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将軍様へおみつ献上
ここのところ大田市温泉津町西田のお話をしております。
西田は世界遺産・石見銀山街道の途中にある村です。

江戸時代、石見銀山では、「おみつ」と呼ばれる物が毎年江戸へ向かって送られ、将軍へ献上する習わしだったそうです。
その「おみつ」とは、
まずは、「西田の蜂蜜 」「日祖の海苔」そして「無名異(むみょうい)」でした。
やがて、西田で葛が生産されるようになりますと、
「西田の蜂蜜」に代わり、
「西田の葛」「日祖の海苔」「無名異が「おみつ」となりました。
日祖は今の大田市温泉津町です。

江戸時代、石見銀山から将軍への献上品の二つまでが、今の温泉津町から送られていったのですね。
将軍は、これら蜂蜜や海苔、または葛を食べたのでしょうか。無名異を傷薬などとして、使ったりしたのでしょうか。
知りたいものです。

| 御山ものがたり | 22:33 | comments(0) | trackbacks(0) |
【銀助日記その弐拾弐】留七と行き会うのこと。
 

○年正月八日 またしてもつづき

 

車馬の往来昼夜を分かたず、家は家の上に建て・・・

子供ん頃に聞いた昔の銀山の栄えっぷりを想像しながら

「しっかし『家の上に家を建てる』ってえのもずいぶん難しい大工仕事だわなあ・・・」

と、突然とどろくような声が天から降って来た。

「ふん、留山を組むのに比べりゃあ子供の遊びよ」

留山の留七キセルで一服
おー驚いた。振り向けば、留山師(※)の留七が身体じゅう木クズだらけにして立っていた。

「なんでえ、おめえ、おれの独りごとを聞いてたな!」

「ふん、独りごとってえのは聞えねえように言うもんよ」

身体もでかいが態度もでかい。顔を合わせりゃ憎まれ口の応酬。でも、こいつもおれのいい仕事仲間だ。さらに言えば、おれたち掘り子の命は、こいつの腕一つにかかってんだよなぁ。

留七はパンパンと木クズを払うとおれの隣にドスンと腰をおろし、毛むくじゃらの手で腰からキセルを取りだした。

「どうでえ銀の字、はかどってるかい?」

「うん、まあな」

おれはこの際、ちょいと留七と話したい事があった。

 

※留山師(とめやまし) 留山=坑内の構造を支える木材=を組んでいく専門職人

| 御山ものがたり | 01:18 | comments(0) | trackbacks(0) |
【銀助日記その弐拾壱】銀助、往時をしのぶのこと。
 

○年正月八日 またもつづき

 

はてさて、女房どのが柄山捨場に稼ぎに出ているだろう頃、おれたちはせっせと間歩ん中で働く。
あ、只今ちぃと休憩中でござんすがね。外の空気をよーく吸わなきゃ、あっという間に肺の病いにかかっちまうわい。

作業はけっこう調子よく進んでる・・・といっても、子供ん頃にちらりと聞いたことのある寛永の頃(※)の栄えっぷりには到底かなわないだろうけどな。

銀助往時をしのぶの図いまでも語りつがれてるのよ、

士稼の人数二十万人、一日米穀を費やすこと千五百石余、車馬の往来昼夜を分かたず、家は家の上に建て、軒は軒の下に連なり(※)

ちぃと大げさかもしれねえが、今より賑わってたのは確かだろうよ。ピッカピカの鏈が蓬莱山みてえになってたんかな。徳川の御代が始まった頃、伝説の山師がいて、銀3600貫を幕府に献上してえらく褒められたって聞いたこともあるよ(※)

ま、愚痴いっても始まらない。今日が一番いい、明日はもっといい〜前向き思考でいかないとな。ってちょっと格好つけ過ぎかい?

それにしても、「家の上に家を建てる」ってのはずいぶん難しい大工仕事だろうな・・・

 

※寛永期16241644) 寛永期の中頃をピークに銀の産出量は減り、銀を求めて地中深く掘り進むようになったとされる。

「石見国銀山要集(銀山旧記)」より引用。同書は1812年に著されたもので、銀助の生きた18世紀頃にはまだ存在して居ないこと予めお含み下されたし。

安原伝兵衛が慶長7年(1602)徳川家康に銀を運上し、お目見えと「備中」の名、胴服を拝領した逸話を指す
| 御山ものがたり | 15:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
【銀助日記その弐拾】柄山捨場を語るのこと。
 

○年正月八日 またつづき

 

永助・久助が柄山をせっせと運んでいく先は、柄山捨場だ。間歩の近くの河原などにある。今日は女房のおカネもここに稼ぎに出てるはずだ。

え、どんなお仕事なんですかって?

