<< September 2019 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>

カテゴリー
最新の記事
最新のコメント
最新のトラックバック
月別の記事
リンク
サイト内検索
その他
美味しんぼ 109 (ビッグ コミックス)
美味しんぼ 109 (ビッグ コミックス) (JUGEMレビュー »)
雁屋 哲
著名なグルメ漫画に『日本全県味巡り 島根編』が登場しました。石見の食の幸も色々紹介されています

国銅〈上〉 (新潮文庫)
国銅〈上〉 (新潮文庫) (JUGEMレビュー »)
帚木 蓬生
天平の世、大仏造営の命を受けて奈良へと旅立つ青年の苦難の人生を軸に、当時の人々の生き様が素朴で力強く描かれた良書
SPONSORED LINKS
MOBILE
qrcode
歩きたくなった五十猛〜石見銀山へのルート

    高橋 悟講座で、石見銀山の生鮮食料品はどこから運ばれたかのお話がありました。

五十猛といえばかっては漁業で栄えた町であり「ワニ」の文化がある。つまり、「さめ」という魚。筆者の知り合いも最近までワニ漁をしていた。

 

講座では、銀山旧記によると石見銀山最盛期には20万人住んでいたという。ですが実際は3万人あたりであろうとの話。よくガイドでもお話するがお米や生鮮食料品はどこから運んだか?。銀山街道により温泉津港,周辺の村々から運んだであろうと説明する。高橋先生は民話を通じて五十猛から石見銀山に通じる銀山街道(12km)を利用して鮮魚を運んだとの説明、つまり、文政年間、嘉登藤左衛門という人物がいて石見銀山領の公職を勤め一方で漁業(魚問屋)を営んでいた。運んだ道は大浦〜丹波〜大屋(菰口)〜銀山へ運び脇道が多いという。このルートの中間点、十番田(とーばんだ)付近に五十猛の民話「尻焼藤左衛門」の話がありますとか。「人間がきつねに化かされるというお話」

お話を聞いて、歩いてみたいなと思いました。五十猛へのこのルート、当会所属のガイドも数人いる。今まで話が無かったことが不思議であるが、歩いてみる価値はあると思いました。菰口には天野助次郎及び井戸平左衛門の碑が並んで建てられている。ルート辿れば新発見あるかも。ぜひ企画して歩いてみたいと思いました。(S)

| ガイドつれづれ日誌 | 01:38 | comments(1) | trackbacks(0) |
俳人大淀三千風

 江戸時代の前〜中期、石見銀山領からの銀産出量の急速な減退にもかかわらず、石見銀山では俳諧をはじめ文化的活動が盛んに行われていました。石見銀山資料館館長の仲野先生のお話しによると、貞享元年(1684)5月6日に、俳諧人大淀三千風が銀山町を訪問し、下河原の西本寺に逗留し、銀山師熊谷直純と句会を催していました。大淀三千風という俳諧師は一体どんな人物だったのでしょうか。

 三千風は寛永16年(1639)伊勢の富裕な商家に生まれ、15歳の頃より談林派俳諧に親しんでいたようです。寛文9年(1669)31歳の時に憧れの仙台の地を訪れ、都合15年間仙台で過ごしました。そして仙台の俳壇では指導的役割を果たし、俳諧をとおして松島の絶景を全国に広めた人物として有名です。ある時に1日で3千句を作ったといわれることから、三千風と名乗ったと言われています。その時の三千風の発句。

 空花を射る矢数や一念三千句 

三千風は談林派俳諧師としては主要なメンバーだったようです。高名な俳諧師である三千風が、銀山として往年の輝きを失った石見銀山を訪れたことはある意味すごいことだと思います。

