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ゴールデンウィークの石見銀山へのルート
ゴールデンウィークが始まりました。石見銀山も大変
な混雑が予想されます。特に5月3日から5月5日の期間
中、世界遺産センター駐車場の混雑が予想されるため、
大田市仁摩支所付近に臨時駐車場が開設され無料シャ
トルバスが20分間隔でピストン運行されます。
石見銀山に観光を予定されている方はぜひご利用くだ
さい。(S)

運行期間 5月3日(土)〜から5日(月)までの3日間
運行時間 仁摩発8時半から銀山発18時20分
運行台数 3台(55人乗り)
運行区間 仁摩から大森間
     仁摩支所付近乗車し代官所前、銀山公園降車
     大森から仁摩へは
     銀山公園からの乗車のみとなります。

世界遺産センター駐車場は400台可能、
 銀山公園、代官所前へは路線バスでの移動。

銀山公園駐車場への一般車両は乗り入れ禁止となります。
仁摩臨時駐車場は全体で約560台可能。

自家用車での観光ルートの紹介
‐捷勝出雲方面からの場合
 
国道9号線、トヨタカローラ大田店が目印、この信号で
左折約2km走行。下の交差点が目に入ります。

大田栄町交差点を右折、大田市立病院前県道46号を
石見銀山目指す。9km。世界遺産センター駐車場が
満車の場合は仁摩支所付近臨時駐車場への移動をお
勧します。


大田を通過、仁万へのルート場合。

この場所は通過し西進します。時間約20分

仁摩サンドミュージアムが見えてきます。この交差点を
左折して直、駐車場となります。誘導員あり

この建物が目印、交差点曲がって直です。
ここからシャトルバスで銀山へ、約7km。

I妖帖Σ浩津方面からの場合

仁摩サンドミュージアム前のこのカーブを通過し、
直交差点。右折、駐車場へ。

す島方面からは、浜田道大朝Ic降車、国道261号経由、
川本因原道の駅通過し、橋を渡って右折、県道46号、
石見銀山標識を目印として目指してください。
 世界遺産センター駐車場混雑の場合は、仁摩支所付近
臨時駐車場への移動をお勧めいたします。
無料シャトル
バスでの移動となります。

仁摩支所付近の臨時駐車場について

仁摩臨時駐車場にて、石見銀山ガイドの会所属ガイドが
案内しています。
ぜひ、この看板を目標にお出でください。


安全運転でのご来訪をお待ちしています。

 
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銀の道「尾道ルートを歩く」その4
 江戸時代初めの1603年、初代奉行・大久保長安は、灰吹銀を大浦港(大田市五十猛町)から海路を千貫(3.75トン)、陸路を大森〜粕淵〜赤名〜三次〜尾道へ、更に船で大阪〜京都へ千貫送ったと伝えられています。

その後、いつの頃か陸路輸送となり、それは明治まで続きました。

◎大森→4km→〇堂原→4km→〇別府→8km→〇小原→2km→〇浜原→10km→九日市→4km→〇酒谷→4km→〇赤名→6km→〇室→8km→〇布野→12km→三次→
20km→〇吉舎→20km→甲山→12km→〇御調→12km→尾道
〇銀付け替え駅  銀泊まり駅  *数字は駅間の距離

銀輸送には、御銀蔵の灰吹銀10貫目(37.5kg)を木箱に詰め、菰で包み、馬1頭に付き、木箱を2箱づつ背負わせ、葵の紋を染め抜いた小旗を背に立てて出発したと伝えられています。
出立は、旧暦10月下旬から11月初旬で、当時は雪が降っていることもあったそうで、そのような時は、雪踏み隊がまず雪をふみならしながら進んだそうです。
中でも、今も豪雪地帯として有名な、島根県と広島県境の峠越えは大変な苦労だったようです。何故、このような時期に灰吹銀を輸送したのかわかりません。稲の収穫が終わってからということなのでしょうか。
ちなみに貢納銀(年貢)は春になってから運搬しています。

灰吹銀の輸送準備が整いますと、大森を早朝出発します。

大森代官所跡


代官や役人、町民等は羅漢寺あたりまで見送り、そこで、壮行式を行ったと伝えられています。

羅漢寺 右窟

今年の「尾道ルートを歩く」は、
第1ステージ、10月29日〜30日。大森代官所跡から1泊して飯南町赤名の道標まで。
第2ステージ、11月12日〜13日。赤名の道標から1泊して三良坂竹工房まで。
第3ステージ、12月3日〜4日。三良坂竹工房から1泊して宇津戸まで。
それぞれ1日に19km〜20km歩く予定です。
バスが伴走していますので、荷物はのせられるし、体調不良の時など安心です。

