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私の育った潮風が吹き抜ける町

 私の生まれ育った町は、石見銀山から車で20分ほどの日本海の町です。鳥井町は国道も、JRも交通信号も駅もありません、大田市で最も雪のない町でもあり、山はあるけど紅葉はありません、大きな川もないので災害もほとんどありません、イノシシ被害もサルの被害もありません、そう、猿や猪にも見放されているみたいです。潮風が強いので金木犀も育ちません、楓も紅葉前に枯れてしまいます。過っては松が多くありましたが、数十年前松枯れで大木はほとんどなくなりました。

小学校の二階からは雄大な日本海が見えます

 何にもないようですが、私はこの町が大好きです。買い物も僅か数分で隣の町の大型店に行くことが出来、外部から町に通り抜ける車は皆無です。静かでとても住みやすい町なのです。

 自慢の海は、遠浅で浜辺は白砂、写真のように海岸寄りの部分は遠浅のため少しの風で白波が目立ちます。そして青い海ですが沖合にも白波が出来ます。これは岩礁が海面近くまで連なっているためなのです。このため鳥井の港は、大型船が近寄りにくいのです。過去にも何度も座礁事故が発生しています。港として栄えなかったのはそのためでしょう、西隣の和江漁港は県下では浜田に次ぐ漁港です。

沖の白波は岩礁のある場所で所によっては人が立つことのできる岩場もあります

 そんな海ですが、岩礁が多いので過ってはワカメ漁が盛んでした、又海藻は魚の産卵場で、特に「アゴ(トビウオ)」が時期にはたくさん集まります。アゴ漁は、この岩礁の沖で行われます(岩礁の場所は座礁の危険があるので)又岩礁にはサザエやアワビも多く生息します。一見何もない町ですが、潮風が吹き抜ける町は、幸せがそっと寄り添ってくれるそんな町です。(銀爺)

| その他 | 00:24 | comments(1) | - |
地球温暖化で凍死?

  今年は例年以上に暖冬で、この時期となっても積雪が無い、確かにその日その日は生活しやすいのですが、決して喜ばしいことではないようです。本来寒い時期は寒く、暑い時期は暑くなるのがよろしいようです。ところでこの地球温暖化、国により、人により受け取り方は様々ですが、極地で氷が少なくなっているのは確かなようです。北極では氷が無くなり白熊が餌となるアザラシを捕食できなくなり白熊の個体数が激減しているとか。

 南極では、地球温暖化でペンギンの危機だそうです。ペンギンの赤ちゃんは雨に弱く濡れると体温を奪われ凍死するそうです。吹雪の中では大丈夫なのに意外ですね。アデリーペンギンの巣は小石を積み上げただけの巣ですが、これは万一雨で水が少しくらい出ても小石を積み上げた巣ならば雛や卵は濡れないということですが、度が過ぎればその限りではなくなりますね。つまり、地球温暖化でペンギン凍死と云う事になるのだそうです。くわばらくわばら。(銀爺)

| その他 | 08:22 | comments(0) | - |
新年に感じたこと

 令和2年!東京オリンピックイヤーの幕開け、東京オリンピックと言えば前回(昭和39年)の時、私は二十歳でした。因みにその前の幻の東京オリンピックは、私の生まれる4年前昭和15年でした。お客さんに「私は東京オリンピックの4年後に生まれたのですよ」などと言って驚かせることもあります。昭和15年と知って皆さん安堵されます。

2020年東京オリンピック

 前回の東京オリンピックの時代は、高度成長真っただ中、私の人生では青春の真っただ中でした。当時8時間労働なんてことは考えられない、忙しいときは徹夜でも働きましたが、風邪一つひかなかった。10代の終盤から20代のほとんどを京都で暮らし田舎にUターンしてほぼ半世紀、早いものです、当時70代の自分等想像できませんでした(笑)。

令和2年正月を迎えた我が家の裏の風景

 令和初の新年を迎え、あらためて我が町を眺めると、時代も変わったけど風景も変わっています。まず気になるのは休耕田が目に付きます。そして冬の山々の装いが大きく変わっているのに気が付きます。以前の我が町の山々は、そのほとんどが松山で耕作地・畑も多くありました。従って我が町の山は一年中緑でした。今は松が少なくなり冬の山は茶色が目立ちます。

初夏(2019年5月)日本海の見える我が家の裏の風景

 時の流れは止まることなくゆったりと流れているのですね。そして少しずつ少しずつ変化してゆくのですね。時代も、風景も、そして私も変わっていることを感じます。そして昔の風景も懐かしく好きですが、今の風景も大好きです勿論、青春時代も良かったけど今の暮らしもいいな〜。(銀爺)

