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史跡清掃

世界遺産のある大森町では、毎年、7月の第一日曜日は、「史跡清掃」の日となっています。

大森町文化財保存会では、町内9つの自治会がそれぞれ文化財を担当しておられます。

7月5日、9つの自治会のみなさんが、豊栄神社、井戸神社などそれぞれが担当する史跡の草刈や清掃をされました。当会も、佐毘売山神社の清掃、草刈の手伝いをさせてもらいました。

 

   きれいに清掃された佐毘売山神社

 

その後、当会で龍源寺間歩付近の草刈、清掃をしました。

草や、竹で間歩が見えにくくなっていましたのでよく見えるようにしました。

 

 

間歩と間歩の上の岩盤に刻まれている3つの穴もよく見えるようになりました。

多くのみなさんに、楽しんでいただきたいと思います。(A)

| ガイドつれづれ日誌 | 05:00 | comments(0) | - |
まだまだわからん石見銀山 第43話 大久保長安の処断理由 続きの続き

 最後に、に堵神癲

 大久保長安の妻は信長の家臣であった池田家につながる人でした。長安の息子も池田家、石川家、伊達家などにつながる人を妻に迎えていました。また長安自身も家康の六男松平忠輝の家老職(「附家老」)を勤めるなど忠輝に近い位置にいたと言われました。

 

 長安が死去する慶長18年(1613)ころはまだ徳川家の政権基盤が安定していたとはいいがたく、家康は依然として織田・豊臣の残党勢力をかなり警戒していたと言われます。また家康は六男忠輝を敬遠していたばかりでなく、長安が忠輝を通じて伊達氏や青山氏と姻戚関係を結ぶことにも快く思っていなかったと思われます。慶長年間という豊臣系大名に対する警戒がまだ必要な時期において、このような長安の系譜は家康において大きな危惧を抱かせたと思われます。

 

 一方長安は石見、佐渡、伊豆での鉱山支配によりその財力は極めて大きなものでした。また各地に領地があり、そこに代官・手代・下代といわれる膨大な人数の同志的な配下を持っていました。いわば一国の大名に相当する(あるいはそれ以上の)実力がありました。家康としてはそれらがもし豊臣政権の残党と結託すれば大変なことになると真剣に考えていたと思えます。

 

 また代官頭という強力な権限をもった江戸初期の職制は次の秀忠に継承する将軍政治のためにはやがて克服されるべきものだと家康は感じていました(長安以外の代官頭も次々に失脚や改易等の処分にあっている=長谷川長綱病死、彦坂元正失脚、伊奈忠次病死。長安も病死だが、家康としてはその長男藤十郎に代官頭職を継がせたくなかった)。

 

 長安は確かに功臣ではあるものの、家康は晩年の長安に対して少なからぬ警戒の念をも持っていたと思います。うがった見方をすれば、そのため家康は近くで監視する目的を含めて長安を自分の足元の駿府に住まわせていた、その後何らかの情報に接して(それが事実なのか否かにかかわらず)その死に際して果敢に処断に踏み切ったものと思えます。謀反の疑いとなれば、即刻葬儀を中止させるだけでなく一族の抹殺排除を容認したことも説明が付きます。(Ng)

                徳川家康像

| ガイドつれづれ日誌 | 00:35 | comments(2) | - |
写真展始まる

石見銀山ガイドの会が行ってきた恒例の写真展が始まりました。

9回目を迎えた今年は、「町の人とガイドが撮ったった石見銀山写真展」として開いています。

 

 

大森町のみなさんと石見銀山ガイドの会の会員が撮った写真がいっしょに並んでいます。

 

 

大森小学校4年の松場公汰さんの亀と白鳥の写真です。

「僕の写真も出していいかな」という公汰さんの言葉が、今回の写真展の発端になりました。

 

 

夜桜と北斗七星です。

夜桜の上に輝く北斗七星を会場でご覧いただきたいです。

 

 

たくさんのみなさんにご覧いただきたいと思います。(A)

| ガイドつれづれ日誌 | 08:50 | comments(0) | - |
まだまだわからん石見銀山 第42話 大久保長安の処断理由 続き

 次に、8⇔脇争説。

 これは、当時大久保忠隣(将軍秀忠年寄衆)と本多正信(大御所家康年寄衆)による権力闘争があって、一時本多正信が政権の中枢から外された、正信方はその復帰のため忠隣の庇護をうけた長安を排除することで忠隣の失脚を狙った陰謀だったとするものです。

 

