鳴き龍にこめた人々の祈り〜【城上神社】
2008.08.23 Saturday
大森の旧い町並みを北へ向かい、石見銀山資料館(代官所跡)を通り過ぎると、鬱蒼と木々の茂る中に石段が見えてきます。城上神社(きがみ・じんじゃ)です。
▲遷座の歴史重ねた大森の氏神▲
城上神社は、大物主命(大国主命)を祀る神社で、石見銀山の安全と繁栄を願う大森の氏神さまです。いい伝えによれば、元々は仁摩町馬路の城上山にあったのを、1434年に大内氏が、さらに1577年に毛利氏が遷座し、今の場所に築かれたとのこと。1800年の”寛政の大火”で焼失し、現在の建物は1815年に再建されたものです。
▲二重の破風と格天井の鳴き龍▲
城上神社の拝殿は、実にいろいろな見所があります。
まず拝殿の正面の屋根を見てみると、屋根が二重になっており、しかも上側は直線的な和風の千鳥破風、下側は曲線的な唐破風という大変珍しい造りです。
そして拝殿の中に入り、天井を見上げてみましょう。格子状のいわゆる「格天井」の中央には、三瓶の狩野派の絵師・梶谷円隣斎の手になる鳴き龍が色鮮やかに描かれています。
この鳴き龍の下で拍手を打つと「びーん、びーん」と不思議な音が響きます。龍の周りには大火後に寄進した当時の地役人や豪商らの家紋が並んでいます。つまりこの天井は、”雨を降らせる”伝説の龍とその周囲の家紋とで「再び大火が起こらぬように」の祈りが籠められているわけです。
▲大森の名の由来となった?!境内▲
再び外に出てみましょう。広い境内は森に囲まれています。これが「大森」という町名の由来になったとも言われます。樹齢100年以上というナギの木や黒松・赤松が一体となった相生の松(赤松は残念ながら枯れたので伐採)などもあります。石段を上った辺りから振り返ると、仙の山を望むこともできます。
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はるか戦国時代から400年余に渡って銀山を守ってきた城上神社は今も、昼なお静かでおごそかな空気に包まれています。街の散策をここから始めるのも良いかもしれません。
【城上神社へのアクセス】
代官所前ひろば より徒歩1分
▲遷座の歴史重ねた大森の氏神▲
城上神社は、大物主命(大国主命)を祀る神社で、石見銀山の安全と繁栄を願う大森の氏神さまです。いい伝えによれば、元々は仁摩町馬路の城上山にあったのを、1434年に大内氏が、さらに1577年に毛利氏が遷座し、今の場所に築かれたとのこと。1800年の”寛政の大火”で焼失し、現在の建物は1815年に再建されたものです。
▲二重の破風と格天井の鳴き龍▲
城上神社の拝殿は、実にいろいろな見所があります。
まず拝殿の正面の屋根を見てみると、屋根が二重になっており、しかも上側は直線的な和風の千鳥破風、下側は曲線的な唐破風という大変珍しい造りです。
そして拝殿の中に入り、天井を見上げてみましょう。格子状のいわゆる「格天井」の中央には、三瓶の狩野派の絵師・梶谷円隣斎の手になる鳴き龍が色鮮やかに描かれています。
この鳴き龍の下で拍手を打つと「びーん、びーん」と不思議な音が響きます。龍の周りには大火後に寄進した当時の地役人や豪商らの家紋が並んでいます。つまりこの天井は、”雨を降らせる”伝説の龍とその周囲の家紋とで「再び大火が起こらぬように」の祈りが籠められているわけです。
▲大森の名の由来となった?!境内▲
再び外に出てみましょう。広い境内は森に囲まれています。これが「大森」という町名の由来になったとも言われます。樹齢100年以上というナギの木や黒松・赤松が一体となった相生の松(赤松は残念ながら枯れたので伐採)などもあります。石段を上った辺りから振り返ると、仙の山を望むこともできます。
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はるか戦国時代から400年余に渡って銀山を守ってきた城上神社は今も、昼なお静かでおごそかな空気に包まれています。街の散策をここから始めるのも良いかもしれません。
【城上神社へのアクセス】
代官所前ひろば より徒歩1分