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初代奉行・大久保長安

 慶長5年(1600)、天下分け目の「関ヶ原の戦」後、僅か10日後、勝者・徳川家康は石見銀山領に三か条の「禁制」(行ってはならない事)を発します。内容は、徒党を組んで乱暴してはならない・放火をしてはならない・田畑の作物を盗ってはならない。的なことです。これは、治安の安定をはかると同時に「この地は徳川の領地だよ」と宣言したことになります。その年の内に重臣「大久保長安」「彦坂元正」が派遣され毛利からの引き継ぎ、翌年には「大久保長安」が銀山支配を任されます。石見銀山を皮切りにその後全国の金銀山が直轄化され、米と並んで徳川幕府の財政を支えることになりました。

休み谷旧役所跡、(当時の役所跡)

 

 長安の銀山支配は、毛利時代とは大きく違います。毛利時代は、現地役人や有力者(銀山六人衆)を「運上請負人」とし彼らに「今年はいくら納めなさい」的な方法で、その代わりに銀山の採掘権を認めました。「運上請負人」は採掘権をもとに山師(鉱山経営者)の間歩(採掘坑道)の開発権を保護し代わりに間歩からの税金を徴収します。毛利自身は石見銀山の銀生産量を把握していない間接的な支配でした。一方「長安」は、それぞれの間歩の経営者を奉行所が直接支配したのです。また長安は人材登用にも長け毛利時代の現地役人(運上請負人)からも「吉岡隼人」「宗岡弥右衛門」を召し抱え、家康の発行する通行手形「伝馬朱印状」を与え、諸国の金銀山の見立て御用をさせています。

江戸期の銀山街道「やなしお街道」案内風景

 

 家康は貨幣の統一を図り全国の金銀山を押さえ流通のための街道の整備、貨幣の鋳造(金座、銀座)を行います。「大久保長安」はこれらの大事業を推し進める幕府創生期の中心的な存在で、その支配地は120万石とも云われます。幕府創生期の徳川の石高は二百数十万石で、その約半分は旗本に与えられていますので、直轄地のほぼ全数を任されていたのでしょうか。

37代菅谷代官が建てたと伝えられる大久保長安の顕彰碑(左)と大久保長安逆修墓(石見銀山・大安寺跡)

 

 家康の彼に対する信頼は絶大であったのでしょうね。しかし、病死後は彼の一族は粛清されました。その理由は色々云われますが、単的な理由ではなく複合的な理由であったと思われます。その一つに大久保家の権力を無くす事もあったのかもしれませんね。(銀)

一里塚(主要街道の目印)

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