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まだまだわからん石見銀山 第3話 観世音菩薩の御霊光

 『銀山旧記』には、神屋寿禎が石見銀山を発見した、あの有名な件(くだり)が描かれています。

 

「はるか南山を望むに赫然たる光有り。寿亭船子に南山のあかるくあきらかなる光あるは何故やと問いけば、船郎答えて申すけるは、是は石見の銀峯山なりと語り伝う。彼の峯銀を出せしが今は絶えたり。唯観音の霊像のみありて此の山を鎮護し、寺を清水寺と申す。時々この応現あり。此山ふたたび銀を出す奇瑞なるか。今夕の霊光常の時より十倍す。量り知るに貴公の信心観音に通じけるならんと、懇にこそ語りけれ。寿亭大いに悦び……」(傍線は筆者)

 

 ここに引用したように、寿禎が「発見」する以前に仙ノ山で銀が採掘されていたと書かれています。このことと似たようなことが『石州銀峯山清水寺天智院縁起』という文書(もんじょ)にも出ています。だから、「発見」以前の採掘の可能性が十分考えられます。少なくとも当時そのような伝承があったことがわかります。

  仁摩沖から見た仙ノ山。あの山頂に赫然たる光有り?

 

 ただし、この二つの文書は江戸時代の中〜後期に編纂されたもので、「発見」から200年以上も経過しており、どの程度の信憑性があるのかは検討の余地があります。また二つの文書に同じ事実が記述されていたとしてもその底本は同じものかもしれません。

 

 余談を付け加えれば、「南山」という方角に銀が存在するとしたことには古来の信仰上の意味がありそうですし、観世音菩薩が時々応現し、この時十倍の霊光で寿禎に応現したとすることにも何が特別の訳があるかもしれません。彼の信心の深さだけに由来するものとは思えません。(Ng

 

| ガイドつれづれ日誌 | 01:00 | comments(0) | - |
地球温暖化で凍死?

  今年は例年以上に暖冬で、この時期となっても積雪が無い、確かにその日その日は生活しやすいのですが、決して喜ばしいことではないようです。本来寒い時期は寒く、暑い時期は暑くなるのがよろしいようです。ところでこの地球温暖化、国により、人により受け取り方は様々ですが、極地で氷が少なくなっているのは確かなようです。北極では氷が無くなり白熊が餌となるアザラシを捕食できなくなり白熊の個体数が激減しているとか。

 南極では、地球温暖化でペンギンの危機だそうです。ペンギンの赤ちゃんは雨に弱く濡れると体温を奪われ凍死するそうです。吹雪の中では大丈夫なのに意外ですね。アデリーペンギンの巣は小石を積み上げただけの巣ですが、これは万一雨で水が少しくらい出ても小石を積み上げた巣ならば雛や卵は濡れないということですが、度が過ぎればその限りではなくなりますね。つまり、地球温暖化でペンギン凍死と云う事になるのだそうです。くわばらくわばら。(銀爺)

| その他 | 08:22 | comments(0) | - |
創立20周年

今日、1月18日は石見銀山ガイドの会の創立記念日です。

石見銀山ガイドの会は、2000年1月18日、「石見銀山観光ボランティアガイドの会」としてスタートしました。(2006年、ガイド有料化に伴い「石見銀山ガイドの会」に改称)

今日で、創立20周年ということになり、成人式を迎えたということになります。

2000年にご案内した回数と人数は、101回 3399人でした。

昨年は、3962回(20年間で最多)32,176人です、

20年間では、45,980回 626,375人です。

 

 

ご案内したお客様からいただく「楽しかった」「よくわかった」「またきます」などの言葉が、私たちの活動の源です。

世界遺産の意義や価値、魅力を伝えるというやりがいのある活動をこれからも続けていきます。

30周年が迎えられるよう、新会員を大募集中です。(A)

 

 

| ガイドつれづれ日誌 | 08:08 | comments(0) | - |
「道の駅」名称募集 本日締め切りです!

国土交通省中国地方整備局松江国道事務所は先ごろ、山陰自動車道出雲から仁摩間、約37.2kmについて2024年度までに全線開通する見通しであることを発表した。

全線開通することで島根県松江市など東部からのアクセスが一段と向上します。つまりこの開通により世界遺産「石見銀山」への観光に期待がかかります。さらに、現在、山陰道仁摩・石見銀山IC入口に2021年7月開業に向け整備が進められている「道の駅」について名称を募集が本日をもって募集締め切りとなっています。本日付け消印有効ですので応募を検討されている皆さん、今日中にFAXなり投函をお願いしますね。

仁摩地区道の駅にふさわしい市民から親しまれて、好感の持てる名称となりますよう「いい名前」をつけてください。最優秀賞1名に3万円、優秀賞1名2万円の賞金がでます。(S)

