<< October 2018 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>

カテゴリー
最新の記事
最新のコメント
最新のトラックバック
月別の記事
リンク
サイト内検索
その他
美味しんぼ 109 (ビッグ コミックス)
美味しんぼ 109 (ビッグ コミックス) (JUGEMレビュー »)
雁屋 哲
著名なグルメ漫画に『日本全県味巡り 島根編』が登場しました。石見の食の幸も色々紹介されています

国銅〈上〉 (新潮文庫)
国銅〈上〉 (新潮文庫) (JUGEMレビュー »)
帚木 蓬生
天平の世、大仏造営の命を受けて奈良へと旅立つ青年の苦難の人生を軸に、当時の人々の生き様が素朴で力強く描かれた良書
SPONSORED LINKS
MOBILE
qrcode
<< ご注意ください | main | 今日の石見銀山の様子  >>
石見銀山・一番長く居たお奉行様

石見銀山には江戸期述べ59名のお奉行・御代官様が在籍しました。その中で最も長く在席したのが、二番目のお奉行様、「竹村丹後守道清」です。奉行としては22年と最も長く、銀山付役人時代を含めるとなんと30年以上石見銀山に居たことになります。

本能寺の変(明智光秀の謀反で信長死亡)を境に家康の家臣となり、初代奉行「大久保石見守長安」の元、「吉岡出雲」「宗岡佐渡」等と共に銀山開発の重要な地位にいたと思われます。

長安の死後彼の身内関係者の多くは粛清されたといわれますが、長安の死後も活躍した人もいたのですね。

大久保長安が建立したといわれる「大安寺跡」

「竹村道清」は「大久保長安」の銀山開発手法を引き継ぎ長安の行った公費による水抜き抗の開発を更におし進め、龍源寺間歩等大谷筋の各間歩からの産銀を推し進めました。一方「道清」は奉行就任初期に十名余りの地役人を新規採用しています。これは、当時行われていた領内の検地(税収入の元となる)等自身の政策を推し進め前任の大久保色を薄める効果があったと思われます。

「勝源寺」「竹村丹後守道清の墓所」

「道清」は寛永12年(1635)石見銀山で没し墓は代官所裏の「勝源寺」(長安・道清ゆかりの寺)にあります。その後を継いだ道清の子「竹村籐兵衛」は僅か1年足らずで没し、石見銀山は当時の松江藩主京極若狭守忠高に預けられます。

国宝・松江城

後「杉田九郎兵衛奉行」へと引き継がれました。因みにこの人物も「大久保長安」の部下であったそうです。(銀)

石見銀山・浄土宗・勝源寺

 

| ガイドつれづれ日誌 | 00:05 | comments(0) | trackbacks(0) |
スポンサーサイト
| - | 00:05 | - | - |
コメント
コメントする









この記事のトラックバックURL
http://iwami-gg.jugem.jp/trackback/3114
トラックバック