来年はこの続きを歩き、尾道まで到達する計画です。
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銀山街道「尾道ルートを歩く」その3
これが、かなめ石です。石見銀山ガイドの会の事務所前にあります。

 
へこんでいるのは、鉱石を砕いた跡です。

大森の街並みや龍源寺間歩へ向かう道のところどころにかなめ石が、家の軒先においてあります。へこみ具合やへこんだ穴の大きさがみんな違います。
大きいの小さいの、深いの浅いの、力の入れ具合が想像できるような。
かなめ石の上で、鉱石を砕く仕事、それは女性の仕事だったと言われています。足尾銅山資料館には、砕女と書いて、「かなめ」と読み仮名がふってありました。
じっと見ていますと、その石の前で座って鉱石を砕いている人の姿が目に浮かんできます。そして、石により砕いている人の体格好や顔形が違って見えるのが不思議です。銀の精錬に大切な仕事をしていた女性達です。

かなめ石は、家の前だけなく、歩道の近くや川の中でも見ることができます。


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銀山街道「尾道ルートを歩く」その2
灰吹法とは、灰を使って吹く(精錬する)方法です。

まず、間歩(坑道)から掘ってきた鉱石を、かなめ石の上で砕いて小さくします。
そして、荒い目のざるに入れてゆすり、不要な小石を落とします。
次に「ゆり盆」と言われる木製で皿状の器に入れます。そして、たらいに水を入れ、その中でゆすり、土や石と銀を含んだ鉱石とを分けていきます。
こうして、残った鉱石を、くぼみを作った中に入れ、炭と椿の木で温度をあげ、その中に鉛を加えます。すると、鉛と銀の合金「貴鉛」(きえん)ができます。

次に、鉄鍋に灰を敷き、更にわらを敷き、その上に貴鉛を載せ、濡れむしろをかけ、温度を上げると、鉛は溶けて灰の中に吸い込まれていき、銀が残る。このようにして灰吹銀をつくっていたということです。

「かなめ」のことを足尾銅山では「砕女」(かなめ)と記してありました。
ここ、石見でも、かなめ石の上で銀鉱石を粉にしたり、ゆり盆をゆすったり、というような間歩の外での仕事は、女性がしていたようです。

石見銀山では、かなめ石として、大田市忍原の堅い石が使われていたようです。大森の町を歩きますと、家の前にかなめ石がいくつか置いてあります。小さなくぼみのある青っぽい石が「かなめ石」です。

鏈(くさり)=銀を含んだ鉱石・・・5百貫目を一日中かけて吹く(精錬する)には、炭が420貫目(1575kg)も必要だったと言われています。その炭には、白炭(吉舎炭)も使われていました。
椿の木も大量に必要だったのです。

江戸時代になりますと、精錬の時に必要な木をはじめ、坑道入口の四つ留や坑内の落盤防止などに必要な木材調達の為に、「お囲い村三十二ケ村」が決められました。更に江戸中期には、お囲い村の中から、炭を供給する為の「炭方六ケ村」が決められ、そこで炭の負担をすることになりました。それでも足りない時は、他国から買い求めていたということです。

こうしてできた灰吹銀が日本は勿論、外国でも注目されたのです。

この灰吹法は、その後全国へ伝わっていき、日本全体の生産量をあげていきました。

江戸時代になりますと、この灰吹銀は将軍の元へと送られていきました。それが、「尾道ルート」です。その道中は・・・

 
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銀山街道「尾道ルートを歩く」その1
10月16日(日)には、沖泊道、鞆ケ浦道の他、石見銀山地内の多くの道を歩くツアーを計画、。たくさんの方々と「道を歩く」を楽しみました。ご参加、ありがとうございました。
いよいよ、10月29日(土)30日(日)は「銀山街道 尾道道を歩く 」の始まりです。

この様なツアーは今迄にも何度か催行していますが、すべて歩くというのは、石見銀山ガイドの会主催では初めての試みです。
街道沿いの各地ガイドの皆様との交流をはじめ、沿線各市町村のご支援をして下さる団体のおかげでこの「銀山街道 尾道道を歩く」が実現され、とても嬉しく楽しみにしています。

当初の予定を変更しまして、10月29日(土)08:40代官所跡にて出発式を行い、いよいよ銀の輸送ルートウオークです。

そもそも、石見銀山大繁栄の元は、1526年、博多の商人「神谷寿亭」が、日本海沖から山がひかるのを見て、その山、即ち仙ノ山に登ったところ、「露頭銀雪を踏むが如し」と伝えられています。(石見銀山旧記より)

