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夏草や 兵どもが 夢の跡 ---銀山異聞とフクラスズメ
 夏草や 兵(つわもの)どもが 夢の跡

毎年この時期、まだ夏草の茂る中にもひっそり秋の気配が感じられるようになると、この松尾芭蕉の句がふと思い出されます。

芭蕉がこの句を詠んだのは奥州高館でのこと。けれども、ここ石見銀山にも《つわものどもが夢の跡》はそこここにあります。


その昔、戦国武将たちが石見銀山を支配せんと争いを繰り広げていた時代がありました。
中国十カ国を制した毛利元就が勢いに乗じて石見銀山に攻め込みましたが、尼子方が要害山山頂に築いた山吹城を陥落させることはなかなかできませんでした。

要害山、標高414m。
山吹城を守っていたのは、勇猛果敢で名を馳せた尼子の武将・本庄常光でありました。

周囲の急斜面には20本近くの縦堀がほどこされ、山頂から石を転がせば、大変おそろしい武器となりましたし、急な坂道には一面に筍の皮が敷き詰められ、登ろうとすれば滑り転がるというわけで、さしもの名将・元就もこの山吹城攻めには手をこまねいたと言われます。

しかし。
ある夏の日、人の背丈を超えて茂った夏草に身を潜めながら粛々と進攻してきた毛利勢によって、山吹城はあっけなく陥落したのでした。進軍する毛利の兵たちが身を潜めた夏草は、地元で「マオ」とも「ムショウ」とも呼ばれる草でした。


それ以来何百年経つでしょうか、残暑の頃になると石見銀山にはひたすら「マオ」の葉だけを食いつくす毛虫が現れます。不思議と「マオ」の葉にしか取りつきません。

地元の古老の言い伝えでは、山吹城の戦いで命を落とした兵たちの魂が「おのれ、このマオさえなければむざと城を陥されることもなかったはず」の一念で虫に身を変えてマオを食い荒らすのだそうです。

虫嫌いな方には2011年要害虫申し訳ありませんが、その毛虫の写真をお見せしましょうか。

この毛虫、フクラスズメという蛾の幼虫です。例年であれば9月半ばから現れるのですが、今年は気候のせいか、もう盛んに見かけるようになりました。

銀山の”つわものどもが夢の跡”に現れるこの虫は、何を思いながら夏草を喰んでいるのでしょうね。


ちなみに山吹城が攻め落とされたのは永禄4年(1561)旧暦7月。現代でいえば、ちょうど今頃のことです。
| 銀山 むかし語りいま語り | 22:30 | comments(0) | trackbacks(0) |
故郷忘れ難く候〜赤名峠異聞 その10
 

万右衛門が非業の死を遂げてから10日余り過ぎた728日のことである。

ようやく広瀬藩つまり容疑者・磯五郎の在所から、役人衆がやって来た。


先だっての吟味の場にも広瀬藩からは誰ひとり同席しなかったのである。今頃になっての着到の理由をどう見るか
---他の“関係者”である大森天領や広島藩への遠慮と見るか、国境を越えた事件ゆえの手続きの複雑さと見るか。


いずれにしても、広瀬藩役人は

「これ以上、広島藩に迷惑をかけられぬ。よって吟味の場を我が藩領に移されたし」

ときっぱりこう述べた。

そこで白州は赤名町肥後屋に移されることとなった。磯五郎は引き立てられ、関わりある者一同がぞろぞろと赤名に移動したのである。

 

横谷村の庄屋・要平の気は晴れぬ。

(結局、水野様の命を果たすことは出来なかった・・・)

大森代官所の手代筆頭役・水野正太夫の頼みを受けて、磯五郎に自白を促すべく試みたこと、二度三度ではない。しかし磯五郎は頑なに

「わっしではありません、わっしは殺しておりません」

とかぶりを振るばかりである。いわば≪限りなく黒に近い灰色≫であるが、要平には如何ともし難い。

 

赤名町肥後屋の白州で、磯五郎はいよいよ拷問に掛けられることとなった。自白を望んで居た御役衆の間でも「もはや、きつい責めも致し方なし」との意見で一致したのである。

磯五郎は囚衣もろとも後ろ手に縛られ、三角にとがった十露盤板の上で石を抱かされた。縦三尺に横一尺、十三貫の平石が一枚、また一枚と膝に乗せられていく-----

 

