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定説

石見銀山の本格的採掘が始まったのは1526年というのが定説でした。

しかし、最近1527年説が有力とされるようになっています。

いままで、「定説」とされてきたものがかわるというわけです。

 

井戸平左衛門が石見地方にサツマイモ栽培を広げたということも定説です。

そのきっかけになったのが、亡父の法要で訪れた栄泉寺で薩摩の僧侶に出会ったことだというのも定説です。

 

 

すでに当欄で紹介した「石見銀山の社会と経済」の中の、「代官井戸平左衛門の事績と顕彰」(藤原雄高さん)を読んで、筆者が、関心を持ったのは、井戸平左衛門が享保の飢饉時に伊予の国を訪れているということでした。

当時、伊予大三島では、下見吉十郎がサツマイモ栽培を広げ、享保の飢饉時には伊予藩に700俵の支援米を送っています。井戸平左衛門は、このことを知ってサツマイモ栽培を思い立ったのかもしれない(「栄泉寺説」が正しいとすれば、サツマイモ栽培の重要性を再認識した)という気がしました。

因島の正善寺に下見吉十郎の芋地蔵と井戸平平左衛門の碑があるのも、井戸平左衛門の伊予行きと関係があるのかもしれないと思ったりします。

「定説」が研究によって覆され、新しい「定説」を生み出すこともあります。研究者のみなさんに、井戸平左衛門の伊予行と石見地方でのサツマイモ栽培の普及の関連について解き明かしてほしいです。(A)

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