 芭蕉が河合曾良を随行して「おくのほそ道」の旅に出立したのは、元禄2年(1689)の旧暦3月27日。そして仙台に到着したのが同じく5月5日、すぐに三千風を訪ねています。芭蕉は三千風に会うことを非常に楽しみにしていたようですが、三千風はその2年ほど前に、故郷の伊勢に旅立っていました。芭蕉は三千風の不在に相当落胆したということです。芭蕉は、情報通として知られる曾良を随行させながら、三千風の留守を知らなかったのだろうか、という疑問は残りますが。それはともかく、三千風はほぼ西行の足跡をたどり日本中を歩いていたようです。三千風が行脚俳人と言われる所以です(O)。

| ガイドつれづれ日誌 | 09:15 | comments(1) | trackbacks(0) |
アンコールワットと石見銀山

 先週水曜日の当ブログ(カウントされる世界遺産の数)に、カンボジアの世界遺産・アンコールワット遺跡に関するiso800さんのコメントが寄せられていました。

いつもながら、卓越したコメントと感心しております。

 そのアンコールワット訪問記の投稿依頼を、iso800さんにお願いしましたところ、快く引き受けて下さいました。

 下記は提出頂いた原文そのままを載せています。(T)

 

「アンコールワットと石見銀山」 

 

       アンコールワット遺跡 

 

 アンコールワットは、12世紀に建造が始ったヒンズー教寺院で、その後、仏教寺院に変わったといわれる、ジャングルの中に造られた広大な石造建築群です。寺院と言っても周囲は1.5km×1.3kmもあって、幅190cmの濠で囲まれています。

 

        踊る神々のレリーフ

 

 高い石像寺院の造形美と数々の壁面のレリーフ画には定評があります。 

 

        アンコールトム遺跡

 

 近くには、アンコールトムほかの寺院群も存在して、クメール族の権力の大きさと偉大さを理解するには十分です。

 

 私たちが訪れた8月は現地では雨期でした。遺跡に着いたときには既にかなりの蒸し暑さを感じ青空の下で汗をぬぐいながら散策しましたが、2〜3時間後、寺院を出る時には俄にスコールが襲ってきて雨宿りを余儀なくされました。スコールは一日に一度ではなく二回も三回も、また突然に来るものだということを実感しました。

 

 さて、アンコールワットと石見銀山とは繋がるものは何もありません。遺跡が作られた時代や遺跡の性格も違います。しかし、時代の経過の中で一旦その存在が忘れられていて、その発見とそれを価値あるものとして世に出した人々がいたと言う点では共通点があります。その詳細はここでは触れませんが、両方とも後世に日の目を見た世界遺産でした。

 

 アンコールワットでは多くの外国人観光客を目にしました。現地の人たちはまだ観光に出かけると言う経済的な余裕がないのか観光客としては殆ど見かけませんでした。現地の人たちといえば物売りと観光業者だけという感じでした。

 そのなかで強く印象に残ったことは、ガイド体制の充実ぶりです。私たちのガイド(男性)は日本語がとても堪能でした。彼は日本に来たことがないと言っていましたが、歴史や宗教の知識を兼ね備えていて、明るく素晴らしいガイドでした。遺跡を訪れる観光客の殆どが外国人だということから、遺跡では英語、フランス語、ドイツ語、スペイン語、ロシア語、中国語、朝鮮語などあらゆると言って良いほどの外国語が聞こえました。彼の話しでは、彼の所属する会社には数十人のガイドがいると言っていましたので、アンコールワット全体では外国語ができるガイドは百人以上はいることになります。ここが石見銀山とは決定的に違うところでした。

 

 ところで、アンコールワットの最寄りの町は、Siem Reap(シエムリアップ)と言います。人口約100万人の都市です。国際空港を持っていて、私たちもこの国際空港を利用しました。

 以下現地ガイドから聞いた話です。Siem Reapという都市の意味は「シャム(タイ人)を打ち負かす」ということだとか。アンコールワットは18世紀タイ(当時はシャム王国)の侵略を受けシャムに割譲されましたが、その後、そのシャム人を追い出したことに因む地名だそうです。どこでも、隣国とは紛争と確執があるものだなと感じました。            (iso800)

 

 

 

 

| ガイドつれづれ日誌 | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
「発見」

少し以前の当欄で、観世音寺の法面の木が伐採されたことを取り上げました。

 

 

この写真も紹介したと思いますが、写真右上の小高くなっているところの下と写真中央付近に仏像があることには気が付きませんでした。

 

 

 

こちらは、首がついていないのもあります。

 

