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龍源寺間歩再公開から3日

 25日に龍源寺間歩の公開が約1ヶ月半ぶりに再開されました。世界遺産センターや龍源寺間歩が開くのを待ち望んでいたお客様が早速おいでで、27日までの3日間で30名以上のお客様が間歩に入坑されました。私たちガイドの会のガイドは6月1日からですが、とても嬉しくお迎えしました。緊急事態宣言が解除されても、県境を越えての移動、三密を避けるよう求められていて、以前の生活に戻るのはまだまだ先の先です。銀山へのお客様も当面少ないことと思いますが、コロナ対策を万全にして、こられたお客様に、安心して楽しんでいただけるよう準備しています。不要不急の外出は自粛しつつ、コロナと向き合った新しい生活を築いて、皆さん、気を緩めず、頑張っていきましょう。

 

 

         雲流れる山吹城址

 

     手裏剣がいっぱい   ヤマボウシです

 

 

 新緑も深まり、遊歩道沿いの山野草も初夏の訪れを教えてくれています。県をまたぐ移動は避けましょうの要請があったからでしょう、宣言解除までの期間、松江や出雲、大田、浜田等、島根県内・地元からのお客様が多く、これも嬉しかったです。爽やかな気候の季節です、無理のない範囲でお出かけ下さい。

 

              (М)

 

 

| ガイドつれづれ日誌 | 00:05 | comments(0) | - |
免疫力のアップは笑いから

 先日の日曜日は、眩しいくらいの熱い陽射しでした。春が少しずつ遠退いて、本格的な夏がそこまで来ているようです。やって来る夏と共に、新型コロナ対策の自粛制限も緩和されつつあります。銀山ガイドの活動も6月1日から再開される予定です。

 

        大田市三瓶町の朝陽

 

 コロナが収まって元気に夏を迎える為に、笑ってモチベーションを上げましょう。長寿番組「笑点」の話題を少しアレンジして、自称キミマロが載せました。

 

 (18歳と81歳の違い)

 

★まだ何も知らないのが18歳

 もう何も覚えていないのが81歳  

 

★自分探しをするのが18歳

 皆んなが探すのが81歳

 

★心がもろいのが18歳

 骨がもろいのが81歳

 

★道路を暴走するのが18歳

 道路を逆走するのが81歳

 

★恋で胸を詰まらせる18歳

 餅で喉を詰まらせる81歳

 

★恋に溺れるのが18歳

 風呂で溺れるのが81歳

 

★嵐と言えば松じゅんの18歳

 嵐と言えば嵐勘寿郎の81歳

 

 石見銀山も早く正常になって行けばと思います。

                 文 責(T)

 

       大田市三瓶町のササユリ

      凛とした咲き姿に惹かれます。

 

 

                          ・

| ガイドつれづれ日誌 | 00:00 | comments(0) | - |
井戸神社例大祭

今日5月26日は、井戸神社の春の例大祭です。

石見銀山御料第19代代官井戸平左衛門の命日が、井戸神社の春の例大祭の日となっています。

享保の飢饉時に代官に赴任した井戸平左衛門は、飢饉で苦しむ領民の救済に奔走しました。

「徳川実紀」によれば、享保の飢饉での餓死者は、全国で約96万人余となっています。

そして、井戸平左衛門は、サツマイモ栽培の普及に力を尽くしたのです。「徳川実紀」は、これ以後この地方は飢饉時に餓死者を出していないと記しています。

 

 

例大祭の時は、毎年、サツマイモの花を連想させる花飾りが飾られます。

今年は、例年と比べると少し控えめなような気もしますが、例大祭に欠かせない町並みの風景です。

 

 

新型コロナが猛威を振るう今年は、特に、井戸平左衛門の遺徳がしのばれます。

例年のようににぎやかにというわけにはいきませんが、お祭りは行われますので、新しくなった欅の鳥居をくぐって、コロナによる被害がこれ以上広がらないことを願って、お参りに行こうと思います。(A)

| ガイドつれづれ日誌 | 06:48 | comments(0) | - |
まだまだわからん石見銀山 第31話 なぜ石銀というのか

 仙ノ山の山頂付近は高原状になっていて、嘗てそこには「石銀(いしがね)」という石見銀山開発初期の鉱山都市がありました。標高470蛋宛紊了馨紊任垢ら、文字通り空中高山都市でした。面積は約20haあり、昔から「石銀千軒」といわれ、相当規模の集落がありました。ガイドはこれを「東洋のマチュピチュ」だといって紹介しています。