磯五郎はついに一切を白状した。

「あの日、赤名の峠で万右衛門に会うたのです。作木での博打で負けて、すっからかんの無一文だったので、万右衛門に『少々金子を貸してくれまいか』と頼みやした。嫌な顔つきでかぶりを振るので、なおも『20文か30文でいいから』と万右衛門の荷物にすがって口説きやした。


そのうち万右衛門がステンと転び、荷物が滑り落ちて中身が辺りに飛び散った。万右衛門、かっと怒って『この、横道者が!』と私に手元の石を投げつけて来たのです。私はその石を万右衛門に投げ返した。すると石が万右衛門の額に当り、大層な血が流れました。


うっと額を押さえてうずくまる万右衛門を見て、『こんなことになったからには、生かしておいてはまずい』無我夢中で天秤棒をふるい・・・動かなくなった万右衛門の懐から財布を奪って駆け出し、財布は国境番所の風除け垣の中に隠して、番所に通報したという次第でごぜえやす」


果たして財布は磯五郎の供述通りの場所にあった。この一件は江戸にも伝えられ、老中揃って討議のうえ「広瀬藩赤名宿・磯五郎、打ち首獄門のこと」と決まり、その秋に果たされた。


********************


赤名峠がそうであったように、かつて「峠」は、国境を成していた。

山道を登りつめ、

いよいよ峠を越して我が故郷へといさんで帰る者。

いよいよ峠を越して見知らぬ国へと足を踏み入れる者。

「峠」には、数知れない旅人がそれぞれの思いを胸に行き交ったドラマが詰まって居る。
その中で、万右衛門の悲劇も生まれた。

 


「鎮魂 故郷忘れ難く候」

故郷の波根西村へと足をはやらせながら赤名峠で非業の死を遂げた魚行商人・万右衛門の魂は、今も峠近くの碑でひっそりと祀られている。
(了)

| 銀山 むかし語りいま語り | 04:30 | comments(0) | trackbacks(0) |
故郷忘れ難く候〜赤名峠異聞 その9
 

要平は、室市の升屋栄次郎の屋敷に籠められている万右衛門殺しの第一発見者・磯五郎のもとを訪ねた。大森代官所の手代筆頭役・水野正太夫からの頼みを受けて、である。

磯五郎は薄暗い壁にもたれ、板敷きにダラリと座っていた。薄鼠色の囚衣をあてがわれて居る。すでに単なる重要参考人ではない、容疑者の扱いであった。むろん飯や水はあてがわれているが…。

 

疲れたような不貞腐れたような表情で横を向く磯五郎に、要平は声をかけた。

「どうじゃ、磯五郎」

磯五郎は顔を上げた。要平、静かに、しかしきっぱりと告げる。

「もうたいがいに白状せぬか。先のお役人衆の吟味でも、様々なる調べでも、お前の言い分の是一つも通らぬことは明明白白なのじゃ。このまま頑なに口をつぐんで居ても、良いことは何ひとつ無いぞ」


要平、ここへ来る道々でどう切り出そうかと考えていたのだが、結局はこういう謂いとなったことである。


「わ、わ、私が殺ったんじゃありやせん!」
磯五郎は大声でわめいだ。

「何かの間違いだ、よぉく調べて下せえ、何ならもう一度お白州に出たっていい。考えてみて下せえ、私は万右衛門どのを助けようとして酷い目にあったんですぜ、それがなぜこんな、」


「もう良い、磯五郎!そろそろ芝居は終わりにせぬか」

「し、芝居なんかじゃござんせん。私はやっておりやせん」大きくかぶりをふる。

「磯五郎・・・」

きつく睨みつけながらも要平、内心は困っている。

 

水野正太夫からは「どうにか白状させよ」との命を受けて居た。江戸の時代、犯罪の容疑者にはとかく厳しい詮議をしたり拷問で口を割らせたりしたという印象があるが、実のところそうではない。容疑者が自ら罪を認めて粛々とお縄につき罰を受けるというのが理想であって、「自白させられず仕方なく拷問を加える」というのは諸役方にとって恥ずべきこととされていたのである。