どういう仏像なのか、どうしてこんな場所に置かれているのかご存知の方にはぜひ教えていただきたいです。

昨日、町の方に、教えられて初めて気が付きました。

ぼーっとしていては、見えているものも見えないのだと思いました。(A)

| ガイドつれづれ日誌 | 07:57 | comments(1) | trackbacks(0) |
人とのふれあい

   先ごろ、竹下ブリキ店店主「竹下佳嗣」氏がお亡くなりになりました。謹んでご冥福をお祈りいたします。私がガイドになってから、おそらく数年がたってからのことであったと思います。難しい人とはお聞きしていましたが、私は性格として現役時代から嫌いな人はつくってきていません。確かにいやな人物はいますが、それでも避けては通りません。竹下さんのお店に寄ってよくお話したし、晩年はガイド事務所によくカメラ持参でお出でになられました。入口の椅子に座り話したり事務所の中でもお茶を飲みながら話したもんです。元気な頃の竹下さんを思い浮かべています。町並みガイドしていて町の人と出会います。その出会いを通じて何人かの方とも知り合いになり、お付き合いさせていただいています。

  竹下さんには、よく叱られました。いい意味であったととらえています。奥さんとも仲良くさせていただいていて、竹下さんが元気な頃はよく奥座敷に入って、しかも部屋まで上がってお茶を頂いたものです。こんなガイドさんっていますかね。人との付き合いは大切です。よく話をすることでしょうね。

あらためて竹下さんの姿を思い浮かべ当時の姿を振り返っているこの頃です。

竹下さん、やすらかにやすんでください。いっか写真談義をいたしましょう。(S)

 

| ガイドつれづれ日誌 | 01:43 | comments(1) | trackbacks(0) |
敬老の日だからこそ思い出して…

  今日915日は私の町の敬老会、私の町では、今年度中に75才になる方から対象になります。というわけで私も昨年から敬老会への招待状が来るようになりました。私が若くて格好良い頃は(そんな頃もあったのですよ)たしか、「老人の日」って言っていたような、対象も60才か65才くらいだったように記憶していますが(確かではありません)その頃は高度成長の真っただ中で、勤め人の定年は55才でした。地方の若者は学校卒業すると皆都市部に流れ地方では急速な過疎化が始まった頃の話です。中学卒の人を「金の卵」といっていました、あれは雇主にとっての言葉だったんですね。私は高卒でしたから差し詰め文字通り「銀の卵」であったのかも。

就職列車・ホームの別れ

 敬老の日を迎えるにあたって、自分の人生をしみじみと振り返ってみました。数えきれない人と出会っては別れ、又たくさんの人生の分かれ道に遭遇、此処まで歩いてきました。今走馬灯の如く色々な旧友が思い浮かびます。勿論亡くなった方も少なくありません、生死のほども分らない人も。普段忘れていますが、思い出してみると次から次、いずれも懐かしい思い出にひたり、思えば遠くに来たもんだ・・・と口ずさみたくなるような、そして、概ね私の選んだ道は正解であったと思います。今敬老会に招待される事が素晴らしいことなのですね。

寿・敬老の日

これから後も石見銀山ガイドとして、沢山の方々とお会いできることを楽しみに一日一日を大切にして活きて行くつもりです。今後とも皆様よろしくお願いいたします。(銀爺)

紅白・祝い饅頭

| 季節の話 | 00:00 | comments(1) | trackbacks(0) |
三浦編集室

群言堂の「三浦編集室」の最新号を読みました。

今号は、「三浦編集長第一子誕生記念」の特集記事が面白かったです。

 

 

大森町での近年のベビーラッシュについて書かれています。

記事によれば、この10年間で47人の子どもが生まれているとのこと。

 

今年9月1日現在、大森町は、202世帯、408人の人口です。

世界遺産登録時の2007年は、411人でしたから2007年比99%です。

大田市の人口は、9月1日現在34521人で2007年比84%です。

 

 

2015年に大森さくら保育園が5人でスタートして、現在24人になっていることや、「大森の子育て」の現状や課題についても触れています。

大森町の現在を知り、今後を考える貴重な特集だと思いました。

関心ある多くのみなさんに読んでいただきたいと思いました。(A)