 その背後には、更に三河譜代の家臣たちの権力闘争など複雑な事情がありました。これらの家臣たちは家康の関東入国後に新たに知行割を受け、また幕府の成立にあっては譜代大名にも再配置が実行される訳ですが、これらのことは家臣たちの相克を生みました。その結果、関ヶ原の戦の後井伊・本多・榊原などの上級家臣が幕政の中枢から遠ざかり、代わって関東内にとどまった本多正伸・大久保忠隣・酒井忠世らが幕政を担当することになりました。そこに、幕府直轄地の拡大にともなって長安が台頭してきたのです。

 

 また幕府成立間もないころですから幕府創成の功臣がまだたくさん生存していて、彼らは戦場で身命を賭して活動したいわゆる武功派に属する人たちであって、長安や本多正信など才気智謀によって台頭した事務官僚(いわゆる文治派)の増長に反感を抱いていたという事情もありました。

 

 しかし、権力闘争なら、いつの時代にもありました。その結果、敗者側は左遷、あるいは閉門蟄居などの処分が下されるのが普通で、古代でもない限り子息全員を切腹に処すなどという極刑にはなりませんでした。一族郎党に及んだ処罰はこの理由では説明がつきかねます。(続く)(Ng)

          長安墓所の案内板(大森町)

| ガイドつれづれ日誌 | 00:24 | comments(1) | - |
不要不急老人の戯言(7)

―コロナ禍と食料危機―

 この度の新型コロナウィルス感染症から派生した問題で、マスコミであまり大きく取り上げられていない重要なことがいくつかあります。その一つに食料危機があります。例えば新型コロナ禍における食料の自国民優先政策で、ロシアは小麦、インドやベトナムはコメの輸出を一時的に停止しました。農水省によると、5月20日時点で14か国が農産物や食品の輸出規制を行っています。この食料の輸出規制に関しては、国連食糧農業機関(FAO)、世界保健機構(WHO)、世界貿易機関(WTO)の事務局長は共同で「新型コロナ感染症によって、食料の貿易制限が行われ、食品安全に対する不当な懸念につながっている」と警告を発しています。今回、幸いにも日本は直接影響を受けませんでした。

日本の食糧自給率は37%しかありません。そしてこのコロナ危機です。今、世界中で自国第一主義を標榜して政権の座を維持している国が増えています。食料の国内備蓄を最優先させる国があっても不思議ではありません。

「経済・貿易のグローバル化は世界の趨勢」、「工業でプラス、農業でマイナス、差し引きプラス」、「貿易立国の日本として自由化は当然」日本政府も朝日新聞も貿易の自由化に関してはほとんど同じ立場に立っています。便利さを追求する工業製品と生命をまもる農産物を一律に扱い、同じ土俵で議論するのは間違っています。

私たちが生きていく上で本質的な、かつ日常の中で沈潜していた差別や貧困など様々な問題が、図らずも新型コロナによって次々と暴き出されているとつくづく思う今日この頃です(O)。

| ガイドつれづれ日誌 | 01:20 | comments(1) | - |
異性間の会話を楽しむ

 お客さまをご案内していると、男性と女性では、会話の目的が異なっていることが分かってきます。

 男性は一つの会話にも内容と結論が必要のようです。ガイドが何かの話題を提供したときは、そこに最終的な結論や具体的な内容がないと、会話を楽しむことが出来ないようです。

 一方女性は、会話そのものが目的である場合が多いので、具体的な結論はあまり必要とされないようです。

 

 例えば、坑道(間歩)の中をご案内して坑内の様子をお話しすると、昔の人は過酷な労働を暗闇で行っていたと、ただ、ただ、驚愕されるのは女性で、その労働の先が何故、世界遺産登録に繋がったのかを知りたいと思われるのは、圧倒的に男性の方が多いからです。

 

     銀を掘り起こすため掘削した跡

 

 日常の生活の中でも、悩みの相談を男性がした場合は、明確な解決法を求めているのに対し、女性はただ、その悩みについて聞いて欲しいだけということが多いと思われます。(もちろん、場合にもよりますが、、、)

 

   今はコロナ禍で森閑とした大森の町並み

 

 あるバスのツァーガイドで、渋滞に巻き込まれたため、通常のガイド時間が取れなかったことがありました。

 やむを得ず世界遺産の詳細を省いて、自称・キミマロ風、ジョークとダジャレを中心にしたガイドをしたことがありました。

 終えた後、面白かったと笑顔で答えられたのは、圧倒的に女性でした。男性の方は、単にダジャレの好きなガイドさんと思われたようでした。

 

