禁教令を発するまでの間に、キリシタン大名の数は全国で72名にものぼったということです。この中には、大名というより地方の中小領主が含まれますが、それにしても多いですね。「高山右近」という小説を書いた加賀乙彦さんによれば、キリシタン大名といわれたそのほとんどは、宣教師に南蛮貿易の仲介を頼みたいという別な目的で入信したということです。布教と貿易をセットにしたことで、平戸(松浦氏)、長崎(大村氏)、府内(大友氏)などキリシタン大名が支配する港では、日本からの銀と外国からの鉄砲や生糸、絹織物などを交換するいわゆる南蛮貿易でおおいに栄えたということです。ところが、豊臣秀吉がバテレン追放令(1587)を出した後、多くのキリシタン大名が棄教するとともに、領内のキリスト教徒に対し残酷な迫害を開始しました。キリシタン大名は身の安全を図るために、さっさと棄教するのはいいのかもしれませんが、キリスト教に心から帰依していた領民が取り残され、長い苦しみの時代が始まりました。
当時ピーク時のキリスト教徒の数は、人口比にしたら現在以上に多かったといわれています。それにしてもなぜこんなにキリスト教徒が増えたのでしょうか。大名の号令一下があったにしても、例えば大村忠純のように自領にある寺社仏閣を一斉に焼き払ったという過激なキリシタン大名もいましたが、領民が仏教からそう簡単にキリスト教に変えられるものであろうか、というのが筆者の疑問でした。最近、沖浦和光著「宣教師ザビエルと被差別民」(筑摩選書)を読んでいて、当時の時代背景とその理由の一部が分かったような気がします(O)。つづく。