うむ、前にも話したが、柄山ってえのは鏈と違って、銀が入ってない石のことだ。これを捨場に持っていく。そりゃ、おれたち熟練の銀掘が「これは○、それは×」と見定めてるから、そうそう間違いはねえが、柄山捨場に放り出された石に、銀がちょっぴり入ってることもある。そういう柄山を探して拾って吹屋(ふきや)(※)と呼ばれる製錬場に持って行き、引き取ってもらえれば、少しは稼ぎになるってえわけだ。

おカネ柄山捨場にて柄山捨場は公認の“捨場”だから、ここで誰が石を拾っても何のおとがめもねえ。女でも男でも子供でも、誰でも石を拾っていい決まりなのよ。ただし大変な仕事だよ、石っころの中にある、かすかな銀の息吹を一つひとつ探して行くんだからな・・・

「けだえ」で倒れた元作の女房おチカも、きっと生まれたばっかりの子供を背負って捨場に出てることだろうよ。うちのおカネも、な。

 

※吹屋(ふきや) 鉱石を精錬する場所のこと
| 御山ものがたり | 19:18 | comments(0) | trackbacks(0) |
【銀助日記その拾九】間歩内のお勤めを語るのこと。

○年正月八日 つづき

 

本日も掘っております。
鏈(くさり)つまり銀を含んだ鉱石がぽろぽろ出る。

いま、鉉延(つるのべ)(※)してるのよ。鉱脈を横切るようにドーンと掘ってくのを横相って言う・・・っと、この話は昨日したっけな。そうして真ん中の坑道を掘っといて、そこから右に左に、上に下に、鉱脈に沿って掘ってくのを鉉延というわけだ

で、とれた鏈を荷負役が叺(だつ)に入れて間歩の外の鏈置き場に運んでいく。そう、役所の脇にある例の置き場だ。おれが自分で背負ってくこともあるよ。何といっても鏈こそ御山で一番値打ちのあるもんだし、そもそもこのおれの給金だって、鏈をどんだけ持ってったかで決まるんだしなぁ…。

永助久助柄山を背負うの図一方、柄山(がらやま)、銀を含んでねえ素石は、永助や久助ら柄山負が、背中にゴザみたいなのを乗っけてから、そのうえにダツを背負っていく。これも大事な役目なんだよ。

ところで、柄山負の給金は、どれだけの数のダツをどこまで遠くに運んでいったかで決まるんだわ。しかしなあ、ダツは小でも4貫目半入り、大なら9貫目入り。ヘタすりゃ、あいつら12歳やそこらの柄山負と同じっくらいの重さだよ。おれもやったさ、銀掘になる前にゃ。

そして柄山を捨場まで運んでくと、そこにも大勢の者がいる。そういや今日は、女房のおカネもいるんだな… 

※鉉延(つるのべ) 鉱脈に沿って掘り進むこと

| 御山ものがたり | 16:54 | comments(0) | trackbacks(0) |
【銀助日記その拾八】四ツ留役所をくぐるのこと。
 

○年正月八日 

 

うー今日も寒いなあ。おれはいつも通り、頬かむりに袖なしの木綿の単衣。もちろん松入・しきまつ・螺燈を抱えた正統派銀掘スタイルよ。

え、昨晩の柄山の話はどうなったかって?まあまあ待ちねえ。間歩に入る前に、お役人衆にご挨拶しなきゃなんねえ。

四つ留番所のお役人間歩の入口前にゃ、お役所(※)がある。右に詰め所、左に鏈(くさり)置き場ってあんばいだ。
「おはようごぜえやす、銀助でござんす」
「うむ、大儀」

相変わらず“上から目線”だねえ。ま、お役人衆もおれたち掘り子の監督から鏈の管理まで何かと忙しいし、ちょいとでも失敗がありゃあ遠慮なく御罷免だし、大変だわなあ。

さーて、四ツ留をくぐって本日もお仕事お仕事ーっと。っと、四ツ留で手を合わせにゃあ、十兵衛どんにまた小言を言われちまうわ。
「今日も宜しくお願えいたしやす」むにゃむにゃ。

