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まだまだわからん石見銀山 第68話 昆布山谷の間歩―村上坑の風

 昆布山谷を登っていくと、虎岸寺跡を過ぎて谷の標高が高くなりやがて谷が尽きようとする手前の左斜面(進入方向から見て左、つまり仙ノ山側斜面)に村上坑と呼ばれる坑道の入り口(間歩番号303番)が見えます。この坑道は公開されていないので、坑口は閉鎖されています。なお、坑口の標高は273.5mです。

 

 したがって、坑口から中に入ることはできませんが、坑口から人が立って進める水平坑道が奥に続いているのが見えます。坑口でよく耳を澄ますと、不思議なことに坑内から風の音が聞えてきます。

             村上坑。大きい坑道である。

 

 坑道図を見ますと、この坑道は仙ノ山の地底に向い一旦南南東方面に進みその奥で南進して村上竪坑を経て佐藤鉉があった「永久東延」の方向に伸びています。故石賀末太郎氏の実測では坑道長が136辰箸覆辰討い泙后B湿綛はおそらく江戸時代から明治期にかけて永久東延鉱区で掘り出した銅鉱石を昆布山谷方面に搬出した重要な坑口ではなかったかと思われます。明治期には藤田組のもとで佐藤鉉採掘のため盛んに利用されていることがわかります。

 藤田組の記録を見ると、村上鉱は永久坑から垂直距離で156綻緤にあり、佐藤鉉の東端にあると書かれています。

 

 閉山してから100年になろうとするのに、村上坑で何故今もって風の音がするのか本当に不思議です。どうやら坑内は閉塞せず奥で佐藤鉱などとまだつながっていて、空気の圧力差で煙突効果のような現象が生じていてそのような風音がするのかなと想像しています。(Ng)

| ガイドつれづれ日誌 | 00:32 | comments(0) | - |
不要不急老人の戯言(14)

―気候変動がもたらすもの―

 オーストラリアの森林火災がようやく終息したと思ったら、今度はアマゾンの熱帯雨林そしてアメリカ西海岸でというように、地球上のあちこちで今までなかったような大規模な山火事が続いています。地球温暖化、気候変動にともなう高温、乾燥、豪雨などにより、気象専門家に「これまで経験したことのない」と言わしめるようなさまざまな自然災害をもたらしています。カルフォルニアの山火事を視察した当事国大統領は、「そのうち涼しくなる」と涼しい顔でのたまったとか。

オーストラリアの山火事を終息させたのは、皮肉にも今までになかったような豪雨によるものらしい。さらに、東アフリカから中東にかけての乾燥地帯には記録的な降雨により植物が繁茂し、これがバッタの大量発生をもたらし、これらの地域と近隣に住んでいる数百万人が飢餓の危機に瀕していると言われています。

ところで、数日前の新聞に鳥取県大山の山火事ならぬ真っ赤な炎のような紅葉の写真が載っていました。紅葉には早すぎるなと思って記事を読み進んだら、何とこれがミズナラの「ナラ枯れ病」によって枯れ死したことによるものらしい。この病気にやられるのは、文字通りナラ、クヌギ、シイなど落葉、常緑にかかわらずブナ科の、いわゆるドングリがなる樹木です。

ナラ枯れの機序は、まずカシノナガキクイムシという5ミリほどの虫が樹木に穴をあけ、トンネルを掘ります。そこまでだったら樹木にとって大した害にはいたりません。この虫は、通称「ナラ菌」といわれるカビの一種を一緒にこのトンネルに連れ込み、これが異常繁殖して、導管という根が吸収した水分を葉や枝に送る組織にダメージを与え、結果的に水の上昇が停止することによって樹木が枯れます。カシノナガキクイムシは直接木材を食べるのではなく、自分が開けた穴にこの菌を繁殖させ、その菌を食料にしています。この両者の関係は生態学的には「共生」と言います。それはともかく、今年の夏は高温に加え降雨不足だったことも大きな被害になった要因と言われています。実はこのナラ枯れ病は7〜8年前、この周辺の常緑広葉樹であるカシやシイの大径木に大きな被害を与えています。里山の循環的な木の利用がほとんど行われなくなり、キクイムシの活動にとって最適な樹齢になったからだと言われます。

 今まで、ナラ枯れの被害を受けるのは里山の樹木だけかと思っていましたが、今度は中国山地の原生林にもその被害が及んできたことになります。島根県には安蔵寺山、大万木山、それに三瓶山などにミズナラの原生林がみられますが、今どうなっているのか、これからどうなるのか気がかりです(O)。

| ガイドつれづれ日誌 | 08:11 | comments(0) | - |
男三瓶山をご案内して

 久しぶりに、国立青少年交流の家事業の野外活動の一環で男三瓶山をご案内しました。濃霧が張る視界の悪い天気でしたが、80名の皆さんは元気に登られました。広島から来られた某女子大学の学生の皆さんです。

