「銀山争奪の歴史」講座第4回が開かれます
2017.11.09 Thursday
石見銀山世界遺産登録10周年記念事業「石見銀山争奪の歴史」講座第4回が来週開かれます。11月16日(木)に「多胡辰敬(たこときたか)と刺賀長信(さっかながのぶ)〜銀山争奪に生きた武将たち」と題した講義、18日(土)に岩山城跡と段山城跡を巡るフィールドワークが行われます。講師とガイドは石見銀山ガイドの会のメンバー、松原軍二さんが務めて下さいます。
皆さん、多胡辰敬って何をした人物かご存知ですか。
大田市久手町円光寺蔵の肖像
多胡辰敬は、尼子の家来で、大内氏との激しい争奪戦が展開されていた石見国大森銀山を確保するための重要な拠点であり、同時に出雲国防衛の面からも最前線となる要の地、刺鹿岩山城の城主でしたが、永禄5年(1562年)2月に毛利氏に責められて落城、討ち死にしました。『多胡辰敬家訓』を残したことでも有名な戦国武将です。
一方の刺鹿長信は、毛利氏の家臣で、忍原崩れの戦いで大敗した元就の命に従って銀山山吹城に籠城しましたが、永禄元年(1558年)、尼子軍に包囲されて孤立、兵糧を止められて飢えに苦しむ城内の兵を救うため、自分の自害と引き換えに安芸国吉田郡山城の元就のもとへ送還することを要求したことで知られる武将です。
主君への忠誠を誓い銀山争奪の戦いを繰り広げた戦国武将たち。彼らはどんな思いで戦国の世を生き、戦ったのでしょうか。ロマンに溢れた波乱万丈の物語が聞けることと思います。
歴史に満ちた史跡が今も市内のあちこちに残る我が町大田。大田市民の皆さん、この機会に大田にゆかりの深い戦国武将たちの話を聞き、城跡を訪ねてみませんか。 (М)
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