もう柄山負の永助・久助、手子の吉蔵、それに入手の藤次も到着してた。

おれたちが働いてるこの間歩、このご時世にしちゃ存外に鉉色(つるいろ)(※)が良くってよ、山師の親方も張り切って掘り子の人数揃えてるから、鏈も入えるが柄山もどんどん出るんだなぁ。そこで入手柄山負の出番ってえわけよ。もちろんおれの実力発揮の場でもあるがな。

柄山つまり単なる石を叺(だつ)(※)に入れてくのが入手。その叺を背中にしょって運び出すのが柄山負なのよ。

「おーい、ダツもう一つ持って来てくれぃ、大きい方」

「へーい」

今日も忙しくなりそうだわい。

 

※役所 四ツ留=間歩入口にあることから「四ツ留役所」と呼ばれ、役人が常時詰めていた。主要な御直山=幕府直轄の坑道=ではとりわけ厳しい監督が行われた。

※鉉色(つるいろ)鉉=鉱脈=の様子のことをいう。

※叺(だつ) 藁で作られたかます。大小サイズがあり、大は9貫目(約34kg)小は4・5貫目(約17kg)入りだった。

| 御山ものがたり | 10:24 | comments(0) | trackbacks(0) |
【銀助日記その拾七】銀助、鏈と柄山を語り始めるのこと。
 

○年正月七日 とめなり

 

「お前さん、私も明日は柄山捨場(※)に出るよ」

正月の祝いのことを思い出してたおれは、おカネの声でハッと我に返った。

「おお、そうかえ」

「おっ母ぁ、おらも行くぅ!」銀太郎がメシ茶碗を抱えたまま、箸を振り回して叫んだ。

「これ、ご飯粒を飛ばすんじゃない」おカネに叱られた銀太郎は小ぃちゃくなって、「でも…おらも行きたいんだもん…」と呟いたもんだ。


え?すんませんが、柄山とか何とか、最初っから話してくれませんかって?

銀掘と入手おう、そうさな、御山の仕事を知らねえもんにはチンプンカンプンだわな。

間歩ん中でおれたち銀掘がどんどん打ち削ってく石のうち、銀を含んだ値打ちのある石を「鏈(くさり)」と呼び、てえした値打ちのない素石を「柄山(がらやま)」と呼ぶ。

どっちの石も、まずは叺(だつ)(※)に入れていく。あ、叺ってえのは藁で編んだゴザを半分に折って端を縫って袋みたいにしたもんだ。いわゆる“かます”だが、こちとらじゃあ「だつ」と呼ぶのよ。

その石を叺に入れる手伝いをするのが、入手(いりて)っていう役目の者だ。な、間歩ん中にもずいぶん色んな仕事があるもんだろ?

 

・・・っと話してるうちに眠くなって来た。続きは明日にしようかい。

 

※柄山捨場(がらやますてば) 坑道内で掘り出された石のうちで用をなさない捨石を廃棄する場所のこと。間歩近くの河原などが使われた。

※叺(だつ) 藁で作られた”かます”。大小サイズがあり、大は9貫目(約34kg)入り、小は4・5貫目(約17kg)入りだった。
| 御山ものがたり | 09:36 | comments(0) | trackbacks(0) |
【銀助日記その拾六】銀助、長寿の祝いを思い出すのこと。
 

○年正月七日 さらなるつづき
銀助30を祝うの図 今年の正月のことだ。年が明けておれは数えで30となり、長寿の祝いを迎えた。

前にも話したっけな、間歩で働くもんは短命だ。「30まで生きれば上等」ってやつだから、盛大に祝うしきたりなのよ。

「おめでとうごぜえやす」「ありがとうごぜえやす」

親類縁者が次々につめかけて、うちのあばら家がキシキシ音を立ててらあ。

目の前にゃ、立派なおかしら付きの鯛。ふだんは「倹約、倹約」が口癖のおカネも、この日ばかりはずいぶん気張ってくれたもんだ。
銀太郎のやつ、鯛をみて目え丸くして「お父、イワシってえのは黒いもんだと思うてたが、赤いイワシもいるんだねえ」とでっかい声で言うもんだから、周囲が大笑い。

酒肴もたっぷりで、おとこ連中はもう顔を真っ赤にしてる。おんなこども連中は餅を食うのに忙しい。
そのうち、祝い歌が飛び出すわ、手拍子が始まるわで、賑やかな宴は夜更けまで続いたよ---ありがてえこった。


