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むかしの酒屋 「居酒させます」

 人の世にお酒は付きものです。特に鉱山の町には、無くてはならないものだったようです。

 表題の居酒(いざけ)の意味は、店先や「居酒屋」でお酒を飲むことですが、その「居酒屋」のネーミングには、そっと、立ち寄りたくなるような、ほのぼのとした雰囲気を感じさせるものがあります。

「居酒屋」には、現場帰りの人が、もの売り場の店先で簡単なツマミを肴に、お酒を飲んでいる光景が浮かんできます。筆者の町(仁摩町)でも、戦後から昭和40年代の初めの頃まで、そんな光景が所々に見られたようです。

 

 さて、この「居酒屋」は、いつの頃からあったものなのでしょうか。

 調べてみると、どうも、起源は、江戸時代にまで遡るようです。酒を売るかたわら、店先で簡単なツマミとともに、酒を飲ませる酒屋が出現してきました。

 酒を売るだけの酒屋と酒を飲ませる「居酒屋」を見分けるために、語源となった「居酒させます」という表示を出したことが、「居酒屋」の始まりのようです。

 居酒させますとは、売り場のお店の中で酒を飲ませるという意味です。

 

        大森の町並み 

 

        大森の町並み 

 

 江戸時代から創られた大森の町並みには、店先に「居酒させます」の看板を掲げるお店もあったのではないでしょうか。筆者はお酒を飲めませんが、大森の町並みを歩くと、そんなイメージが浮かんできます。

 江戸時代、当時の鉱山で働く男性は、いまどきの男性と同じように「居酒させます(居酒屋)」をとても重宝して、疲れを癒したのかも知れません。  文 責(T)

 

 

 

        大森代官所前の桜

 

 大森銀山の桜も満開です。桜の木の下で一杯、今年は、そんな光景も無いかも知れません。

| ガイドつれづれ日誌 | 00:00 | comments(0) | - |
細心の注意を払って

志村けんさんの訃報には驚きました。そして、新型コロナウィルスの怖さをあらためて思いました。

 

旧大森裁判所・町並み交流センターの桜は満開です。

例年なら、たくさんの方においでくださいというところですが、今年はそうは言えません。

東京、大阪などでは外出自粛の要請がされていますが、「島根県は安全だ」と思われてか、このところ来訪者は多いです。

 

 

龍源寺間歩は、風が通り抜けていますから「密室」ではないにしても、狭い空間ですから、ある程度間隔をあけて見学するというような配慮も必要かと思います。

マスクや消毒などはもとより細心の注意を払って、お客様にも注意を呼び掛けてご案内しなければと思います。(A)

| ガイドつれづれ日誌 | 09:52 | comments(0) | - |
まだまだわからん石見銀山 第15話 大内氏の伝承

 これまでは、石見銀山の「発見」までの動きを、修験者を中心に紹介して来ましたが、ここからは元に戻って大内氏に伝わる伝承を追ってみたいと思います。

 

 大内氏の勢力が石見国に入ってきたのは第24代大内弘世の時代。弘世は貞治三年(1364)に石見国守護に補任されています。それ以降大内氏は地元の有力者益田氏を巧みに懐柔しながら石見国での地保を固めました。

 

 その大内氏には、石見銀山にかかわる伝承として「北辰の神」の話がありました。それは次のような話です。延慶二年(1309)、大内弘幸が不思議な夢を見た。大内家の守護神北辰の神が枕元に立ち「石州の仙ノ山に宝有り。汝銀をとりて外敵を排せよ」との仰せがあった。当時大内氏は鎌倉幕府執権の北条氏と対立していて蒙古に援軍を乞うが、その後急転直下北条氏との和睦が成立したものの今度はその蒙古軍の撤退の扱いに困り石見銀山の銀を蒙古軍に渡して撤退を実現させたという話です。しかし、このうち「北辰の神」は大内家の守護神として同家に古くからあった伝承かもしれませんが、それ以外のことは作り話だろうと思います。

 

