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銀の道を日本遺産に の記事を読んで

  筆者、2年前の9月のシルバーウイークで3泊4日で石見銀山から尾道まで史実にもとづいて忠実に歩こうと約30名ばかりの仲間で歩き、完全完歩者4名、その一人が筆者でもあり記憶がよみがえってきました。

先日、銀山街道ルートのひとつである美郷町の「やなしお道」が国の史跡指定に答申され、尾道ルートの魅力が増えました。このような動きの中で、仲間である塩形幸雄氏が銀の道について投稿され、ぜひ多くの皆さんに読んでいただきたく記事を紹介いたします。記事の内容は以下のとおりです。

2年前の9月、私たちは石見大森銀山(大田市)から尾道までを3泊4日で歩いた。江戸時代、人々が銀を運んだ道をたどり、当時と同じ行程を費やした。距離にして約150キロ、1日平均42.5キロ。われわれは手ぶらだが、江戸時代は牛や馬を引きながらの旅である。当時の人の辛苦には頭が下がる。

 中世、石見大森銀山から大量に銀が産出された。銀は大田市の温泉津沖泊港から、国内外に搬出された。このことが、石見大森銀山の世界遺産化につながった。近世、江戸幕府は大森銀山を支配し、直轄地(天領)とする。幕府は、銀を安定的に大阪の銀座に運ぶため、大森から中国山地の赤名峠を越えて尾道まで陸路を使い、尾道から大阪に船を出すルートを開いた。この道は、奉行であった大久保長安によって七尺道として整備された。尾道までの陸路は毎年、米の収穫を終えた農民を動員し3泊4日で運ばせた。

 

 道によって人が交わり、出雲大社などへの参詣の道ともなった。銀を運ぶ時の宿場町が参詣客の旅籠としてにぎわい、街中の幹線道として今の風景に連綿とつながっている。日ごろ車で通過し見落としがちな地域の魅力を、歩くことで実感できる。

 

 石見大森銀山ゆかりのルートは、大きく分けて三つある。大森から尾道まで実際に灰吹き銀を運んだルート、大森代官所に奉行が赴任してくる上下―府中―笠岡ルート、そして、中世に銀を搬出した大森―温泉津・鞆ケ浦ルートである。成り立ちがそれぞれで、どれも異なる趣がある。

 

 私たちは、2年前の大森―尾道の後、昨年からことしにかけて上下―笠岡を歩いた。石見大森銀山が世界遺産に登録されて10周年のことし9月には、2日間で大森―温泉津・鞆ケ浦を歩いた。最近は歴史街道ツアーも人気が出て、地域の歴史的資源が見直されている。石見大森銀山ゆかりの尾道ルート、上下ルートが日本遺産に認定されないだろうか。仲間や沿線の人たちと夢見ている。

 

 

以上について、11月23日付、中国新聞セレクト一面の「想」で銀の道広域連携実行委員会顧問である塩形幸雄氏の記事が紹介されました。尚、この記事の転載については、中国新聞社より11月29日付で許諾を得ています。

このように石見銀山世界遺産登録10周年をきっかけに銀山街道にも注目があつまろうとしています。今年度、石見銀山ガイドの会では新しい試みとして、「石見銀山街道健康ウオーク」を開催したところ定員を上回る多くの参加がありました。一方、「銀の道」を歩く仲間も今年前半には上下ルート、府中・笠岡ルートを歩き、後半の9月には温泉津・沖泊コース及び鞆ケ浦コースを歩くことで全ルート完結しました。このように多くの仲間と歩くことですばらしい思い出が残ります。来年も、銀山街道(銀の道)歩いてみましょう。(S)

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