             マチュピチュ遺跡(ペルー)

 

 考古学的な発掘調査も進められていて、住居跡、露頭掘跡や間歩、製錬所跡が確認されています。特に、遺物として簪(かんざし)、中国の華南三彩、茶の湯道具などが出土し関係者を驚かせました。これらはいずれも高価な品々でありそれらがあったということは当時相当裕福な人々が住んでいたことを物語っています。また、茶の湯を嗜むような教養人もいたということがわかります。鉱山といえば、全国から欲(よく)とカネ目当てで集る人たちを連想しがちですが、石見銀山の石銀はそうとばかりは言えないところだったようです。

 現在でも現地を訪ねると、寺院跡、多数の墓石と平坦面、窪みを見ることができます。今まで紹介してきた天池寺(後の清水寺)や他の寺院も存在していたものと考えられます。

 

 『高野山浄心院過去帳』からも戦国末期の住民の様子がわかります。それによると、過去帳に石銀(過去帳には「石金」と表示されている)の人が39人載っています。これは何年間の記録かはわかりませんが、高野山の特定の寺院に記録された死者数です。同じく掲載人数で栃畑92人、昆布山58人、銀山55人から比較しても、石銀という鉱山町には当時かなりの人が住んでいたことが推定できます。

         石銀集落復元イメージ図 ©おむらななえ

 

 ところで、「石銀(=石金)」とは、語義としては鉛のことです。黄金(金)、白金(銀)、赤金(銅)、水金(水銀)というように石金は鉛です。どうしてあの場所が「石銀」と呼ばれるのか不思議です。田中圭一氏は、大永年間に(つまり、慶寿による灰吹法の導入の前)はじめて銀鉛錬の製錬をしていた所が石銀ではないかと言われています。

 また、いつから「石銀」と呼ばれたのかもはっきりしません。「石銀」の初見は16世紀後半の毛利家文書『石見銀山納所高注文』にある「八十貫 いし金口役但不定、年ニヨリ候」だそうです。

 

 石銀にあった清水寺は付近で銀が採れたので山号が銀峯山、これに対して大和国吉野にあるのは金峯山寺。吉野付近では水銀(辰砂)が採れました。石銀には吉野と同じように峰の頂に集落が存在し、そこに同じような修験の寺院がありました。石見銀山の住民たちはおそらく吉野を訪れたことはなかったでしょうが、そこに出入した修験行者たちは吉野を強く意識しながら信仰と鉱山に生きた人たちだったと思います。(Ng)

                   吉野の里

 

| ガイドつれづれ日誌 | 00:22 | comments(1) | - |
シルバーラッシュは何故起きたP-10

☆シルバーラッシュの幕開け☆

 朝鮮がハングルを捨てた時期、李氏王朝10代「燕山君(ヨンサングン)」の時代(14941506)朝鮮半島北部(現北朝鮮)では銀鉱山の開発がなされていました。実は、この頃朝鮮半島では貴族階級などの高級品志向が強まり、中国製品(唐物)の需要が高まっていました。これらを手に入れるには銀が欠かせなかったのです。

 このような中11代中宗王は明への銀の貢納を恐れ、国内での銀山の開発を禁止し、朝鮮半島には銀は産出しません、の形をとったのです(ようするに、親分(明王朝)が銀持ってこい、銀持ってこい、と煩いので、面倒くさいから銀はございません、と云う事です)。しかし、沙羅(さら)、や緞子(どんす)等高級中国製品の需要は益々高まり、銀の需要が高まっています。

11代「中宗王」の時代から「宮廷女官チャングムの誓い」

 ここで思い出していただきたいのは、前々回(510日)の「元寇」で述べた如く、日本の大内氏の庇護を受けていた「博多の商人」である「神屋寿貞」が朝鮮半島で銀の需要が高いことに目を付けたのは自然の流れであったのです。実は当時日本では、銀は装飾品などに使われる貴金属ではありましたが、銀に貨幣の価値があるとは誰も思っていなかったのです。

銀細工装飾品

 1527年博多の商人「神屋寿貞」による石見銀山開発は(これに関しては、当ブログでNgさんが詳しく解説されています、月曜と金曜がNgさんの担当です)、このような世界の事情の中で行われたのです。当初石見銀山で採掘された銀鉱石は「鉛鉱石」として朝鮮半島に出荷、朝鮮半島ではこの「鉛鉱石」から銀を抽出したのです。そして1533年「宗丹慶寿」により「灰吹き法」という銀の精錬法が伝えられ石見銀山の第一次シルバーラッシュの到来となってゆきました。