 ここの男性と女性のズレを認識しないと、誰もが喜んで頂ける会話にはならないかもしれません。

 専門の脳医学書によると、男性と女性では脳の使い方が異なるようです。右脳は直感を、左脳は論理を司っています。右脳が発達しているのが女性で、左脳は男性脳とも言われています。

 女性は右脳の直感と感性でものを捉え、男性は左脳で、集中して使う論理的なことには得意なようです。

 

 このことを踏まえて、男性は女性と、女性は男性との異性間の会話を楽しむようにしたらいいなと思います。  

                 文 責(T)

 

 

(番外編)

青森県・田代平湿原のレンゲツツジの蕾とワタスゲです。

 

 知り合いの方が、田代平湿原を訪れたとき写されたものです。白いワタスゲは、島根県では見られない高層湿原などに生える多年草です。尾瀬のワタスゲが有名です。 

 花が終わった状態が白い綿毛となっています。

 

 別世界のようなこの光景に、より感動されるのは女性で、男性はそれ程でもないようです。

 もちろん、個人差はありますが。。。

 

 

 

 

| ガイドつれづれ日誌 | 00:00 | comments(0) | - |
世界遺産登録13周年

先週の土日(27日、28日)の龍源寺間歩の入場者は、その前の週の土日(20日、21日)とほぼ同じだったようです。

来訪者の「回復」傾向が続いているようです。但し、平日は、まだそこまでとはいかない感じです。

 

     西性寺と観世音寺と大森町の町並み

 

さて、今年も7月2日がやってきます。

世界遺産登録記念日で、今年は13周年ということになります。

龍源寺間歩、石見銀山世界遺産センター、熊谷家住宅、河島家住宅などが無料で公開されます。

 

今年の登録記念日は、日本遺産認定も合わせてお祝いしたいものです。

「石見の火山が伝える悠久の歴史〜"縄文の森""銀(しろがね)の山"と出逢える旅へ」が日本遺産に認定されたことは当欄でも紹介しました。

世界遺産なら構成資産ですが、日本遺産の場合は「ストーリーの構成文化財」となっていて、22の文化財が認定されています。その中に世界遺産の構成資産と重なっているものが二つあります。

「石見銀山遺跡(仙ノ山の福石鉱床)」と「大森銀山地区」です。

 

石見城跡のある「龍厳山(龍岩)」も含まれています。

「三瓶ぞば」や「小笠原流田植囃子」、ちょっと身びいきですが筆者の町の「鬼岩」も含まれています。

 

7月2日は、大田市民の方には、大森町にきていただいて、是非ガイドと一緒に歩いてもらえたらと思います。(A)

 

| ガイドつれづれ日誌 | 07:47 | comments(0) | - |
まだまだわからん石見銀山 第41話 大久保長安の処断理由

 徳川家康は、様々に活躍した大久保長安の能力を高く評価した訳ですが、晩年には一転して警戒しだし彼の死後には彼を断罪しその一族を処罰してしまいます。何故でしょうか。実は、これにはいろいろな理由が論じられています。”埓輝F神癲↓▲リシタン説、8⇔脇争説、に堵神發覆匹任后

 

 史書には「大久保石見守が私曲の事、死後に露頭するにより、その贓罪(そうざい)を糺される」と書かれました。その私曲というのは、長安は武田家伝来の遺品を奪い、毒酒数石を貯えて叛逆の時機到来を待っていた、また長安の死後、側室への遺金分配をめぐり争いが起こり、その際夥しい金銀財宝の隠匿が発覚し、居間の下からポルトガルと通じた叛逆連判状が発見された、などが伝えられました。

 

 このうち”埓輝F神發任垢、長安が私財を不正に蓄財して隠匿したという内容です。彼は関東代官頭の一人になり大きな権限を持ちました。その後石見銀山、佐渡金銀山、伊豆金山の奉行に就任し、その間に本来幕府に貢納すべき公金を私財に流用し隠匿したということが言われました。確かに、そのような嫌疑が彼の生前にあって、死後実際に不正蓄財の調査が実施されています。

 

 しかし、江戸幕府成立間もないころには、まだ幕府財政の仕組みや奉行制度が明確に確立していなく、どこまでが公金なのかどこまでが私財なのかの境界は明確ではありませんでした。たとえば、長安には代官、手代、下代など多くの部下がいたのですが、彼らの俸給は長安の私財から支給するほか方法はなかったのです。このあたりの事情はおそらく家康をはじめ当時の関係者なら理解できたであろうと思われます。したがって、この嫌疑は何か口実というか表向きの理由のように思えます。