味噌汁のカブを箸で突っつきながらそんなことを思い出してたら、おカネがふと

「お前さん、私も明日は柄山捨場(※)に出るよ」
と言った。

※柄山捨場(がらやますてば) 坑道内で掘り出された石のうちで用をなさない捨石を廃棄する場所のこと。間歩近くの河原などが使われた。

| 御山ものがたり | 09:25 | comments(0) | trackbacks(0) |
【銀助日記その拾伍】おカネ、見舞いから戻るのこと。
 

○年正月七日 またしてもつづき

 

あ〜ようやく一日が終わった。
間歩の外に出ると、あたりはもう暗くて、雪がちらついている。こうなると袖なし単衣の寒さがこたえるわい。ウーブルブル。おれは肩をすくめて急ぎ足で家に向かった。

うちではおカネと銀太郎が待っていた。土間で足をよーく濯いであがる。

「元作どんは、どうだったい?」と尋ねる。

「そうねえ、思ったよりは顔色良かったけど、」

おカネとカブ味噌汁おカネは熱々のカブの味噌汁(※)をよそいながら首をかしげた。

「おチカさんは『もう御山じゃ働けないだろう』って」

おチカさんってえのは元作の女房だ。

「そりゃあね、御取囲(おとりがこい)(※)も頂けるし、息子の吾作ちゃんも柄山負でもう働いてるし、それにおチカさんも下の子おぶってしょっちゅう柄山捨場(がらやますてば)(※)に出てる。だけど、暮らし向きはやっぱり楽じゃあないだろうねえ」

「そうか・・・」

「お前さんも体にゃ気ぃつけとくれよ。祝いをしてもらったばかりじゃないかえ」

「分かってらい」

おれは汁をすすりながら、ついこないだの正月の祝いを思い出していた。

 

※味噌 室町〜戦国時代にかけて保存食とされていた味噌は、江戸中期に入り調味料としても各種料理に使われるようになった。

※御取囲 鉱山病で働けなくなった者に支給された、いわば生活保障制度のようなもの。1日にコメ1・5合だったという。

※柄山捨場 坑道内で掘り出された石のうち用をなさない捨石を廃棄する場所のこと。間歩近くの空き地や河原などが使われた。
| 御山ものがたり | 10:24 | comments(0) | trackbacks(0) |
【銀助日記その拾四】けだえの元を語るのこと。
 

○年正月七日 またしてもつづき

 
キセルをふかしながら、ブラブラ歩いて間歩に向かった。そう、今日はもう一番(※)あるんだよ。

「あー腹いっぱいだぁ」手子の吉蔵は満足げに腹をさすりながら歩いてく。

「ごちそうさんでした」「た」
柄山負の永助・久助。ひと息ついて楽しそうだが、この2人にも、またひと仕事待ってるんだよな。

おれたち銀掘が岩肌を掘って出て来るのは、必ずしも銀の入った鏈(くさり)ばっかりじゃねえ。ただの石っころだって沢山ある、いやそのほうがずっと多い。柄山負の役目は、そういう邪魔な用のねえ石っころを背負って間歩の外に運び出すことなのよ。ま、「用のねえ石っころ」と言い切っちまうのはちょいと間違えなんだけどな。

ラトウの正しい持ち方ところで銀掘仲間・元作の話だったわな。待ってくれよ、螺燈(らとう)の芯がくすぶってイヤぁな煙が出てらあ・・・
そう、「けだえ」のもう一つの元ってのは、これよ。おれたち掘り子は、この真っ暗な間歩ん中、螺燈の灯りが無くっちゃ仕事にならねえ。したっけ、こんな油くせえ煙をずっと吸ってんだから身体に良いわけがないわな。

悪い空気、石の粉、油臭え煙の三拍子。おれだって10の歳から間歩に入えってんだ、いつ元作と同じ病いになるか分からねえ。どうでえ、30で長寿の祝い」って意味が分かったろう?

さあ、辛気くせえ話はこれっくらいにして、仕事、仕事。

 

※一番 坑道内での仕事はシフト=交代制で行われていた。1回のシフトを「一番」と呼び、一日に「二番」働くのが一般的だったとされる。なお他の鉱山では、線香を燃やして勤務時間を計ったり、勤務の開始や終了を太鼓で合図したりしたと文献にあるが、石見銀山でどのように行われていたかは不明である。
| 御山ものがたり | 11:05 | comments(0) | trackbacks(0) |
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