 

| その他 | 00:00 | comments(0) | - |
【速報】石見銀山が舞台のハリウッド映画、日本公開へ


石見銀山を舞台とするハリウッド映画『未知との遭遇X』(原題『we are not alone』)の日本公開が決定し、宣伝用ポスターとパンフレットが一般公開された(写真)。
これによれば、監督は数々のアカデミー賞作品を手がけた名監督。主役はオーディションで選ばれた大田市出身のベテラン俳優が務め、主題歌には米国大物歌手を起用したという。最新CG技術も駆使された。総製作費53億ドル。
 
あらすじの一部を紹介する;
「世界遺産・石見銀山を観光中のグループが龍源寺間歩の中で忽然と姿を消し、まったく同時期に佐渡金山の坑道の中に現れるという不思議な事件が起こった。また大久保間歩の中で行方不明になったガイドツアーが愛媛の別子銅山で発見されたという事件も。
ちょうどそのころ仙ノ山の石銀地区で銀色の発光体=UFOが飛び交うのを見たという目撃情報も相次いでいた。
謎を解明すべく地元ガイドが関係当局に訴えるが、観光客の減少を恐れる当局は、かん口令を敷いて事件をひた隠しにしようとする。そこでガイドたちが独自調査に乗り出した。一連の出来事のカギを握るのは仙ノ山だと確信したガイドたちが仙ノ山で出会った驚くべき「彼ら」の正体とは…」
 
この映画は2041年度の全米興行収入SF部門で第1位となり、各専門誌で「あの名画の再来!」などと絶賛された。監督自身も「イワミギンザンの話を聞いてすぐストーリーが思い浮かんだのさ。久々にエキサイティングな撮影だったよ」と語っている。
 
撮影は極秘裏に行われたため、日本国内はもとより地元の大田市でもごく一部を除いて知られていなかったが、米国在住の日本人の間で話題を呼び、AF通信社などが交渉に当たり、今回の日本公開に至った。
地元関係者は「実際のところ石見銀山は多くの謎を秘めたミステリアスな遺跡。SF好きもそうでない人もぜひこの映画を観て関心を深めてほしい」と語っている。
<AF通信記事より引用>
| その他 | 08:25 | comments(0) | trackbacks(0) |
【速報】波根の干拓地でナウマンゾウの化石を発掘
地元の消息筋によれば、大田市波根町で地質調査を行っていた石見県立大学史学科の調査団が、ナウマンゾウのものとみられる糞の化石を複数発見した。

場所は旧波根湖の久手干拓地の海側近く。調査団のメンバーが異様な形の石に気付いたという。大きさは約8〜10センチで、完全に石化しつつもほぼ糞の原形をとどめている。

ナウマンゾウはおよそ65万―42万年前に出現し、約2万年前の後期旧石器時代に絶滅したとされるゾウの一種。現在のアジアゾウの近縁であるが肩高3m弱とかなり小型。
調査団によれば「当時は現在より海面が低く、日本列島とアジア大陸とは陸続きだったとされるので、波根湖周辺にナウマンゾウが生息していたとしてもまったく不思議ではない」。1962年には長野県野尻湖、1976年には東京地下鉄工事現場で牙や骨の化石が発見されるなど、日本各地でナウマンゾウの生息を示す証拠が発掘されている。ただし糞石が見つかった例は全国的にも珍しい。

調査団はさらに、石見銀山第30代代官・川崎平右衛門とナウマンゾウの関わりにも深い関心を示している。
平右衛門は宝暦12年(1762年)に着任するとまもなく、波根湖の干拓を強力に推し進めたことで知られるが、もと武蔵国多摩郡押立村(現・東京都府中市)の名主の出身で、享保17年(1732年)に象洞という薬の発売を出願許可されている。

※享保撰要類集 「象洞」「平右衛門」の名が見える

象洞とはベトナムから輸入された象の糞を乾燥させて作った丸薬のこと。県内の歴史研究者によれば「平右衛門はナウマンゾウについて何らかの情報を得ていた可能性が高い。波根湖の干拓を急いだのは、石見銀山領でナウマンゾウの糞を『熟成象洞薬』として売り出すためではなかったか」という。