 コロナ対策で、事業が保留となっていましたが再開されています。

 

 交流の家「集いの広場」のオリエンテーションです。

 

 石見銀山ガイドの会では、国立公園・三瓶山の登山ガイド(一般の人を含む)を引き受けています。

 自分の体力に合った山登りは、心身ともに健康な体を作ります。汚染されていない美味しい空気を吸い肺機能を向上させます。適度に発汗しますから循環機能を高めます。そして、筋肉トレーニングにも一役買っています。

 ゆく道沿いの野花を愛で、鳥の声を聞き、小型動物の気配を感じながらの山歩きは爽快そのものです。

 

 男三瓶山山頂の避難小屋付近は霧が張っていました。

 晴れた日には、「三瓶ブルー」と言われている青い空が四方に広がり、眺望は県下随一と言われています。

 

 先生方と一緒に、ガイドの会の若手?私たちがご案内しました。

 

 コロナで世の中が変わっても「ヒト」は動物です。

身体にいいことを忘れてしまっては、いけないように思います。快食・快眠・快便・運動は生きるための4大要素と言われています。あなたをリフレッシュさせ、この「快」を活気付ける山歩きから始めてみませんか。    

               文 責(T)

 

 

(番外編)

      トモエシオガマ(巴塩竈)

 

 三瓶山山頂付近に咲いていました。よく知られた高山植物ですが三瓶山にも咲きます。名の由来は、花を上から眺めると渦を巻く巴形に似ていて、葉は浜に咲くシオガマギクに似ているからとあります。回転して開花するさまは、花の風車のようです。花も形を変えいろいろ咲き誇ります。

 

 

| ガイドつれづれ日誌 | 00:00 | comments(0) | - |
埋もれ木サミット

「石見の火山が伝える悠久の歴史〜”縄文の森””銀(しろがね)の山”と出逢える旅へ〜」の日本遺産認定を記念して「埋もれ木サミット in 大田」が開かれます。

 

海底にある2000年前の埋没林の富山魚津埋没林博物館、2万年前の旧石器時代の森の仙台市の富沢遺跡博物館、4000年前の埋没林さんべ縄文の森ミュージアムの3施設の合同開催です。

ワクワクする取り合わせです。

 

 

日時  10月3日(土) 13:30〜16:00

所   あすてらす

予約  事前予約が必要です

定員  先着100名

参加料 無料

 

お問い合わせは、

さんべ縄文の森ミュージアム

電話 0854−86−9500 まで。

 

翌日の4日は、先日紹介した「オペラ石見銀山オールキャストコンサート」が開かれます。

二日連続日本遺産認定祝賀のイベントです。(A)

 

| ガイドつれづれ日誌 | 06:58 | comments(0) | - |
まだまだわからん石見銀山 第67話 大谷の間歩―谷奥の間歩群

  大谷は龍源寺間歩から降路坂を経由して温泉津に向かう街道沿いの谷で、坂根口番所を配し交通の要衝でした。柑子谷に越える峠道もあり、また祖式方面へ抜ける道も通っていました。古地図を見ると、二つの谷沿いには奥まで家並が描かれていますから、集落があって多くの人々の暮らしがあったようです。旧高橋家より西だけでも銀山川下流から順に西善寺、本経寺、徳善寺、上徳寺、荒神寺など複数の寺院跡が残っていることから相当な人口があったものと思えます。間歩も複数あったと考えられます。そのうち名前が残っている二つの間歩と一つの竪坑を紹介します。

 

 1、紺屋間歩(間歩番号530) 

 龍源寺間歩から降露坂方面に約200誕臙を進むと道沿い右手に坑口が見えます。坂根口番所跡の手前のあたりです。坑道は西北方面に延びています。その西約25辰吠未隆嵎癲粉嵎眸峭533)もあります。

             紺屋間歩

 

 これまでに何度も引用した『銀山古事覚書』(山中家文書)に元和9年(1623)のこととして、柑子谷から水抜き用に主税横相坑道を開削した結果、紺屋間歩(「大谷紺屋後山」))から銀鉱石銀千七百枚を売却できたと記録されています。

 また、『元禄四年万覚書』によると、「紺屋後山」とあって、元禄4年(1691)当時、山主は小野三郎兵衛で、行地(奥行き)150尋、敷下(下部開削)35長という報告があります。江戸時代のかなり初期から採鉱があったようです。

 

 2、荒神間歩

 同じく『銀山古事覚書』(山中家文書)に「銀四千七百枚 大谷荒神間歩」とあります。このとき(元和9年(1623))既にこの間歩があって、銀の産出量が極めて多いことがわかります。

