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牛のいる風景(2)
 江戸時代後期の石見銀山周辺の農村では、約4割の農家
が牛を飼っていたのに対し、馬の保有率はわずか0.3%
程度で、1村に1頭いるかいないか程度だったらしい
(廣嶋清志:たたら製鉄・石見銀山と地域社会 清文堂 2008)

このことからも、江戸時代に大森から尾道に至るいわゆる
「銀の道又は尾道ルート」で駆り出された現在の島根県側
での輸送主体は牛であったことがわかります。

銀を運んだ牛のスタイル(葵の紋、背中に約80kg)

やなしお坂の様子(16ケ所のつづら折り)

美郷町浜原にある半駄が峡(牛の背中の荷物を半分に
減らして運んだといわれているほどの狭く危険な場所
であった。)


さらに大森から赤名峠を越えるまでの道のりには、「八名
塩坂(やなしおざか)」、「半駄ケ峡」など難所が多い。
このような場所では、牛など蹄が二つに分かれている偶蹄
目の方が、馬のような単蹄目の動物よりも踏ん張りが効き
、バランスが取りやすいという蹄の機能の特色が生かされ
ています。単蹄目の蹄を靴と考えれば、偶蹄目の それはい
わば地下足袋であり、岩登りや山登りが得意とする動物が
多いということもうなずけます。
 ただし、国会の牛歩戦術に比べかなり速いとはいえ、牛
の歩く速さは時速3kmほどです。旅の途中で荷物の積み
替えが行われたことを考えると、晩秋から初冬にかけての
銀の輸送は、朝暗いうちに出発し、とっぷりと日が暮れて
から次の宿泊地に到着したというのもわかります。
(大森から尾道まで約130kmの距離を3泊4日で歩いた。)

運搬用に使った牛は、おそらく雄であったと思われます。
当時の牛は品種改良された今の牛と比べ体格は非常に小さ
く、体重は、雄で450kg、雌で250kg程度と推察
されます。牛の背中左右に40kgずつ計80kgの重さ
を駄載するには、体格の劣る雌では無理でしょう。雄を使
うということになると、やっかいなことが一つあります。

隊列を組む前に、初めて遭遇した雄同士には、角突きをや
らせて序列を決めてから出発するという説もあります。
そうしないと、行進中に隊列が乱れることがあるようで
す。一度決まった序列は、よほどのことがない限り覆るこ
とはありません。ちなみに、隠岐の闘牛(牛突き)では、
若い雄同士の闘いは、勝負が決する前に引き離し、引き分
けにしてしまうそ うです。「いつか機会があったら、今度
こそ」と考えている人間と違って、無駄な力は使わないと
ころが牛が人間より賢いところです(O)。
| ガイドつれづれ日誌 | 00:56 | comments(1) | trackbacks(0) |
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コメント
名古屋の三菱工場で生産された零戦の機体も40キロ離れた岐阜県各務原飛行場まで牛が運んだといいます。
当時新鋭の戦闘機も、悪路を安全丁寧に運ぶ牛さんのお世話になっていました。
| izayamiki | 2017/06/30 2:29 PM |
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