そのおよそ200年前頃に、今の山口県を拠点としていた大内氏が露頭銀を採ったとか、足利直冬が露頭銀を採り尽くしたとも言われています。

今からおよそ500年前、博多の商人・神谷寿亭が仙ノ山の銀を見つけた頃、ここ石見銀山では銀の精錬はできず、銀鉱石を馬に乗せ、馬路(大田市仁摩町馬路)の鞆ケ浦港に運ばれて、そこから博多へ、更に朝鮮半島へと送られ、精錬されていたそうです。

それから7年度、神谷寿亭は「桂(慶)寿・宗丹」という方を、ここ石見の国に招き、伝授して貰ったのが「灰吹法」(灰をつかって鉱石の中から銀を取り出す方法)だと言われています。
それは、1533年(天文2)のことだったと石見銀山旧記に書かれています。

灰吹法が伝授されますと、石見銀山の銀生産量は飛躍的にアップし、外国人の目にもとまりました。

さて、灰吹法とは・・・
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ヨズクハデのライトアップ、かがり火の中で神楽を楽しみませんか
ヨズクの里 フォーラムのお知らせ

期日  10月22日(土)
第1部
 10:00〜開会
 10:15〜11:00 基調講演{魅力ある村づくりを考える」
             講師 福原庄司氏(NPOゆうきびと代表)
 11:10〜12:30 パネルデスカッション
             テーマ「これからの村づくりとは」
             コーデネーター 仲野義文氏
                                          (石見銀山資料館館長)
 12:30〜13:30 西田を食す会(有料 葛粥定食 1000円)
 13:30〜15:00 銀山街道・棚田ウオーキング
             (有料 ガイドの会案内 300円)

第2部
 17:00〜19:00 交流会「田舎料理と地酒を囲む会」
             (有料 3000円)
 18:00〜19:00 宅野子ども神楽上演
             (見学 無料)

申し込み 699-2502 大田市温泉津町湯里1720−4
               湯里町づくりセンター
       TEL/FAX 0855−65−3038
問い合せ 大田市地域振興部農林水産課
       TEL 0854−82−1600

*ヨズクハデにつきましては、9月8日〜9月23日までのブログ「西田ヨズクハデ物語」をご覧ください。
*葛粥定食は1000円。100食限定で要予約です。
*このフォーラムが終了しましたら、稲はハデからおろして脱穀します。秋しか見られないヨズクハデ風物をお楽しみください。  
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10月16日「銀の道を歩く」 ご案内します「山吹城跡コース」
山吹城は、戦国時代に幾度となく争奪戦が 繰り広げられた山城です。
「山吹城を征する者が石見銀山を征する」
とまで言われました。

石見銀山を入手した大内氏は、1533年の頃、ここ要害山(標高414m)に山吹城を築きました。
その頃、石見銀山をねらっていた周辺の武将「小笠原氏」「尼子氏」「毛利氏」はこの山吹城争奪戦を繰り返しました。
戦いは、1531年から1562年、毛利元就が石見銀山を手に入れるまで続きました。

このツアーでは、まず山吹城大手門口から登山します。

牛の首峠のお地蔵様。
ここで一休み。これから道を左手にとり、長い石段を登って城跡頂上へと向かいます。



やがて、山吹城跡頂上へ。
山吹城祉頂上から四方を眺めると、北に日本海、東に三瓶山、南に仙ノ山・大江高山・矢滝城山、西に馬路高山、そして日本海へ銀を運んだ道など眺望でき、まるで城の主になったような気分に。
下山は搦め手門側へ。

それから、坑夫達はもとより、武士も町人も信仰篤かった佐毘賣山神社へ向かいます。
ここで昼食をとった後、聖なる山「仙ノ山」登山。

石見銀山の歴史のはじまり「石銀(いしがね)」を見学の後、世界遺産センターへと降りて行きます。




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10月16日「銀の道を歩く」 ご案内します「鞆ケ浦海上コース」
石見銀山旧記より
(現代語風に表しました。一部削除箇所もあります。)
 
筑前の国博多に、神谷寿亭という人がいました。
船で出雲の国へ行こうと、石見の沖を航海中、南の方の山々を見ると、なんと赫然たる光あり。船子に、
「あれは何と言う山か」
と聞きますと、船子が言うには、
「あの山は銀峰山といいまして、昔から銀がとれると言われています。でも、今はもう銀はとれないようです。あそこには、清水寺という寺があり、観音様がおられます。あの光は、あの山が再び銀を出すしるしかもしれません。」
これを聞いた寿亭は大変喜び、帆をまいて温泉津湊へ入りました。
そして、銀峰山に登り、観音様を拝み、再び出雲へ向かいました。