ナウマンゾウの糞石と石見銀山との関わりについては年内にも本格的な調査が開始される予定。商工合議所では「ナウマンゾウの郷 としてぜひ積極的にPRしたい」と象洞クッキーなどの開発も視野に入れている。
【AF通信】
| その他 | 09:31 | comments(0) | trackbacks(0) |
【速報】古港・沖泊で巨大タコの目撃情報あいつぐ
沖泊の巨大タコ 消息筋によると、温泉津町沖泊港(島根県大田市)で3月下旬から巨大タコの目撃情報が相次いでいる。
2013年3月27日撮影
 地元の目撃者の証言によれば「港付近を散歩していたら沖のほうで材木のようなものが浮かんでいるのが見えた。吸盤があってタコだと分かった」という。
 また家族とドライブで立ち寄ったという40代会社員は「突然に波が起こって何だろうと話していたらタコの頭だった。大型トラックぐらいの大きさがあった」と語った。
 海洋学に詳しい識者によれば「全長およそ20mのマダコ類と推定される。地球温暖化の影響で生態系に異変が生じたためではないか。世界的にも珍しいケース」という。
 沖泊港はリアス式海岸。波が静かで海が深く大型船の出入りがしやすいこともあって、16世紀には世界遺産・石見銀山の銀の積み出し港としておおいに栄えた場所。タコが捕食する魚介類も豊富に生息しており、潮の関係で入り込んだ可能性がある。
 大田の地元では「タコウォッチングツアーを企画したり『温泉茹でダコ』を売り出すなど観光振興につなげたい」と期待の声があがっている。(4月1日、af通信)



続報:上記はaf通信=april fool通信によるウソ誤報でした。お詫びして撤回します(4月2日)
| その他 | 10:06 | comments(3) | trackbacks(0) |
第六回 石見銀山文化賞 受賞者決定!

15世紀に始まったいわゆる大航海時代、ポルトガルやスペインといった国々が富と名声を求めて航海に乗り出しました。そして日本へ---!

アズレージョ船
(18世紀製 アズレージョ=ポルトガルのタイル画=より)


アジアとヨーロッパの交易を支える存在が日本の銀であったことはよく知られています。確かな記録はないものの、当時、石見銀山から産出された銀がその多くを担っていたのは間違いないでしょう。日本そして石見銀山は、銀を通じて、世界とつながっていたのでした。

そんな南蛮とのゆかりをテーマに独自の音楽活動を行ってきたアコースティック・ユニット『マリオネット』さんがこのたび、「第六回 石見銀山文化賞 特別文化賞」を受賞されることになりました。

マリオネット演奏 
2012年11月11日フォーラム「石見銀山とポルトガルのゆかりを訪ねて」にて
(サンレディー大田、主催:石見銀山とポルトガルを結ぶ会)

表彰式は6月22日(土)に「なかむら館」にて開催されるそうです。


マリオネットイメージ

このマリオネットさんの演奏は、インターネットの動画サイト
「You Tube」でも視聴することができます。

南蛮渡来
http://www.youtube.com/watch?v=s4BHEy_-xlc

コインブラ〜ポルトガルの4月
http://www.youtube.com/watch?v=ViIAy1fgKlY

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石見銀山文化賞についての情報はこちら(中村ブレイス株式会社
http://www.nakamura-brace.co.jp/index.html

| その他 | 22:00 | comments(1) | trackbacks(0) |
【速報】仙ノ山で恐竜の足跡!?

dinosaur1 消息筋によれば、石見銀山史跡(島根県大田市)の中心部でありかつて銀採掘が盛んに行われた仙ノ山(標高537m)の頂上近くで、恐竜の足跡ではないかと見られる痕跡が発見された。
 足跡は縦が約29cm、横が約23cmで、三本の指の跡がくっきりと残っている。写真を鑑定した識者の話によれば「これだけでは明確には分からないが、白亜紀後期に生息した鳥脚類ハドロサウルス類の恐竜ではないか」という。
 日本ではこれまでも各地でハドロサウルス類やイグアノドン類などの化石や足跡が見つかっているが、同県内ではまだ例がない。恐竜の足跡と鑑定されれば古代生物の生態を知るdinsaur2とともに大陸移動説の検証にも通じる極めて貴重な資料となる。
地元では「1526年の神屋寿禎の銀山発見にも勝る一大発見。恐竜饅頭や恐竜せんべいなどの販売も良いのでは」と町興し効果に期待を寄せている。(4月1日、af通信)







続報:上記はaf通信=april fool 通信によるウソ誤報でした。お詫びして撤回します(4月2日)

| その他 | 13:15 | comments(0) | trackbacks(0) |
ガイドの会研修旅行日記〜遊歩百選の町勝山町
2月5日。柵原町をあとにして、岡山県真庭市勝山町へ向かいました。
まずは、郷宿にて昼食。あつあつの手打ちそばが美味しい!
 
これから街並み散策です。
行ってみたい、歩いてみたい、日本の百か所「遊歩百選の町」です。楽しみだなあ。


「うえのだん」とは面白いですね。上の壇にも寺院や民家などたくさんありました。



まるで江戸時代にタイムスリップしたような街です。


意匠をこらしたのれんが楽しい。
のれんの陰から、そのお宅にお住まいの方々のお姿が見えるようです。


幻想的ですね。


何やさんでしょう。


資料館の玄関にも、もちろん「のれん」


これは何やさんでしょう。あれ、運転席に誰か?


近寄ってみて、びっくり! イノシシ君が運転席に!