 それでは、なぜ大内氏はそんな話を作ってまで、石見銀山に係わろうとしたのでしょうか。もちろん真相はわかりません。しかし、大内氏は早くから日明貿易に乗り出していて、銅や銀の取引を行っていました。だから、石見銀山には早くから目を付けていたのだと思います。そのために大内氏は石見銀山の権益を確保するため守護神として崇めていた北辰の神を持ち出して、権利を主張したのだと思います。仙ノ山には観世音菩薩がおられると言われているのに、北辰の神を持ち出したところは何故なのかわかりません。

 

 大内氏はその後一旦石見国守護を取り上げられたものの邇摩郡に拠点を残したまま、石見銀山エリアを事実上支配していたのですから、現在の感覚ではこのような小細工は必要ないと思いますが、やはり古い時代にはそういう権威付けが必要だったということでしょうか。その石見銀山エリアの実際の領有関係については次話で再論します。(Ng)

国宝瑠璃光寺五重塔(山口市)、大内義弘の供養塔といわれる。1442年落慶。

| ガイドつれづれ日誌 | 00:17 | comments(2) | - |
春めくマルシェ

イベントの紹介です。

今日、明日(28日、29日)大森町「ひまわり館」(大森郵便局前)で「春めくマルシェ」が開催されます。

「体や心に優しい!」が集まった!というイベントです。

 

◎nabiko(履き心地のいい靴)

◎ヒカリカフェ(自家焙煎のコーヒー)

◎パンジェンシー(紅茶専門店)

○izumoクオーレ(ハーブソルト)

○DK STYLE(酵素ジューススタンド)

○足もみサービス

●holo(スパイスカレー)(Wカレーライス)

●circle(足裏をほぐす)

●甘嬉いちから(「あん」をベースにした和菓子)

●Le chainon ル・シェノン(ブーケ、ドライフラワー)

※◎は28,29日 ○は28日のみ ●は29日のみ開催です。

 

春休みに入り、来訪者は多くなっています。

私たちも、毎朝の検温やマスクの着用、事務所入室時の消毒、お客様に使っていただいたストラップの消毒などいろいろ配慮しながらガイド活動を行っています。(A)

| ガイドつれづれ日誌 | 08:48 | comments(0) | - |
まだまだわからん石見銀山 第14話 廻国聖と石見銀山

 勧進聖(=廻国聖)は中世から近世において石見銀山のあったこの地にも当然遊行したものと思われます。この地に多くの高野山真言宗の寺院があるのも、その一つ高野聖の影響があったものと見られます。

 

 この聖たちは信仰を広めること(=勧進)がその重要な目的であったことは勿論ですが、その遊行による副作用として各種の技術知識や情報をも当地に持ち込んだことがあげられます。鉱山技術や銀・銅の市場に関する情報もその一つだと思われます。石見銀山に具体的に何をもたらしたのかはわかりませんが、その活躍ぶりは想像できます。

 

 実際16世紀の事例として、『高野山浄心院過去帳』という史料があります。これは高野山に残る過去帳で、後に高野聖が勧進のために銀山に来て利用したものが残っています。これにより当時の石見銀山の住人の実態がわかる貴重な史料です。この過去帳によれば、天文(1532〜1555)や永禄(1558〜1570)のころ栃畑や銀山で備中や博多から来た人(複数)が亡くなっていることがわかります。いずれにせよ廻国聖がやって来ていろいろな活動をしていることを裏付けます。この過去帳については、後ほど折に触れて引用します。

 

 また、大田町にある大田南八幡宮には法華経の写経を収納する経筒が残っています。廻国聖(「六十六部廻国聖」)が奉納したものです。これも戦国期当地に廻国聖が来たことを物語る訳ですが、その内容から開発当初の鉱山町成立の様子がわかる一級の史料といえます。そのなかでも、石見銀山が「発見」されたとする1527年以前に、石見銀山で製錬事業をやっていたという備中出身の「吹き屋」のことが書かれた経筒が注目されます。このことも後の話で採り上げます。(Ng)

