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江戸時代のシステムP-

武士の給料を言うとき、○○石と石高で言うのと、○○俵と言う場合がありますが、これは知行取と蔵米取(切米)の違いです。知行取とは、それだけの米が取れる土地を持っているという事で、500石取というのは500石のお米が取れる土地を持そこの年貢(500俵)が収入になるのです。一方蔵米取は直轄地から年貢として取り立てた中から米をもらう者で文字通り蔵の米をもらう者です。石見銀山は幕府と同じく1俵は3.5斗となります。つまり石も俵も実収入はほぼ同じと見る事が出来ます。

川島家(銀山付役人)

江戸期の武士の給料は人に支払われるのではなく、その家に支払われる物なのです。従ってお家第一という考え方になったのでしょうね。しかし、代官の部下「代官手代」はお抱えといって、その人物に給金が支払われました(現在で言う定期社員ですね)。そこで、曖昧なのが石見銀山の「地役人」でした。初期の地役人は当然「俸禄」であったのでしょうが寛延年間27番目の代官「天野助次郎」により石見銀山の地役人の身分が大きく変わりました。

阿部家(銀山付役人)

寛延4228日石見銀山地役人は全員罷免(総リストラ)2日後の31日新体制で再スタート、100名から80名に、給料も一定に抑えられました。又身分は譜代ではなく一代限りですが、「父籍番代」を認めました。つまり、地役人としてはその身限りの身分ですが、親の退職に息子が代わりに地役人となる措置で、実質的にはそれまでとは変わりないのですが、身分的には大きく変わりました。

宗岡家(銀山付同心)

私が個人的に計算したところ、1728年(享保13)と1752年(宝暦2)では総額で518俵の経費削減となっていました(公式な数字ではありません)。

この天野代官は後に佐渡奉行を務めるなど異例中の異例の大出世をなした石見代官様でした。(銀)

加藤家(銀山付役人)

 

 

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