のれんにかわって、こんな南天のくす玉?飾りの店もありました。


缶ビールでワッショイ! というとこでしょうか。


有名な「御前酒」酒店。

御前酒をたくさん買いました。大根の味噌漬けも美味しかったです。


トイレだって、この通り。


アップするとこの通り。まあ、おしゃれなトイレですねえ。


玄関横に「駒つなぎ」がまだ埋め込まれていました。


うだつを見て歩くのも楽しい。


素敵な鏝絵です。


勝山といえば、昔から材木の町。高瀬船の船着場があちこちにありました。
また、川沿いの家々からは、川原に降りる石段がつくってありました。


城下町のたたずまいを色濃く残す勝山の街並みは、のれんがかなでるハーモニーで一層楽しく歩くことができました。





| その他 | 23:40 | comments(0) | trackbacks(0) |
ガイドの会研修旅行日記〜柵原鉱山
生野銀山見学の翌日、2月5日柵原鉱山見学に行きました。

戦国時代から江戸時代初期にかけて、森忠政が津山城を築城中、石材も集めていた時、褐鉄鉱をが地表に現れているのを発見した、それが柵原鉱山の始まりと言われています。
その後、
1882年(明治15)地元の福田利平氏が硫化鉄鉱の露頭を発見。
1916年(大正5)藤田組が鉱区を買い取って、柵原鉱山と命名しました。そして、
1929年(大正9)から本各的な生産が始まりました。
1923年(大正12)には、鉱石を運ぶ為の、索道(ロープウエイ)が完成。
1931年(昭和6)には柵原〜片上間(およそ34km)鉄道が開通しました。

1953年(昭和28)頃〜1962年(昭和36)頃まで、柵原鉱山は最盛期でした。
鉱山の社宅約1000戸、従業員2569人(昭和35年)を記録しています。

1916年(大正5)〜1991年(平成3)までの75年間に約2670トンの鉱石を掘り出し、閉坑となりました。

鉱山入口です。ヘルメット着用。


中は迷路のようで、案内してくださる方がおられないと、どこへ迷い込むかわかりません。


固い岩盤の下を進みました。


鑿岩機の跡です。


夏冬温度変化の少ない坑内では、食品の貯蔵も。
これはブルーベリーが保存されているたるです。


なんとお酒も。


苗木の育成も。


きのこ栽培も。


今日はきのこ狩りの日。プラスチックの皿とハサミを借りて、皿に入るだけのきのこを取ってもよいのです。皿1枚に付き200円。


この通り。活きのよいきのこを採取しました。話と共にお土産です。


なんと坑道の中に、こんな所が。



このような看板がありました。


中に入ってみますと、

トレーニングマシーンがずらりと。

早速挑戦。


よーいドン! 走路約42m。



ここでは、低酸素条件下の高所トレーニングを行い、効果をあげているそうです。
有森裕子さんのサインがありました。


外に出て、街を眺めました。あそこには劇場、こちらには住宅と説明を聞きながら、繁栄当時を思い描きました。



柵原鉱山資料館も見学しました。


館内に展示してある鉱石。

柵原鉱山では、良質の硫化鉄鉱がたくさん産出し、硫酸がたくさんつくられました。それは、肥料用や工業用に使われました。
しかし、1965年(昭和40)頃から、重化学工業が発達し、石油を大量輸入するようになり、石油の中から硫黄を取り出し、硫酸を安く製造するようになりました。
柵原鉱山では困りました。
そこで、鉄資源を見直し、鉄粉の生産も行われるようになったそうです。
硫黄はたくさんあるけど売れません。結局閉山となりました。

昔の坑道模型図です。


鉱山資料館前の「柵原ふれあい公園」にある高瀬舟


片上鉄道が開通するまでは、鉱石は高瀬船で運ばれていました。

もつい(手にはくわらじ)


説明板によりますと、
柵原から吉井川を下り、岡山の犬島精錬所まで鉱石を運んでいた頃のことです。
帰りは、高瀬船を岡山市の九播港から吉井川を遡って高瀬川を引き上げていたそうです。その時は、人夫は四つん這いになり、人力で船を引き上げていたそうです。
腰と高瀬舟とはロープでつなぎ、足にはわらじ、手には「もつい」をはめて、30人で4日かけて、柵原まで高瀬舟を引き上げていrたそうです。

高瀬舟は、大正6年〜昭和6年まで鉱石を運搬手段として、活躍していたそうです。
全長14.5m、12.5tの鉱石を積載していたそうです。

すぐ近くの吉ケ原駅在住、人気者「駅長猫コトラ」ちゃんは只今お昼寝中でした。


柵原鉱山の残っている施設や片上鉄道吉ケ原駅舎など、岡山県の近代遺産に指定されています。
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