郷土にはすごい人がおられるものです。
大田市仁摩町大国(旧大国村)の篤農家の安井好尚翁は、8年制の大国小学校が廃止され4年制の尋常小学校に代わったことに頭を痛められ、明治19年に島根県の許可を得て、英学を中心とした私立の大国英和学校を開設しました。安井好尚翁39歳のときでした。
安井好尚頌徳碑👆
仁摩・邑南線(県道31号)沿い、龍巌山(石見城跡)の麓に、安井好尚頌徳碑が建てられています。
資料によると当時としては教育理念が卓越しています。
国学者・大国隆正翁(津和野藩の国学者)の思想に影響を受けたもので、西洋の学問と日本の学問を併せ学ぶことの重要性を考えてのことだったといいます。
学ぶ科目には、英語、数学、地理、歴史、教育、科学、物理、経済などの学科を設けています。
特に英語は、読み方、訳読、綴字、書き取り、文法、会話、作文に分かれ、各学科の教科書も英書を使用し、日本史は中国の漢書を教材にしたと資料は紹介しています。
尋常小学校の卒業生や満14歳以上のものを対象に、修業年限は3年間でしたが、更に2年間の選科を設けてありました。
生徒定員は25名でしたが、最盛期には50名にも及んだと伝えられています。私財を使って開設し、初代の校長を務め、校費のほとんどは自分で負担しました。
勝音寺跡の碑
創設期の校舎は、今は廃寺となった「勝音寺跡」の境内に建てられ、縦17間、横15間の建物でした。後に大国の川西の宇谷下流付近に移転、さらに宮村の大国小学校龍巌支校の建物を使用しました。
大国城跡(山頂に城跡)が残る前方の山の麓👆に「勝音寺跡」の境内の跡地がありますが、そこから英和学校が始まりました。右端に見えるのは龍巌山です。
以上は、仁摩町の文化協会資料(郷土史シリーズ)を参考にして記述しました。その他にも和牛の改良や養蚕事業など、農業振興にも尽くしておられます。
その当時、この地方にとって英語の普通教育の私立学校は画期的なことでした。英和学校を郷土の若者たちの教育の場として開設し、安井好尚翁は中等教育の先駆けと言える人物でした。
先日の歴史講座のフィールドワークで改めて知った郷土の偉人でもあります。 文 責(T)