六十六部廻国聖。全国66ヶ国の霊場を巡礼し法華経を奉納した。

| ガイドつれづれ日誌 | 00:18 | comments(2) | - |
リフトも再開、春が来ています 

 新型コロナウイルス対策で休校した学校が多い中、大田市は休校せずに学業に励んできました。いろいろな配慮・手段を講じておられたことと思います。幸い感染者が出ることもなく、昨日無事3学期が終了し、春休みに入っています。外出規制等指示が出されていることでしょうが、自転車で元気に駆け回る子供たちも見受けられ、ちょっとホッとしました。ストレス発散も必要ですよね。

 オリンピックは延期になりましたが、早くコロナウイルスが収束して日常生活が戻るといいなと思います。

 

 モーター動力や速度調整装置が壊れ、約1年間ストップしていた三瓶山の観光リフトが修理を終えて4月1日から運航再開されます。延長850メートル、標高差255メートルで、リフトからの周辺の山々の眺めが爽快に楽しめます。終点から大平山までは5分、手軽に山頂気分が味わえます。

 

 

 

 地震で被災した国民宿舎さんべ荘が改修、バリアフリーの工事を終え、3月1日に営業再開しています。県立三瓶自然館サヒメルも展示施設の大幅改修を終えて4月16日にリニューアルオープンします。5月末の植樹祭開催も含めて、今後の観光振興につながることを願っています。

 

 

 石見銀山の桜も咲き始めています。もうすぐこんな景色が見られると思います。

 

     銀山公園の桜と山吹城址  昨年の写真です

 

                (М)

| ガイドつれづれ日誌 | 00:05 | comments(0) | - |
雑草という名の草花

 道端に生えている草のことを、「雑草」とも言っています。

 植物の分類上では、「雑草」という名前の植物は存在しませんが、この名前の発祥の地は日本です。1912年(大正元年)に「雑草」という言葉が誕生しているようです。

 早春に咲く、写真(下)の山野草も「雑草」と呼ばれています。

 

 オオイヌノフグリ(大犬の陰嚢)  令和2年3月19日撮影

 

 オオイヌノフグリは、銀山の龍源寺間歩コースの道端によく咲いています。

 

 

 オオイヌノフグリの花を拡大すると、花の中心が水晶のように見えるので「緑の中の青い宝石」と筆者はご紹介しています。

 

 多くの「雑草」は、気づかないほどの花を咲かせ、二酸化炭素を吸収して、地球温暖化の抑制にも小さいながら貢献しています。根を深く伸ばし、寒波や水不足にも適応し生き伸びて行きます。

 雑草と疎んじられ、除去され、踏まれても昨年とほぼ同じ場所に群落し、美しい花を咲かせる草花です。時間が許されれば、道行く人にご紹介せずにはおられません。

 

「雑草」ということばに、先月の11日に亡くなられたプロ野球解説者・野村克也氏のことが重なります。

 テスト生からプロに入団し、日本プロ野球史上で、初めての三冠王にもなった人ですが、自分のことを「月見草」に例えられ、陽の当たらない場所にも咲く「雑草」を感じるからです。

 野村氏の名言で印象に残っているものがあります。

『 何ごとも事を成すのに 一番大事なのは 感性だと思うんです。 感じる力(感動する力)のある人は それが大きなエネルギーになります 私もそれで生きてきました。』

 年老いても、貧欲な向上心が感性を磨くとも言っておられます。

 

 ガイドを始めたころ、先輩ガイドの(M・K)さんが、よく言われていたことを思い出します。「人前で緊張し易い人は、銀山で感動したことから話すと、ガイドが上手くいきます。」            文 責(T)

 

 

 

                 令和2年3月24日撮影

 今年の菜の花の群落は、例年に比べて鮮やかです。

 田畑の中に咲くと、菜の花も「雑草」と呼ばれることがあります。

 

 

 