 また『元禄四年万覚書』によると、元禄4年(1691)当時、山主岡崎庄衛門で、行地(奥行き)250尋、敷下(下部開削)42長、寛文元年が大盛だという報告があります。紺屋間歩と同じく早くから優勢な間歩として開発されたことがわかります。

 ところが、筆者にはこの荒神間歩の所在がはっきりわかりません。龍源寺間歩から銀山川を上流に進んだところの字名に「荒神」がある一方、『石見国銀山麁絵図(そえず)』(寛政元年=1789、高橋家文書)を見ると、龍源寺間歩の向かいの山吹城側の斜面の中腹にやはり「荒神」という祠があります。荒神間歩はどこにあったのでしょうか。

 

 3、龍源寺間歩から約50胆召龍篁垣郛緡右岸に竪坑(間歩番号478)があります。この実態はよくわかりません。位置からすれば、兼鉉を掘った坑道の通風坑のようにも見えますし、あるいは永久坑の真上に当たっているので永久坑の通風坑かもしれません。(Ng)

| ガイドつれづれ日誌 | 00:31 | comments(0) | - |
鮟鱇の交尾

 私の町では、近い昔を掘り起こす歴史の会(名前は未だ無い)を立ち上げ、古老を中心にその道に詳しい方から聞き取り調査をしています。その中から、海に関する聞き込み調査から、一見遠浅で砂のイメージの私の町の海も調べると岩礁、瀬の連なる特殊な海でした。沖合1kほどに東西に延びる岩礁の群れ、中には人が立てるほどの場所もあります。この岩礁には当然海藻が繁茂し、従って昭和の時代ワカメ漁が盛んでした。猟期は3月中旬〜5月の僅か2か月余り、実働日年間20日もあれば多い方です、その間に年間漁業収入の約3割を稼ぐ主要産業でした。

岸よりの白波は遠浅、沖合の白波は東西に連なる瀬による

又この岩礁に生える海藻は魚の産卵場で初夏には「アゴ(トビウオ)」が産卵のために集まり漁師は、瀬の沖に網を張りアゴ漁が毎年行われたのです。又サザエやアワビ漁も行われています。

しかし、この岩礁が多い事で、港としては発展できませんでした。座礁事故が多いのです。鳥井の大型船は温泉津港を拠点にしています。隣の和江港も利用しますが、此処は偏西風をまともに受けやすい欠点があります。

波間から岩礁が覗くところもあります

「石見銀山通信」とは、一見無関係のようですが、江戸期長崎貿易による銀の海外流出を抑えるために「俵物」という海産物(ナマコ、アワビ、フカヒレ等)が重要視される等、また佐渡の金銀山の食糧供給に石見より漁師が移住する等、海も又銀山と無関係ではありません。

 そして過っては、ワカメ漁は我が村の主要産業でした

浜辺いっぱいに天日干しされるワカメ

 そんな中、我が町の漁業に詳しい町の「さかなクン」の話から、鮟鱇の話を紹介します。鮟鱇は見た目のグロテスクから、一般からは見向きもされない魚でした、しかし地元では安くて美味しい冬場には毎日のように食べたものです。今ではその美味しさから高級魚化し、めったに口に出来ません。そういえば、マグロも冷凍技術の無い時代ゲテモノであったとか。でその鮟鱇ですが、私たちが目にする鮟鱇は雌でした。鮟鱇の雄は雌の鮟鱇とは似ても似つかぬ小型の成魚で暗い深海を雌を求めてさ迷い歩く放浪生活を送ります。一生雌に巡り合えず終わるのも稀ではありません。そこで運よく雌に巡り合えると、雄はテコでも離れない作戦となり、雌の体にかぶりついて離れません、そのうちに雄は雌の体に同化してしまい精巣だけが雌の体に残ると云う事です。文字通り死んでも離さない作戦です。よって鮟鱇のメスは雄を取り込み巨大化するというホラーみたいな鮟鱇の交尾でした。(銀爺)

見た目グロテスクな鮟鱇、実は美味

 

| チョコッと脱線 | 01:03 | comments(1) | - |
ウォーキングミュージアム

修学旅行のガイドが本格化してきて、24日、25日で6校のみなさんをご案内しました。

天気を心配しましたが、ガイド中は何とか持ちこたえてほっとしました。

 

さて本題です。

7月から「石見銀山 ウォーキングミュージアム」が開催されていることは当欄でも紹介しました。

全国的に著名な人や地元の人の作品に加えて、昔からの道具や設え、さらには町並みの文化財も観て歩きできる、町並み全体をミュージアムに見立てるという大森町ならではのユニークで素敵な企画です。

 

石見銀山資料館の「※八景」の展示作品の一つです。

 