 

ところが目の前の磯五郎、頑なに認めようとせぬ。

(これでは、どうしようもないではないか・・・)


要平はいったん引き揚げた。帰り際、板敷きに手をつきこちらを恨みがましい目で見つめる磯五郎の囚衣がはだけ、ちらりと覗いた刺青が、要平の脳裏に焼きついた。
(続く)

 

| 銀山 むかし語りいま語り | 05:15 | comments(0) | trackbacks(0) |
故郷忘れ難く候〜赤名峠異聞 その8
 

<8>

ところかわって、ここは室市の升屋栄次郎方である。

大森代官所の手代筆頭役・水野正太夫ほか関わりある役人や庄屋たちが磯五郎の吟味を行って居る。


すでに一刻も経っただろうか。ことが大森天領・広島藩・広瀬藩と国境をまたぐややこしい話だけに、各々の面子もあれば立場もある。《揺るがせには出来ぬ》とばかり、場の空気はしんと張り詰め、蜂の羽音さえ雷に聞こえそうなほどであった。


磯五郎は、
16日の夕刻のことをつらつら語り

「・・・というわけで、慌てて国境番所に駆け付けたところで番人の友次郎どのに出会ったとこういう次第でごぜえやす、へえ」と息をついた。


「うむ。では聞くが、お前が行き会うたというその無頼の輩、どのような風体であったか」

「どのような、と申されますと」磯五郎、はっとした。

「何も目が二つに鼻一つなどと訊いて居るのではないぞ、身なりを見ればどのような者どもか見当もつこう」

「…い、いずれも月代の整わぬ者どもで、もみあげ長く色黒く、人相凶悪にて、縞の半襦袢にわら縄と間違う帯を締め…」

役人、庄屋たち、顔を見合わせる。これではまるで町芝居の口上である。

「して、言葉は交わさなかったか。訛りを聞かなかったか」

「私が加勢に戻りました折、『やめろ』『何を、こいつめ』と逆にやられてすぅーと気を失うてしまいましたもので、へえ」

「では、」広島藩の御役・手島武平次がたたみかける。万右衛門殺しの場が広島藩領であるゆえにこの一件にも立ち会うのは当然だが、正直なところ(早く片付いて欲しい)というのが本音であった。

「お前は、気のおぼろげな中で石州に駆け逃げたのを見たというのか?」

「は、いえ、あの、今となりましてはいずこに逃げおおせたかも定かでなく……」

磯五郎、目が宙を舞って居る。

そこへ水野正太夫、

「万右衛門を殺めたのは、---お前ではないのか?」

声を高めてずばり訊いたものである。その一言に、場の空気がさっと張り詰めた。

「へっ?! わ、私ではごぜえやせん、そのような恐ろしい事、決して決して」

磯五郎、何度も大きくかぶりを振り、貝のように口をつぐんだ。

吟味はいったんここで打ち切りとなった。

 

吟味を終えた大森代官所の手代筆頭役・水野正太夫は翌日、庄屋の要平を呼び付けた。

朝から小雨が降り続き、庭の前栽が濡れて色濃く光って居る。

「金子は、見つかったのか」

「いえ、この辺り一帯くまなく、それこそ番屋の床板まではがして調べさせておりますが、見つからないのでございます。まことに申し訳ござりませぬ」

「ふむ。いずれにせよ、こたびの下手人が誰か、そちも先刻分かっておろう」

「は…っ」

「これ以上吟味が長引けば広島藩に迷惑がかかる」

迷惑がかかる、とは裏返せば天領大森の面子が立たぬ、との意味でもある。

「そなた、早々に事を収めてくれぬか。頼むぞ」言い置いて座を立った。水野正太夫の頼みは分かって居る。しかしそう易々といくかどうか・・・
(続く)

| 銀山 むかし語りいま語り | 02:30 | comments(0) | trackbacks(0) |
故郷忘れ難く候〜赤名峠異聞 その7
 

庄屋・要平のもとへ、殺された万右衛門のせがれ、安右衛門が訪ねてきた。

たいそう気の重いことではある。


案内した国境番所の番人・友次郎、「なんとも父親そっくりで、番所に現れた時は万右衛門が化けて出たかと、思わず足があるか確かめました」などと口走るのを「これ、めったなことを」とたしなめ、安右衛門を座敷に通した。