 

| ガイドつれづれ日誌 | 00:00 | comments(0) | - |
英語通訳ガイド

4月1日から、石見銀山ガイドの会では、下記の要領で英語通訳ガイドをお受けすることにしました。

◎ガイドコース

 銀山地区コース(龍源寺間歩方面)

 大森地区コース(大森町の町並み)

◎ガイド料

 お客様10名以内、3時間以内のご案内で

 ガイド1人につき8000円

 (有料施設の入場料は別途必要です)

◎お申込み

 希望日の10日前までにファックスでお申し込みください。

 ファックス番号:0854−89−0706

◎おことわり

 現在通訳可能者が少数のため、お受けできない場合もありますのでご了承ください。

◎お問い合わせ

 石見銀山ガイドの会

 電話番号:0854−89−0120

 

代官所前の桜が開花しました。

 

通訳可能者を増やし、たくさんの外国の方をご案内できるようにしたいと思っています。(A)

 

 

| ガイドつれづれ日誌 | 08:19 | comments(0) | - |
まだまだわからん石見銀山 第13話 勧進聖

 これまでは、石見銀山と修験とのかかわりについて見てきました。もう一つ、修験者とは別に銀山に出入した人達にも触れねばなりません。それは、いわゆる勧進聖(かんじんひじり)ないし廻国聖(かいこくひじり)と呼ばれる人たちです。

 

 廻国聖は、中世において各地の庶民の中に入り仏教の教化にあたったり、山岳に入って断穀不食の苦行練行を積んだりしました。具体的には、廻国遊行して念仏、造仏、架橋や募金活動など、いわゆる勧進活動を行いました。また、各地で唱導文芸や芸能の指導にも活躍しました。

 

 平安時代以降、このような聖たちが活躍し全国を渡り歩きました。六十六部廻国聖、善光寺聖、四天王寺聖、高野聖などが有名です。今まで採り上げた修験者とどのように異なるのか、あるいはどのように繋がっているのかは筆者にはよくわかりません。

 

 歌舞伎の『勧進帳』に出てくる源義経主従の話はよくご存知のことと思います。頼朝に追われた義経一行が山伏に扮して平泉を目指して逃避行する訳ですが、加賀の安宅の関を通過するときに武蔵坊弁慶の機転と関守の温情によって関所をうまく通過する話です。この話が事実なのかどうかはわかりません。しかし、この話からは、あの頃このような山伏や勧進聖が存在し、彼らはその素性と活動目的を示せば割合容易に関所を通過できたことがうかがえます。(Ng)

       勧進帳『安宅の関』(国立劇場パンフレットより)

| ガイドつれづれ日誌 | 00:21 | comments(2) | - |
案内板はできたけど

最近大森さくら保育園前に新しい案内板ができました。

 

 

新しくきれいになったとうれしく思ってみたところ悲しくなりました。

今まで、何度もお願いしてきたことが取り入れられていないのです。

地図は上が北という固定観念から抜けられないので、相変わらず、利用する人にはわかりにくい案内板です。

大森から温泉津に歩く人は、写真の左から右方向に歩きます。しかし、案内板は、右が大森左が温泉津です。逆になっているのでわかりにくいです。

これを利用するのなら、建てる場所を反対側にするべきです。そうすればこの問題は解決できます。

一案として、西本寺さんの畑をお借りして移転すればいいと思いますが、どうでしょうか。

 

 

もう一つは、相変わらず世界遺産を「石見銀山遺跡」としか案内していないことです。

「石見銀山遺跡とその文化的景観」という世界遺産だから、大森の町並みや、温泉津温泉、街道や港が世界遺産になっているのです。

遊歩道の「温泉津・沖泊コース」は、世界遺産の構成資産そのものですから、世界遺産「温泉津・沖泊道コース」としてほしい気がします。

コースとして歩く、大森町の町並みも世界遺産なので、それをわかりやすく紹介してほしいです。

 

利用者の立場に立って考える、世界遺産をフルネームで紹介することの大切さをわかっていただきたいです。(A)

| ガイドつれづれ日誌 | 13:30 | comments(0) | - |
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