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日本三大奇襲

先日研修旅行で宮島に行きました。

宮島は、日本三大奇襲と呼ばれる「厳島の戦い」があったところです。

この戦いで勝利し、中国地方平定を進めた毛利元就は、石見銀山もおさめ、これも厳島神社の神様のおかげと厳島神社大遷宮をおこないました。

 

        厳島神社大鳥居

 

日本三大奇襲は、江戸時代の歴史家頼山陽が「日本外史」で記したものです。

河越城の戦い

1546年 北条氏康が上杉憲政、上杉朝定、古川公方を破りました。

厳島の戦い

1555年 毛利元就が陶晴賢を破りました。

桶狭間の戦い

1560年 織田信長が今川義元を破りました。

いずれの戦いも少数の軍勢で大軍を破っています。

 

       毛利軍が越えた博奕尾

 

毛利軍は2千余で宮島の包が浦に上陸し山を越え、2万の陶軍の背後から奇襲をかけ、勝利を収めました。

今回、毛利軍の越えた山道を歩きましたが、とても急な傾斜の山でした。この山を、重い甲冑を付けて越えたのかと思うと感慨ひとしおでした。

5年後の織田信長の桶狭間の戦いは、もしかしたらこの厳島の戦いに学んでのことだたったのかと思ったりしました。

 

       陶晴賢の墓

 

帰りに、宮島の対岸の廿日市市にある陶晴賢のお墓にお参りしてきました。(A)

| ガイドつれづれ日誌 | 22:06 | comments(1) | trackbacks(0) |
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| - | 22:06 | - | - |
コメント
 奇襲作戦は成功すれば賞賛されますが、基本的には無謀作戦であり結果論の世界です。また、そのやり方を間違えば、卑怯の誹りを免れません。

 義経の鵯越作戦は、当時の戦の作法を破った卑怯な作戦でした。真珠湾攻撃は戦術的には成功だったかもしれませんが、宣戦布告という国際ルールにもとる卑怯な作戦で、アメリカの世論を刺激し彼らの戦意を強くしてしまって、戦略的には失敗でした。

 第二次大戦中も日本軍は昔の時代の成功例が頭にあったのか盛んに奇襲作戦を試みましたが、ほとんど失敗しました。参謀たちの無謀な作戦計画の結果、多くの将兵が命を落としたのです。

 つまり、奇襲作戦は実際には失敗例が多いと思います。その実態が記録に残らないだけです。奇襲作戦はリスクがあまりにも大きく、相当の勝算、すなわち作戦上の優位性がなければやるべきではありません。作戦参謀の状況掌握能力と作戦立案能力や将兵の実行能力が優れていないと成功しません。イチかバチかではダメだと思います。
| iso800 | 2018/02/17 8:42 AM |
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