なるほど、あまり思い出したくはないが、検分した折の万右衛門の面立ちにそっくりの四角い小作りな顔である。


かしこまる安右衛門に、「こたびはとんだ災難であった、」と声をかけると、安右衛門は「庄屋様にも、ご公儀かたがたにも、大変なご迷惑をおかけしまして…」と頭を下げる。


挨拶ののち、安右衛門が切りだしたのは、
こういう話であった。

 

---父・万右衛門、1週間ほど前に行商に出かけたのでございます。いつも通りにめしと沢庵、白湯の朝飯をかきこみながら「こたびは盆の掛け取りがあるゆえ、少々日柄がかさむかも知れぬ。留守をしっかり頼むぞ」と言い置いて出かけました。はい、掛け取りだけに出かける父ではございません。海苔やらローソクやら魚やら、山のように荷って出かけたのでございます、はい---

 

「盆の掛け取りか。さすれば、作木にてかなりの金を集めたであろうな」

「はい。私めが言うのもなんでございますが、父は常々『商売は信用第一じゃ』と申しておりました。『良い商いをすれば良いお客がつく、掛け取りにも苦労せぬ』と」

「ふむ、さもあろう」優しく頷く要平である。


「父は『わしは腐れ魚だのニセの茶葉だの売りつけて大儲けする才覚はない。その代わり、売掛を頂き損ねたこともただの一度もない』と言うのが口癖で…」

安右衛門、言葉を詰まらせ思わず下を向いたが、きっと顔を上げて要平を見つめた。

「庄屋さま、父の懐にも荷物の中にも、一銭の金もなかったというのは、まことでございますか」

「うむ。お前の話を聞くだに、あり得ぬことじゃのう」

「いえいえ、恨みつらみで殺される父ではございません、銭が目当てであれば金子が消えるのもおかしくはございません。されど、」

安右衛門、こうきっぱり言った。

「金子を、探して下さりませ。金子が惜しうて申し上げるのではありませぬ、金子はきっとこの近辺に隠されていると思われてならないのでございます。下手人を明かす手掛かりともなりましょう」

(磯五郎のこと、すでに聞き及んで居るのだな…)

要平は黙って頷いた。
(続く)

| 銀山 むかし語りいま語り | 00:54 | comments(0) | trackbacks(0) |
故郷忘れ難く候〜赤名峠異聞 その6
 

要平の使いで磯五郎の足取りを探って居る舷助、上下についで作木へと出向いた。

ここ作木もまた中国最大の長河・江の川の舟運で開けた交通の要所である。白壁の町家が軒を連ねる街道では、大きな荷物を背負った商人やら町人やらせわしなく行き交い、日照り続きの路地に土ぼこりが舞っている。

手ぬぐいで頬かむりをして足早に歩くうちに喉が渇いてきた舷助、ここらで一休みと、とある茶屋に腰を下ろしたのである。


茶屋のおかみが「いらっしゃい」と近づいて、

「あれ、この辺りじゃ見かけない顔だね」と愛想を言うのに、舷助は

「ああ、ちょいと用向きでね。・・・時におかみ、赤名宿の磯五郎さんという人を最近見かけなかったかね」

「・・・お客さん、磯五郎の知り合いかえ?」

別に知り合いたくもないのだが、よんどころない事情で見知って居る舷助である。

「ええ、まあ」

おかみは黙って踵を返すと茶屋の奥に入っていった。しばらくして入れ替わりに出てきたのが蟹のような赤ら顔の茶屋の亭主、前掛けで両手を拭き拭き近づいてきた。

「お客さん、真面目なお店勤めのお方とお見受けするから余計な世話を焼きますがね、ここら辺りで磯五郎の名前を出さねえほうが身のためですよ」

「それはまた何ゆえ」

「そりゃあ、あいつの仲間と思われちゃあ百害あって一利なしだ。何しろ商いは信用ならねえは、三度の飯より博打が好きだは、」

博打は公儀ご法度。見つかれば胴元は遠島で、参加しただけでも大層な罰を食らう。

「そういえばほら、お前さん、あの話」

おかみが横から亭主の横腹を突いた。

「おお、そうだ。何でも磯五郎のやつ14日の晩に下作木の東光坊で開かれた賭場で徹夜の丁半に興じた挙句、21匁の大負けをしたそうですよ」

東光坊といえばこのあたりで知られた寺である。寺社奉行の管轄で町方役人の手の及ばぬ寺社内で賭場を開く(このとき寺に納めたのが寺銭、いわゆる所場代の語源である)これはよくあることだったが…