 では、銀の見返りに日本に持ち込まれたものは何でしょう、この時代朝鮮では木綿が貨幣の代わりをしていました(日本で米が貨幣の役割をしていたように朝鮮では木綿だったのです)大量の木綿が輸入され日本では16世紀急速に木綿の普及となりました。

 銀のうわさは倭寇や中国の私船(この当時の中国・明朝は「海禁政策」でこれらの船は皆密貿易と云う事です)などのネットワーク等で広まり、ポルトガル船が1543年の種子島漂着・鉄砲伝来となったのです。(銀爺)

鉄砲伝来の図

| 銀山 むかし語りいま語り | 00:00 | comments(0) | - |
25日龍源寺間歩再開

25日(月)から龍源寺間歩の入場が再開されます。

 

 

龍源寺間歩周辺や遊歩道の草刈が終わり、市道の草刈も進んでいます。

再開後は、入場に際してマスクの着用、間隔をあけての入場など従来とは少し違った形での見学になりますが、ご協力いただきたいと思います。

 

 

 

龍源寺間歩付近の間歩と岩盤(大谷間歩群)がよく見えるようになっています。

龍源寺間歩見学に新しい魅力が加わりました。

発掘調査のため整備されたということですが、どんなことがわかるのかも楽しみです。

 

 

道路沿いに階段がありました。この階段の奥には

 

 

何と、五右衛門風呂が残っていました。横は煉瓦ですので、明治期のものでしょうか。

新たな魅力も加わった龍源寺間歩間歩コースを安全第一でご覧いただきたいと思います。(A)

| ガイドつれづれ日誌 | 12:54 | comments(0) | - |
まだまだわからん石見銀山 第30話 佐毘売山神社のこと その四

 佐毘売山神社は旧美濃郡から分霊を受けて、最初は休谷というところに鎮座しますが、「その場所宜しからず」ということで後に昆布山谷に遷りました。何故休谷に一旦鎮座させたのか、何が「宜しからず」なのかはよくわかりません。しかし、何かの事情があったものと思います。

 

 その事情を知る由はありません。銀があったのは石銀・本谷と仙ノ山の西北斜面(つまり昆布山谷方面)であり、銅があったのは同じく昆布山谷方面です。石銀ではなく、また昆布山谷でもなく、休谷に鎮座させた理由はどういうことだったのか、謎です。また後に昆布山谷に遷すことになるのですが、そこにはどういった事情があったのかも謎です。

 

 その後何十年か経って神屋寿禎が同じ仙ノ山で銀を「発見」したということですから、それまでの銀・銅の産出は忘れ去られる程度の規模だったのでしょう。つまり都茂鉱山の技術をもってしてもなかなかうまくいかなかったのではと推察します。

 

 その要因について更に推察が許されるとするならば、次の二つをあげてみたいと思います。

 第一に、佐毘売山神社が最終的に鎮座した昆布山谷・栃畑谷で銅を狙ったとするならば、それは永久鉱床の銅鉱石を採掘しようとしたと思われます。しかし、後に述べるように(第55話)銅鉱石は鉱脈鉱床ではその生成温度が比較的に高く、地中のより深いところに多く存在します。15世紀の技術では永久鉱床を地中深く穿つことができなかったのではないかということです。

 

 第二に、都茂鉱山と石見銀山は同じ銅といっても鉱物の性質がやや異なります。都茂鉱山はスカルン鉱床という鉱床に存在する酸化銅系の銅鉱石が多いのに対して、石見銀山は鉱脈鉱床(鉱床についてはこの後第55話で説明します)に存在する硫化銅系の銅鉱石です。硫黄分の除去に難題があったことも考えられます(ただし、都茂鉱山近くにあった大年ノ元遺跡では、後期には硫化銅鉱を製錬していることが確認された)。いずれにせよ、宿題として今後の研究に待ちたいと思います。(Ng)

             仁摩町大国から見た仙ノ山

| ガイドつれづれ日誌 | 00:19 | comments(2) | - |
不要不急老人の戯言(4) ―沈黙の春― 

   筆者にとって今年の春ほど静かな春はありませんでした。そこで思い出したのが、今から60年ほど前、レイチェル・カーソンというアメリカの女性科学者が著した「沈黙の春」という本。農薬の大量散布と残留、その食物連鎖により、春になっても小鳥たちのさえずりが聞こえてこない、不気味な静寂が支配する私たち人類の近未来を示唆する作品でした。今年の春の静けさは、鳥ではなく人間の発する声が絶えてしまった静けさです。皮肉なことに 小鳥の声はいつになく美しく響き渡っていました。