出雲の鷺浦という湊に着きました。近くには、銅山がありました。寿亭は、銅山主、三島清右衛門に石見・銀峰山の不思議な光の話をしました。
清右衛門は、
「200年も前に、周防(山口県)の国主・大内氏がたくさんの銀を得たという伝説がある。自分もその山に登って、銀か否か確かめたいものだ。観音様も拝みたいし」
といいました。そこで、1526年3月20日、寿亭と3人の掘り子を伴った清右衛門は、光ったという山に登りました。
そして、たくさんの銀を採りました。
その後、石見国馬路村の灘、古龍・鞆岩の浦(鞆ケ浦)へはたくさんの船が来るようになりました。

鞆ケ浦海上コースでは、まず鞆ケ浦港に集合します。


鞆ケ浦のはなぐり岩(舟をつなぐ)


鞆ケ浦の港で小舟に乗り、多くの謎を秘めた古龍に向かいます。
途中、このような洞窟にも入って行きます。(波が高い時は入口付近まで)




さあ、古龍に上陸。
かつて、古龍千軒と言われた湊まちです。

古龍の鼻繰り岩



さあ、その昔、貨幣の元となったという「タカラガイ」を探しましょう。

再び、舟にのり、神谷寿亭の気分で波を越えて進むと、はるか南に、
「あらあ、あそこが仙ノ山
しばし、南の山並を眺望。

そして、鞆ケ浦港へ帰り、上陸。
鞆ならでわの街並みと鏝絵のある風景を散策しましょう。

グループにより、街並み散策の後に乗船ということもあります。

     (10月16日「鞆ケ浦海上コース」ガイド 松浦良彦)
      

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10月16日「銀の道を歩く」 ご案内します「石銀・本谷コース」
石見銀山には三つの聖地があります。

一つ目は、銀の採掘をした仙ノ山山頂です。
博多の商人、神谷寿禎が、「赫然たる光あり」 と山頂を眺めた時、石見銀山の伝説は始まりました。

仙ノ山山頂、石銀地区にひっそりと立つ一石宝侠筐印塔。高さ40cmばかり。何とも小さくて、かわいい。
塔をつくったのは、ちちははでしょうか。気持ちが偲ばれます。


二つ目は、仙ノ山東壁に刻まれた「本間歩」「釜屋間歩」「謎の岩盤遺構」、そして大久保間歩」等々。
世界史を動かしたと言われるおびただしい銀は、これらの間歩群がある本谷から掘りだされました。

三つ目は、「佐毘賣山神社」
地元の人が「山神(さんじん)さん」と呼ぶこの神社は、いにしえより鉱山(やま)に関わるすべての人々の尊崇を集め、鉱山の歴史を見守り続けています。

「石銀・本谷コース」はこれら三つの聖地を巡り、石見銀山の栄光と無残、そこに生きた人々の叡智と愚行を偲ぶ絶好のコースです。


佐毘売山神社には亀の石像が鎮座しています。
彼は、人語を解し、夜な夜な銀山領内を巡検します。
そして、銀山の歴史を紡ぎ続けた人間たちに愛情を込めて語ります。
「あいつらは頑張って生きた。前向きに生きた。己が欲するままに生きたのじゃ。
言うなればの、
   Stay Hungry. Stay Foolish.
   (貪欲であれ、そして愚か者であれ)、じゃ。
ふっ、ふっ、ふっ。」
と。

     (10月16日「石銀・本谷コース」ガイド 竹下賢治)
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10月16日「銀の道を歩く」 ご案内します「展望台コース」
まずは、石見銀山世界遺産センターを出発し、銀を採掘した山「仙ノ山」に向かって登って行きます。

世界遺産センター上方の道


途中のあずまやでしばし休憩。
そして、654段を昇り詰めますと、展望台に到着。
眼前には山吹城跡。
「山吹城を征する者が石見銀山を征する」
武将たちの夢の跡です。
眼下には九の字に曲がった赤い屋根瓦の大森の街並み。

写真中央の白っぽい所が大森の街並み


緑の中の鞆ケ浦道や沖泊道、江戸時代に銀を運んだ尾道コース、そして城跡や街並みなど目でたどり、この仙ノ山を巡る人々の営みにしばし思いを馳せませんか。

次は、展望台から林道を下って清水口番所跡へと向かいます。 
番所跡らしい道の両側の土盛りを眺め、再び山道を辿り、清水寺跡へ。
広い境内跡にひっそりと立っている地蔵様。

すぐ近くには明治時代に掘られた蔵之丞坑が見えます。
そこからは、清水谷精錬所跡へと続くトロッコ道の跡を辿りながら、竹林を下って行きます。かぐや姫が出てきそうな道です。

このコースで、戦国時代から江戸時代、更に明治時代の面影を追ってみませんか。

ご一緒に楽しみながら歩きましょう。

     (10月16日展望台コースのガイド 小田康子)

      

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