21匁とは…」
庶民にとってはちょいとした大金である。

「有り金はたいても払えねえから、『残りは魚の売り掛けを集金してきっと返す』と言うて作木を離れたとか聞いてますがね」

「返すも何も、」おかみが口を挟んだ。

「今頃はきっとどこかで『ちょいと20文ほど貸してくれねえか』とか何とか言ってるに決まってますよう。うちの人だってほら、ひとがいいから騙されちゃって」

「まあそう言うねえ、もうてんで懲りたさ」

舷助、早々に茶屋を後にした。磯五郎が14日の晩に博打で21匁も大負けしたというのは、見逃せない事実と思われ、頭を離れなかった。

 

 

「御苦労だったの」

作木から戻り、聞き及んだ話を逐一報告した舷助を要平はねぎらった。磯五郎が無一文の体で銀山街道をたどっていたのは間違いない。

(しかも「無頼の輩」なる話、どうも辻褄が合わぬ)

腕組みして考え込む要平のところへ、国境番所の番人・友次郎の案内で訪ねてきたものが居る。それは殺された万右衛門のせがれ、安右衛門であった。
(続く)

| 銀山 むかし語りいま語り | 02:30 | comments(0) | trackbacks(0) |
故郷忘れ難く候〜赤名峠異聞 その5
 

三次奉行所のもとへ、大森代官・根本善右衛門からの書状が届いたのが19日頃の事である。

大森天領住人・万右衛門殺しの一件の検分のため、手代・水野正太夫他2名を22日に寄越す。ついては広島藩及び広瀬藩(=磯五郎の在所)の御役人衆にもお立ち会いあるべし」

 

そこで要平はさっそく、三次奉行所からの呼び出しを受けたのである。

「大森代官所よりかくかくしかじか連絡あり、22日にこの一件について吟味を行うことと相成った。ついては大森代官所と広瀬藩から出張る役人衆の宿泊所を用意すべし」

「ははっ、かしこまりましてござる」

帰り途、要平は歩きながら思いにふけった。

宿泊所の手配ぐらいはどうにかなろう。3日後というのは少々きついがな。

それにしても

(こちらの都合も聞かず吟味の日取りを決めて事を押し進める大森代官所・・・そしてそれに黙って従う三次奉行所・・・天領石見銀山のご威光とはかくも強いものか)

思わずにはいられぬ。

 

22日。

いよいよ検視と吟味の日である。

大森代官所からは手代筆頭役・水野正太夫と元締役・小野源次郎が、広島藩からは手島武平次および木原覚蔵が、そして三次町奉行役人、関わりある庄屋たちが、室市の升屋栄次郎方にて一同に会した。

事の顛末を改めたのち、証人の磯五郎が呼ばれた。

凶事が起こって以来、数日留め置かれていた磯五郎は、随分やつれた様子で役人衆の前にまかり出た。

「そちが磯五郎であるか」

「へ、へえ」そうそうたる役人衆の居並ぶ座でますます畏まる磯五郎である。

「こたびの事、そちが見た限り知る限りをつまびらかに申すが良い。嘘いつわりを申すでないぞ」

「へ、へえ」磯五郎は、唇を舌で湿らせて深呼吸すると、

「あれは16日の夕刻のことでございます、わたくしめがもうじき国境という所にさしかかりますと、」芝居のト書きを読むような調子で語り始めた。

 

ところで。

この吟味に先立って、要平は手代の舷助をある使いにやった。

「良いか、磯五郎の足取り、真に当人の申す通りかどうか、しっかり確かめてくるのじゃ。わかったな」

「承知、つかまつりました」

舷助が草鞋のひもを結ぶのももどかしく向かった先は上下町と作木である。

磯五郎によれば、13日から上下町や作木で魚を商い、16日にようやく商いを終えて国へと帰る途中だったという。これが事実かどうかを聞き込んで来い---というのが主人・要平の命であった。