 

 ▲リシタン説。

 長安が鉱山情報や南蛮事情に精通し、ポルトガル人との交流があった事実をとらまえて生まれた説でしょうが、これはどうでしょうか。憶測にすぎないかもしれません。彼は石見と佐渡に大安寺(浄土宗)を建立しています。彼の葬送後にそのようなことにつながる事実があったのでしょうか。また長安が実はイスラム人だったという人もいますが、これは論外だと思います。(続く)(Ng)

            大安寺跡の案内板(大森町)

 

| ガイドつれづれ日誌 | 00:22 | comments(1) | - |
県外移動自粛解除後

6月19日に県外移動自粛が解除された後の最初の土・日となった20日、21日の龍源寺間歩の入場者は、前年の第3土日と比べると約73%だったようです。

6月初めの入場者の前年比が、15〜20%だったことを思うと、かなり「回復」していると言えます。ガイドの予約も入るようになってきています。

しかし、これをまだ心から喜べないという気持ちを多くの人が持っていると思われます。私たちも、新型コロナ感染拡大防止を最優先に考えてご案内もしています。

一方では、せっかくおいでいただいたみなさんには楽しく、満足した気持ちで帰っていただきたいと思います。

 

石見銀山ガイドの会では、6月20日、ボランティアで草刈りをしました。

お客様に見ていただきたい間歩(坑道)が草で隠れているので、よく見えるようにするためです。

 

龍源寺間歩に向かって市道を歩いていくと、右側に最初に見える坑道です。

この坑道を過ぎてすぐ、左前方に蔵本坑が見えます。

 

蔵本坑です。かつては、この坑道の水が大森町の上水道として使われていました。手前の平坦地にはタンクがありました。

 

佐毘売山神社の向かい側に見える坑道です。中には入れないのですが、龍源寺間歩に劣らない規模の坑道です。

龍源寺間歩とは反対方向にこんな大きな坑道があるということも知っていただきたいです。

 

暑い日が続きます。これからは、熱中症にも気を付けないといけません。

今日、明日は、どれくらいの来訪者があるのか気になるところです。(A)

 

 

| ガイドつれづれ日誌 | 07:43 | comments(0) | - |
まだまだわからん石見銀山 第40話 人材としての大久保長安

 大久保長安がどのような性格だったのか、筆者にはもちろんわかりません。「天下に並びなき奢り者」と言われた面があったり多くの女性を抱えたりというネガティブな話もある一方で、縁者や配下に細かな心配りを見せるところがあって、その人格はなかなか的確に捉えることが難しい人物でしょう。しかし、彼が政敵を持ったとか策略、謀略によって出世したとの話は聞いたことがありません。筆者には「英雄色を好む」以上に、彼にどこか人間味と庶民性を感じます。

 

 ただ少しやりすぎの面もありました。たとえば、子息や娘を婚姻によって諸大名とつながらせ姻族関係を結ぶとか、生前に自分の墓(逆修墓)を造らせるとか、自分の名を冠した菩提寺(大安寺)を石見、佐渡に建立するとか。これらが晩年に家康から警戒心を抱かせることにつながりました。

      大久保長安墓所の紀功碑と逆修墓(大森町)

 

 その一方、彼の能力面では何か卓越したものがありました。前話で彼の行政能力の一端を紹介しましたが、そのほかの能力面をまとめれば次のようになると思います。

 

  1.鉱山知識などで驚くほどの博識を持ち、それに基づいて細かで的確な指示ができた。

 2.戦場で勇猛に斬り合う前線型武闘派ではなく、兵站や民政を担当できる有能な後方事務官僚型武将。

 3.新たな制度を考え出すことのできる能力。アイデアマン。既存のやり方にとらわれないこと、これも優れた能力に含まれ  るのかも知れません。石見銀山では、山師に対する新たな運上(納税)方式の創設や「御直山」という幕府直轄の間歩経営制度を導入し、銀の採掘に画期をもたらしました。

 4.人をうまく使うという面での天才。細やかな心遣いなどによって人を掌握する能力があった。また身分や出身にとらわれ 

に人材配置ができる柔軟な思想を持った人物。奉行という高い地位にありながら直接山師に接したと言われます(村上氏の言われる、猿楽衆という身分から来た長安の「庶民性」)。これも彼の優れた能力に含めることができるでしょう。

 

そういう人材を発掘し重用した家康も見事だといえます。(Ng)

| ガイドつれづれ日誌 | 00:25 | comments(2) | - |
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