 

 

| ガイドつれづれ日誌 | 09:11 | comments(0) | trackbacks(0) |
銀山学習の一工夫。

   我が町、鳥井町には地区社協のサロン活動「やすらぎの会」があって毎月、高齢者向けの健康講座、歴史の話などを通じて認知症予防の取り組みを行っています。

また、小学生を交えての世代間交流にも積極的に取り組み小学校からも高い評価をいただいています。

昨日、5・6年生を迎えて9月の取り組み、銀山学習として「町並み保存」について、講師に地区社協メンバーである橋田氏を迎えて1時間たっぷり講演していただきました。内容はパワーポイント使って町並み保存地区の歴史について、その年代別の動きなど詳細にお話がきけました。簡単にまとめるなら、この話で町に住む人々の暮らし、保存活動を通しての苦労など、町並みガイドに通じるものとして参考となりました。筆者にとっても勉強になる内容でよかったです。

 

終了後、参加者に聞いてみると「ぜひ歩いてみたい」との要望があがりました。このことから子どもたちも含め特別講座として秋に「町歩きしましょう」と学習を終えました。

 

こういう形で石見銀山の勉強ができることも大切と感じました。(S)

 

| ガイドつれづれ日誌 | 12:22 | comments(1) | trackbacks(0) |
もうすぐ秋……

 まだまだ暑い日が続いていますが、さすがに少しずつ気温は下がってきました。吹く風も涼しく感じられるようになっています。❛秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる❜ですね。

 

 暑い中、汗を流しながら遺跡を巡ってようやく帰り着いた方々は、「いやぁ、よく歩いた。何か冷たいものがほしいなあ。」と、冷たいアイスや飲み物を買っておられました。大人も子どもも皆さん本当においしそうに食べたり飲んだりしておられました。しっかり歩いて汗をかいた後に口にする冷たいもの、体と心に沁みてさぞ美味だったろうと思います。

       山陰の誇る大山乳業のアイスです

 

        ラムネがとっても人気でした

 

 

 残暑は厳しいけれどそれもあと少し、もうすぐ秋がやってきます。銀山の秋の訪れを楽しんで下さい。

 

 

 お知らせです。毎年発掘や研究が進んでわかったことを伝えて下さる、恒例の講演・報告会が9月14日に大田市民会館で開かれます。

 

 どんな話が聞けるか楽しみです。

 

               (М)

| ガイドつれづれ日誌 | 10:07 | comments(0) | trackbacks(0) |
カウントされる世界遺産の数

 世界遺産の登録件数は、毎年増えています。

 2019年7月現在では、1,121件(文化遺産869件、自然遺産213件、複合遺産39件)が登録されています。昨年より29件増えました。

 このうち日本の世界遺産は23件(文化遺産19件、自然遺産4件)で、昨年より1件増えました。
 

 「石見銀山遺跡とその文化的景観」のモミュメント

 

 ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)のロゴマークとユネスコ憲章の前文が記載された、登録記念のモミュメントが銀山公園に建てられています。

 その前文には、「戦争は、人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に、平和のとりでを築かなければならない。」と記載されています。

 

 時折りですが、世界遺産が増える理由を来訪者から尋ねられます。 その理由を、

 現在、戦争により、あるいは財政的に、自分の国の世界遺産を守ることができない国もあります。ユネスコに加盟して、お互いの国々と人々が世界遺産を守り、世界平和につなげて行くことを、世界遺産登録の大きな目的の一つとしています。

 世界遺産が増えてゆくことは、世界平和につながることでもあると思います。とお伝えしています。

 

 

 日本は、1951年にユネスコに加盟し、1992年に世界遺産条約(世界遺産の保護に関する条約)を締結しました。

 戦争により、その国の文化財が破壊されたところもあります。世界遺産を通して、お互いの国の異文化を認め合い、平和のための教育をすることが大切だとユネスコは伝えています。

 石見銀山では、小中学生の銀山学習のガイドを行っています。このことをしっかりとお伝えしたいものです。 

                 文 責(T)

| ガイドつれづれ日誌 | 00:01 | comments(2) | trackbacks(0) |
| 1/347PAGES | >>