 

応募資格   どなたでも応募可能

応募方法   自作未発表のものに限る

       持参、FAX、郵送、メールのいずれかの方法。

必要事項   ‘擦留悗量松(ふりがな)

       ¬松里琉嫐・考えた理由

       M絞愴峭罅⊇蚕蝓∋疚(ふりがな)

              で齢、性別、電話番号

 

        詳細は 大田市ホームページごらんください。

| ガイドつれづれ日誌 | 00:15 | comments(0) | - |
天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)の切れ味

 宮沢賢治の童話「風の又三郎」の転校生、又三郎の父親がモリブデン鉱山の技師であったということから発想をとばし、今回はそのモリブデンのお話し。

むかし、仕事の関係で牛のモリブデン中毒のことを調べたことがあります。その中で、島根県大原郡大東町(今は雲南市)地域で、黒毛和牛の被毛の白色化、下痢、繁殖障害などの疾病が多発していることを知りました。それがモリブデン鉱山周辺に多いことから、土壌から飼料を経由して牛に摂取された過剰のモリブデンに起因したものとわかりました。

かってモリブデンを産出していた旧大原郡大東鉱山はすでに閉山されていますが、戦時中には金属材料の強化素材として重要な鉱山でした。そのモリブデン産出量は昭和3536年頃が最盛期で、当時の日本の総生産量の66%を供給していた日本最大のモリブデン採掘地だったようです。モリブデンは最近では液晶パネルや太陽電池の部品として、また強度が求められる石油パイプライン、原発の冷却パイプ、そして身近なものでは包丁などに使われているようです。現在残念ながらモリブデンは、生産コストが安い輸入に頼っている状況なのだそうです。

三種の神器のひとつに天叢雲剣(あめのむらくもののつるぎ)があります。これは、神話にでてくる須佐之男命がオロチ退治をしたときに、オロチのお腹からでてきたと言われる鋭く硬い剣に由来します。後世になりますが、斐伊川上流のたたら製鉄から生まれた日本刀がなぜ鋭利でかつ強度を保つのかを研究したあるドイツ人によると、その日本刀の原料のなかにモリブデンが含まれていることがわかったそうです。神話と現代の科学が結びついたという興味深いお話しです。島根県は銀や鉄だけでなくモリブデンという有用なレアメタルの主産地でもあったのです。つづく(O)。

| ガイドつれづれ日誌 | 00:41 | comments(0) | - |
切実な高齢者の社会

 一週間前の当ブログで、五輪オリンピックの年に亡くなると、五輪終(ご臨終)と言われます。(^^)/ 

そんな冗談を載せましたが、今年の東京オリンピックを終えた頃から、日本は急速に高齢化が進むと言われています。

 戦後のベビーブームで生まれた団塊世代が全員75歳以上となり、少子高齢化が進み、国民の3人に1人が65歳以上、6人に1人が75歳以上になると予想されているからです。

 

   銀山から見た白い稲妻(コントレール)

 

 筆者が在籍している自治会では、新年の例会が正月中旬の日曜日に行われています。一同が顔合わせをして新年の挨拶を行います。30年前までは、50〜60世帯の自治会でしたが、現在は31世帯まで減っています。

 今年の新年の例会に集まられたのは15世帯16名でした。 自治会内の小中学生の数は1名だけです。

 通学路で、子どもの安全を守る「子ども見守り隊」を編成していますが、数が少なくなっても見守りは続けていくようです。子どもの元気な声を聞くと元気を貰えると言われます。そして、見守りを行う場所は、高齢者間のコミュニティの場ともなっているのです。

 

 独居高齢者世帯の見守り隊も作ってはどうか? と言う笑い話しのような切実な意見もありました。相互扶助の精神が、根強く残っていて微笑ましいですが、高齢者比率が50%を遥かに超えた自治会では、とても実現は難しいです。

 末端の自治会から捉えても、私たちは長い歴史の中で、極めて特異な超・高齢化社会の時代に生きているようです。

 

   銀山に咲くウィンターホワイト(水仙)

 

 石見銀山ガイドの会も現役を終えた高齢者会員が殆どです。後、数年もすれば石見銀山を伝えるガイドの数の激減が予想されます。当然、ガイドの回数も減り予算的にもガイドの運営は難しくなります。

 ガイドは、毎回数キロを歩いてご案内しているので高齢者でも元気です。銀山ガイドの会に限らず、地域で頑張って、公共的に活動している高齢者団体には、地方自治体は会員数に応じた「高齢者活動手当て」を交付されないかなと思います。          文 責(T)

 

 

 