(旦那様の大事な御役目だ、万に一つも見逃しがあっちゃあならねえ)

 

舷助、まずは上下に立ち寄る。上下は石見銀山から尾道に至る銀山街道の宿場町、幕府の天領である。代官所も置かれ商家が立ち並び、たいそうな賑わいである。

「ちょいとごめんなさいよ、」

町中の市で、商いをしている男にそれとなく声を掛けてみた。

「赤名宿の磯五郎さんってえ人を探しているんだが」

「磯五郎?ああー、磯五郎か。おめえさん、まさか借金の取り立てかえ」

男は舷助の風体にちらりと目をやった。

「えっ?あ、いや、ちょいと人から文を言付かっているもんで」

「そうかえ、ま、その文もロクな用件じゃあるめえよ。お前さんも大儀なことだの」

「磯五郎さんの姿を最近見ましたかね」

13日頃だったかな、行商の荷を背負ってこの辺りをぶらついては居たがね」男は肩をすくめてそう言った。男のそぶりがそのまま、磯五郎の評判を表すようであった。
(続く)

| 銀山 むかし語りいま語り | 02:48 | comments(0) | trackbacks(0) |
故郷忘れ難く候〜赤名峠異聞 その4

万右衛門殺しの第一発見者・磯五郎に事の次第を訊いたのち、庄屋の要平は国境番所の友次郎の元へ向かい、ここでも話を聞いた。何とはなしに辻褄の合わぬ事がある。

「磯五郎の荷物を改めたい。万右衛門の荷物も、な。」

まず磯五郎の荷を解くと、何ともはや、山ほど売れ残りの干し魚だの煙草の袋だの下ばきだのが、舌切雀のつづらをひっくり返したが如くに出てきたことである。

「や、これでは到底、商いにはなっておらぬではないか・・・」

苦笑いする要平に友次郎が

「念のため磯五郎の懐も改め、預かり置きましたのが、これでございます」

「む・・・財布か」しかし中身はほとんど空であった。

ついで殺された万右衛門の荷を解く。

これはまた磯五郎の荷とは対照的に、整った荷作りから紙に包まれたロウソク(わずかな売れ残りであろうか)や丁寧に束ねられた売掛証文、商いの書きつけの類が出てきた。いかにも実直でやり手な行商人の姿が浮かんでくる。

「して、金子はなかったのか?」

友次郎はかぶりを振った。
「一文も、ございませんでした」

「そうか。磯五郎によれば、万右衛門を襲った輩は万右衛門の荷を探っておったそうじゃ、さすれば金子も・・・」

「しかし庄屋さま、」

「みなまで言うな友次郎。今は、な。」

「へえ」

友次郎は仔細らしく口をつぐんだ。

 

そこへ、使いの者がやってきた。

「磯五郎の親元が訪ねて参りましてございます」

「おお、そうか。通すが良い」

要平の前に現れたのは磯五郎の父親と妹婿であった。

深く一礼した父親は、「こたびは、」と要平が口を切る間も与えず一気にこう申し述べた。

「庄屋さま、せがれ磯五郎とは数年前に親子の縁を切り、すでに人別帳からも外して居るのでごぜえやす」

「なんと」要平、驚いて見せたが、内心は(さもあろう…)という気持ちで居る。

「我が身内の恥を申し上げるのも情けねえことでごぜえやすが、せがれ磯五郎、幼き頃より素行不良改まらず、どうにか魚行商の道を開いてやったものの商いに身が入る由もなく、博打と女遊びにふけってはツケをこちらに回す始末で、いよいよ家の者が相談しまして」

「相分かった。人別帳からも外し正式に親子の縁を切って居るとあらば、この件そなたたちには関わりないことじゃ」

ひたすら頭を下げながら帰っていく父親と妹婿の後ろ姿を見ながら、要平はひとりごちた。

「そろそろ、お役人衆が出張って来られる頃じゃの・・・」

凶報を受けてすぐさま三次の奉行所にも報告し、万右衛門の在である波根西村の役人にも事の次第を届け出ている。本格の評定を行うは、彼ら役人衆であった。

 

