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山組頭の日記から見えるもの

古文書は歴史上の重要な証ですが、必ずしもそこに書かれていることが真実とは限りません、書き手に都合よく書いたり、改ざんしたりしてあることもあります。そんな中、帳簿、日記、手紙等は信頼度が高いといえます。

江戸末期、石見銀山山組頭の家に女の子が生れました。お産には医師と佐比売山神社の神主が呼ばれていたようです。無事生まれると、付き合いの広い家だけに沢山のお祝いが届けられます。それを見ると石見銀山特有の事が見えます。

当時お祝いは現物が主流なのに、ここ石見銀山では「○○料」とお金が使われているのが目立ちます。しかも、その脇には「ハマ」「アキ」などと書き添えてあるのが目立ちます。実は、これは「藩札」なのです、「ハマ」は浜田藩の発行した藩札、「アキ」は安芸藩(広島藩)の発行したものです。元来藩札はその藩だけで使用される紙幣ですが、石見銀山との経済交流も少なくなかったようです。石見銀山は経済活動が活発で幕府の発行した貨幣だけでは足りなかったのでしょうか。このように他藩の藩札も市中に出回っていたのですね。

山組頭・高橋家

 

慶応2(1866)7月、幕府支配が終わり、長州軍先鋒隊が石見銀山に進駐しましたが、この時長州軍はいち早く藩札の流通を認めました。

第二次長州戦争と石州口指揮官「大村益次郎」

(いずれもライセンス許可されています)

 

この処置は大変重要なことで、これを行わないと大量のお金が無くなってしまうことで住民は多くの財産を失うことになるのです。暴動が起き新政府の命取りになりかねないのです。(この時、浜田城はすでに落城、焼失しているので、恐らく浜田藩でも同様の処置がとられていたのでしょうね。(銀)

浜田城跡(島根県浜田市)

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