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鞆ヶ浦の港と街道

 2月の初め、馬路まちづくりセンター主催の「海から見た石見銀山〜鞆ヶ浦の港と街道〜」と題した講演会がありました。

 粉雪舞う肌寒い日でしたが、ダウンジャケットを着込んで出かけました。銀山発見直後に、銀鉱石を運んだ街道(鞆ヶ浦道L=8.2km)ということもあって、70名を超える方が聴講されました。講師先生は、お馴染みの石見銀山資料館の藤原雄高氏です。

 ガイドの会のメンバーも数人見かけました。

 

 筆者の地元でのこともあって、殆どの方が顔見知りの皆さんでした。参加者から、誰もが安全に実体験ができるように、鞆ヶ浦道の整備をして頂きたいなどの意見も出されました。

 

 石見銀山の発見から開発について書かれた古文書(銀山旧記)は、数多く残されています。

 その多くは銀が発見された後、しばらくして書かれたもので、最も古いものでも17世紀前半のものとの説明がありました。

 


 銀山旧記の一つには、大永6年(1526年)から天文2年(1533年)の数年間は、銀鏈(銀鉱石)をそのまま、鞆ヶ岩(鞆ヶ浦)や枯柳(古龍)の港まで運び船に乗せ、博多まで運んだとあります

 

 

 枯柳(古龍)・鞆ヶ岩(鞆ヶ浦)の千軒と言われる港町が、栄えた様子が絵図に残されています。

 かつての鞆ヶ浦道は、銀鉱石を牛馬で運ぶ人々や売買する商人、茶屋を営む人達が往来した生活路線だったことが想像されます。         文 責(T)                                                                                                             

 

続報 

 

福神山間歩付近の落石は、13日に片づけられました。

ありがとうございました。

落石防止のネットが、こういう状況ですので心配です。(A)       

 

 

 

 

 

                   

 

 

 

 

 

 

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