20年ほど前、日本中を恐怖のどん底に陥れた牛のBSE(牛海綿状脳症、いわゆる狂牛病)問題がありました。もともとこの病原体はヒツジの風土病だったものが、食物を通してヒツジからウシへそしてヒトへと突然変異しながら乗り移ってきたものです。なぜこんなことが起きてしまったのでしょうか。本来、ヒツジやウシなど草食動物は植物性の飼料だけで育つものです。それが経済効率を求めるあまり、本来廃棄物部分であった動物の骨粉を蛋白源として餌に混ぜて与えたことから、食物連鎖の頂点にあるヒトにまで感染してしまったというのが顛末です。生物学者でエッセイストである福岡伸一氏の言によれば、人間の愚かな浅知恵に対する自然の報復作用なのかもしれません。

そう考えると今回の新型コロナウィルス騒ぎも、やはり人間の行き過ぎた経済活動と際限のない食に対する欲望の果てに起こった自然からの強烈なカウンターパンチとも考えられます。大規模な森林伐採、とめどない化石燃料の消費拡大などが気候変動をもたらし、棲息場所を失った野生動物がヒトの住む家にまで近づき、ヒトはそれを食べ、新たな人畜共通感染症が生じる原因となりました。このままですと、この新型コロナが収束しても、きっとまた別なタイプの細菌やウィルスが手を変え品を変え世界を席巻することになるでしょう。

お上から「緩みが生じている」と言われても、この不要不急の老人の緩みきった心と身体にとって、今さらなあと違和感がつきまとう今日この頃です(O)。

| ガイドつれづれ日誌 | 01:41 | comments(1) | - |
神社の鳥居には鳥がいる。

 島根県の新型コロナ感染対策の緊急事態宣言は解除されました。そして、ここ大田市は、6月18日から三瓶周辺、25日から石見銀山周辺の休業を解除することになりました。(ガイドは6月1日から再開します)

 解除されても私たちガイドは、検温をして、マスクを着用して、お客さまとの距離をとりご案内します。また、密集、密室、密接の3密にも注意が必要です。

 

 目に見えない新型コロナに対処するには、自粛など私たちが出来ることを全て行った後は、神様にお祈りするしかなさそうです。その神社を参詣すると、まず目につくのが入り口にある大きな「鳥居」です。

 非常にシンプルな造形物ですが、これ、何に見えるでしょうか?

 

  町の氏神さん「城上神社」の鳥居(石見銀山)

 

     「豊栄神社」の鳥居(石見銀山)

 

 じっと見ていると、止まり木に見えてきませんか?

 てっぺんに鳥がとまっている姿、その鳥は、もちろんニワトリです。夜明けを告げるニワトリは、神様を導く役目を担っています。これは、天照大神が天の岩戸から出られたとき、高天原に陽の光が差し、同時にニワトリの声が響き渡ったという神話に由来します。

 このとき、ニワトリは明るい光を放ち、神様を先導したと言われています。

 鳥が居る!その「鳥居」をくぐるとき、『 光を放つニワトリが、自分を導こうと上から見下ろしている 』と思うと、希望がわいてきます。      文 責(T)

 

 

    銀山に咲く「ヤエヤマブキ」(2年前)

 

 七重八重 花は咲けども 

 山吹の

 実のひとつだに なきぞ悲しき  

           

           太田道灌 作といわれています。

 

| ガイドつれづれ日誌 | 00:00 | comments(1) | - |
オンラインバスツアー

16日の当欄、「緊急事態宣言解除解除後の観光」についてizayamikiさんからコメントをいただきました。ありがとうございました。

izayamikiさんは、登山アプリYAMAPが「これからの登山に向けて」として「play in your home mountain」と呼びかけていると紹介してくださいました。

コロナの感染を避けるために、遠出しないで、近くの山を楽しもうということだと思いますが、筆者の思いとも共通したものがあるように思いました。

 

 

昨日は、「オンラインバスツアー」の協力の依頼を受けました。

ラインでのバスツアーを企画したいので、ラインで「石見銀山」は案内してもらえないかという依頼でした。

初めて受ける依頼でしたが、協力させていただくことにしました。

いろんなことが考えられて、新しい、生活スタイルができていくのもいいかなと思います。(A)

 

 

 

| ガイドつれづれ日誌 | 08:08 | comments(0) | - |
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