 

巨大な米粒の後ろにしめ飾りが見えます。近寄ってみると

 

 

たくさんの鶴と亀がいることがわかります。

ご案内したお客様たちが感嘆の声をあげられます。

 

ウォーキングミュージアムは、11月3日まで、あとひと月余りです。

まだご覧になっていないみなさんには、ぜひ見ていただきたいです。(A)

 

 

| ガイドつれづれ日誌 | 08:48 | comments(0) | - |
まだまだわからん石見銀山 第66話 大谷の間歩―甘南備坑

 甘南備坑は間歩番号468番の間歩だと言われていますが、確定には至っていません。この間歩は大谷の山吹城(要害山)登山口付近で北向きに開口しています。江戸時代に甘南備山の名の下に開削された後、明治期になって再開発されたようです。

            甘南備坑

 

 『銀山古事覚書』(山中家文書)に元和9年(1623)のこととして「銀千二百枚 大谷甘南備山」とあります。よって、江戸時代初期には採掘されていたことになります。

 

 『元禄四年万覚書』によると、元禄4年(1691)当時、山主は矢野九左衛門と清水源左衛門で、行地(奥行き)200尋(約360叩法敷下(下部開削)45長、延宝3年と当年が大盛だとあります。なお、享保14年(1729)には山主矢野七右衛門、銀掘2人、手子1人とあります。

 

 平成25年(2013)久間英樹氏(松江高専教授)がロボットを使って間歩内部の調査をされました。その結果縦約1.4×横約1辰龍觀噌F擦任△辰董奥行き56.5辰泙巴戯され、内部は坑口から約38.5鍛賄世燃段状の下向き坑道(支坑)があり、また同56胆茲虜限Δ砲皺叱き坑道があることがわかりました。また同40檀婉瓩播譴剖覆っていることもわかりました。1700年代初期に横相間歩として採掘したことが推定されました。(Ng)

| ガイドつれづれ日誌 | 00:33 | comments(0) | - |
すっかり秋 涼しくなりました

 涼しくなりました。寒いくらいです。お客様も長袖の服を着ている方が多くなりました。城上神社の大イチョウも黄色く色づいてきています。雛屋前の田んぼの稲も実って稲刈りもまじかです。銀山はすっかり秋の気配に包まれています。

 

 四連休が終わりました。この間、全国各地からたくさんのお客様がおいでになり、朝早くから銀山公園、代官所跡駐車場も満車となり、終日賑わいました。コロナ関連で中日さんが中止になり、その他のいろいろなイベントも取りやめになっていますが、銀山では、大田市特産のあなご弁当や鯛めし、三瓶山麓のイワナやヤマメの塩焼きの店が出て好評でした。お客様や地元の人が寄られ賑わっていました。大々的なイベントは今の時期難しいですが、少し連休らしく賑やかな雰囲気を楽しんでいただけました。

 

 実証実験中のカート車も各便満車でした。レンタル自転車も良く出て○○分待ちになっていました。

 

 レンタル自転車 丁寧に操作の説明を受けてからレッツゴー

 

三瓶裾野の清流育ちのイワナやヤマメ、香ばしく美味しかったです

 

 密を避け、アルコール消毒、マスク着用等、コロナ感染予防に努めながら、銀山を楽しんでいただいています。これからモミジの紅葉も進みます。コロナ対策をしっかりしてお出かけ下さい。

 

              (М)

 

 

| ガイドつれづれ日誌 | 00:03 | comments(0) | - |
緑は目に安らぎをもたらす

 景気・経済を再興させる目的の政策「GOTOキャンペーン」などが影響したのでしょうか、この4連休「シルバーウィーク」には、たくさんのお客さまが銀山にお越しになりました。

 石見銀山を歩かれた皆さんから、これほど緑に囲まれた鉱山の姿は、初めて見ましたという感想を多く頂きます。

 

 空から見た石見銀山の山々(仙ノ山と要害山)

 

 緑の色は、人が昔から見てきた自然の色で、木々や新緑をイメージする色でもあります。

 木々の茂った山や草花の多い銀山、自然の風景を眺めていると心が安らぎます。こうして緑を眺めているとき、実は私たちの目も休まっています。緑が目に良いのは、目の細胞を鎮静化させる効果があるからと言われています。

 

 目をリフレッシュさせる為にも、グリーンを身の回りに置いたり、緑の公園に散歩に出かけましょう。

 石見銀山も歩いてみませんか。   文 責(T)

 

 先日、緑の銀山道をご案内しました。

 喜んで頂けたようです。左の奥側には、江戸時代に掘られたと言われる呉服間歩(坑道)の坑口があります。

| ガイドつれづれ日誌 | 00:00 | comments(0) | - |
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