 

さて所かわって、天領・大森町の商家・泉屋弥右衛門の屋敷である。

この泉屋、先祖は三次郡・吉舎村の出である。石見銀山の銀が出立する日や数量などの情報をつねづね三次郡や三谷郡に伝えて居た。かの地の事情にも通じて居る。

泉屋弥右衛門、居間に座って考え込んでいる。

---大森代官所支配である天領の住民・万右衛門が、芸州(広島)・三次の領地で何者かに殺された。まだ連絡が混乱する中で、右衛門はこの情報をいち早くつかんでいた。

「・・・三次代官所より大森代官所へ正式に通報するよう、伝えよ」
しかしもちろん、代官所もとうに動き出していた。
(続く)
 

| 銀山 むかし語りいま語り | 10:48 | comments(0) | trackbacks(0) |
故郷忘れ難く候〜赤名峠異聞 その3
 

万右衛門殺しの第一発見者、赤名の磯五郎が、横谷村の庄屋・要平に呼ばれ、事の顛末を語って居る。

「大変なことに巻き込まれやした・・・まったくもって・・・」

腹をさすりながら、うめいて居る。


「これ磯五郎よ、腹をどうかしたのか」

「へ、へえ。わっしが万右衛門どのを助けようと天秤棒を持って戻ったところ、万右衛門どのは無頼の輩に取り囲まれ、地面に打ち伏しておりました。輩の一人が万右衛門どのの荷物を探っておりました」

「ふむ。」

「思わずわっしは『非道はよせ!』と無頼の輩に天秤棒で打ち掛かったのですが、情けねえことに天秤棒を奪い取られて腹をひどく突かれ・・・」

「うむ、その折の腹がまだ痛むのか。して、その後はどうなったのじゃ?」

「しばらく気を失うていたようで・・・気がつくと、辺りには誰もおりませんで、万右衛門どのが血に染まって倒れておりやした。いやもう恐ろしうなって、とるものもとりあえず国境へと駆け出した所で、国境の番人・友次郎どのに出会いました」

「ふむ・・・ときに、その無頼の輩どもの顔に見覚えはあったか?」

磯五郎は要平の問いにはっとした様子であったが、すぐ

「いや、知らねえ者どもでごぜえやした」
かぶりを振った。

「そうか。して、その者たちがどこに逃げたか、覚えはないか」

「何しろ腹を突かれて気が遠くなっておりましたもので」

「番人・友次郎によれば、お前が『石州の方面に逃げたようだ』と言うたそうだが?」

「あ、へえ、そのような気がいたしましたもので、今思えば、石州だったような芸州だったような---

「そのような気がした、では済まぬぞ!ひと一人、殺されたのじゃ!」

要平は一喝した。肩をすくめる磯五郎に、要平はがらり静かな声音でこういった。

「むろん、お前も気の毒とは思うぞ。むごい場に行きあわせ、同業の者を救おうと腹を打たれ、こうして国境に止め置かれておる。商いもままならぬわなあ」

「そ、そうなんでごぜえやす」

「確か、作木での商いの帰りだったな。商いは首尾よく行ったのかえ?」

「へえ、」

磯五郎はがぜん元気を取り戻し

「おかげさまで、どうにか勤めましてごぜえやす。近ごろ作木あたりはずいぶん賑わっておりまして、この磯五郎めの商う魚もそれは評判で---

「うむ、それは良きこと」

要平はここでいったん磯五郎の評定を終えた。

次に向かったのは国境の番所。番人・友次郎の話を聞くためである。


友次郎は歳のころ四十過ぎ、鬢に白いものの混じった、いかにも実直そうな顔の男である。親の代から番人を勤め、三次横谷村の庄屋・要平ともかねて顔見知りであった。

要平は、先ほど磯五郎から聞き取った話を友次郎にしてきかせた。

「はて・・・」

友次郎、首をかしげる。

「磯五郎はやはり『石州のほうに逃げたようだ』と言ったのでございますか」

「そこはそれ、気を失いかけて定かではないが」

「私めもそう聞きましたが、石州のほうに逃げたのであれば、ここ国境の番所を通らぬはずがございませぬ。あの日、少なくとも私はそのような怪しい者は見ませなんだ。かの磯五郎の案内で万右衛門どの倒れし場に駆け付ける道すがらにも、影一つ無く」

「む、そうか・・・ときに、磯五郎の荷物を改めたいのだが」

「こちらにございます」

留め置かれた磯五郎の荷物を解いた要平は再び

「む・・・」と呟いたのである。

(続く)
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故郷忘れ難く候〜赤名峠異聞 その2
 

天保3年(1832716日。

赤名峠の国境番屋近くで石州の魚行商人・万右衛門が何某かに殺された。


翌日夜半に急報を受けた横谷村の庄屋・要平は

「これは大変なことになった・・・」

 

当時、村の庄屋といえば年貢諸役の取り仕切りから上意下達、果ては村の治安まで一手に請け負う立場にあった。規模こそ小さいが現代で言えば「町長」「警察署長」「消防署長」「税務署長」を兼務する者、といえる。いったん事あらばその責務は重大であった。

 

ところで殺された万右衛門は安濃郡波根西村久手浦(現在の大田市久手町)の在。天領・石見銀山を統べる大森代官所の支配下の住民である。

ところがかの殺された場所は安芸国(広島)領。
そして倒れ伏した万右衛門を見つけた磯五郎なる者は広瀬藩の住人(当時、赤名は広瀬藩の飛地領であった)

 

何ともはや、ややこしい事態になったのである。
その事態のど真ん中に置かれたのが庄屋の要平であった。

 

庄屋の要平は、夜明けを待つのももどかしく三次の奉行所にかけつけ、「かくかくしかじか」と事の次第を役人に報告した。ついで万右衛門の在である波根西村の役人にも事の次第を届け出た。「万右衛門の家の者にも伝えて頂きたい」と頼んだのは勿論の事である


また赤名村の役人にもこの凶事を伝えたのだが、「事が起きたは国境を越えた先、安芸国(広島)領でのこと。我々には一切関わりなきこと」との答えであった。

 

さらに要平が手配したのは、事件の第一発見者で魚行商人仲間の磯五郎を、事が収まるまで横谷村へ留めることであった。貴重な証言者であり事件解決のカギとも思われた。

 


役人への届け出がようやく一段落した後、要平はさっそくこの磯五郎から事の次第を聞くことにした。

呼びだされて要平の前にかしこまった磯五郎は、行商人らしく日焼けした細面の三十男であった。同業の魚行商人が殺される場を目の当たりにした衝撃がまだ癒えぬのか、庄屋じきじきの呼び出しを受けてか、そわそわと落ち着きないそぶりである。

「そなたが、磯五郎か」

「へ、へえ」

「万右衛門が殺されし折の様子を、つまびらかに語れ」

「へえ。

わっしは13日から上下町や作木で魚を商っておりましたんです。あの日16日は、ようやく商いを終えて国へと帰る途中で、国境で一服しようと思ったのでごぜえやす。

ところが懐を探るとキセルがありませんで『こりゃしまった、どこかに落とした』と、荷物を置いたまま引き返しやした。しばらく行ったところで、」

磯五郎は恐ろしい光景を思い出してか、大げさに身を震わせた。

「万右衛門どのが、3人の無頼の輩に取り囲まれていたのでごぜえやす」

要平は訊ねた。

「お前は、万右衛門とは顔みしりだったのか?」

「へえ、そりゃあこの辺りで商いをするものなら、万右衛門どのを知らねえ者は居ません。手広く立派に商いをしておられましたからねえ。したっけ、顔みしりにせよ何にせよ、無頼の輩に取り囲まれているとなったら助けるのが人の道でごぜえやしょう?」

「それでお前は万右衛門に加勢したというわけか」

「へえ」
「それは殊勝なことだ。で?」
「加勢するにも手ぶらでは出来やせん。相手がどんな凶器を持っているか分かりやせんからね。そっと荷物のところへ引き返し、天秤棒を持って大急ぎで戻ったのでごぜえやす」

「して、戻っての後は、どう相なった」

磯五郎は急に顔をしかめ腹をさすりながら

「大変なことに巻き込まれやした…まったくもって…」

 

(続く)

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