 

| ガイドつれづれ日誌 | 00:00 | comments(0) | - |
稜介さんへ

稜介さん

11日は、ワンコインガイドで陵介さんに出会えてうれしかったです。

小学3年生と聞いたのですが、いきなり、ここは尼子晴久と関係ありますねと言われてびっくりでした。

武田勝頼、毛利輝元などの戦国大名の名前が次々出てくるのでこれもびっくり。

どうして、そんなに戦国時代のことに興味を持っているんですか?と聞くと、「黒田官兵衛の子孫だから」という答えが返ってきてまたまたびっくりでしたが、納得もしました。

豊栄神社で私が毛利元就の話を始めると、稜介さんは元就が奇襲戦で陶晴賢を破ったことも話してくれましたね。これにもまたまたおおびっくりでした。

それからは、小学3年生ということをあまり考えないで、ほかの大人の人たちと同じように案内しようと思いました。

 

ブログで紹介したいからとお願いして撮ってもらいました

 

町並みも行ってみたいということだったので一緒に行きましたが、間歩コース、町並みコースを約4時間、熱心に見てもらって「絶対また来る」と言ってもらったこともうれしかったです。

ご両親やお友達とまた是非来てください。その日が来ることを楽しみにしています。

今日からまた学校ですね。

インフルエンザも流行っているようです。

くれぐれもお気を付けください。

 

| ガイドつれづれ日誌 | 09:05 | comments(2) | - |
まだまだわからん石見銀山 第2話 佐毘売山神社のこと その一

 

 石見銀山の発見は1527年(大永7年)だったというのが定説です。ここでいう「発見」とは、あの博多の商人神屋寿禎が仁摩の韓島の沖から仙ノ山を見て「御霊光」に気付き、仙ノ山に出向いて銀の鉱床の存在を確信したことを言います。この発見によって、石見銀山で銀の本格的な採掘が開始されたとするのが一般的な認識です。しかし、「発見」とはいいますが、どうもそうではない可能性もあるのではというのが、ここでの問題提起です。

 

 つまり、こうです。石見銀山には初期の採掘中心地の一つであった昆布山谷というところに佐毘売山神社という神社があります。この神社には金山彦命という鉱山神が祀られていて、1434年(永享6年)に旧美濃郡(今の益田市)から分霊されています。上記のように神屋寿禎の「発見」による本格的な採掘の開始は1527年ですので、この神社はその発見よりも約90年も前に銀山に来ています(分霊後最初に鎮座した所は「休谷」という)。これはどういうことなのかということです。1527年が銀山の発見年だとすれば、銀があるのかないのかわかっていない時期に、盛山を祈願するために鉱山の神様を呼んでいるのです。どうもそこには何か事情があったに違いないと思うのです。

 

               佐毘売山神社

 

 実際には、もっと早い時期に銀や銅の鉱床の存在が知られていて何らかの採掘活動があった。そのために鉱山神を呼び寄せたのではないか。それを推測させることがいくつかあります。次話以降にそれを順次紹介します。(Ng

 

 

| ガイドつれづれ日誌 | 01:00 | comments(0) | - |
住民憲章は活きています

 110日久しぶりにガイドに出かけてみました。89日の台風並みの大荒れも去り、雲間から美しい青空の見える昨日とは一転の穏やかな天気でした。高橋家近くの駐輪場には一台の自転車も見えません。

自転車で龍源寺間歩に来られる方のための駐輪場(1月10日午前10時)

 猫の子一匹いないのかと思いきや、猫居ました(笑)、運よく静岡からお見えのお客様と出会い、龍源寺間歩入坑、この日初めての龍源寺間歩入坑のお客様でした。

猫はいました

 帰りの道中、ふと気が付きました。道中道路がきれいです。8日、9日と大風でこの道路落ち葉や小枝がびっしり落ちていたはずなのです。そうです、誰かが掃除をしていたのです。

 近くにいた方に聞くと大森町住民「I」さん がお掃除されていたそうです。「I」さん に限らず石見銀山の住民、半端ないです。そうです今回だけではなく常に石見銀山を愛し目立たないところでさりげなく日々活動されているのです。

きれいに掃除がされている銀山路

 石見銀山・住民憲章、ただの飾りではありません、大森町の住民にしっかり根付いた、活きた住民憲章だと実感しました。

石見銀山 大森町住民憲章

 このまちには暮らしがあります。

 私たちの暮らしがあるからこそ
 世界に誇れる良いまちなのです。

私たちは

 このまちで暮らしながら

 人との絆と石見銀山を未来に引き継ぎます。

未来に向かって私たちは

 一、歴史と遺跡、そして自然を守ります。

 一、安心して暮らせる住みよいまちにします。

 一、おだやかさと賑わいを両立させます。

――――平成十九年八月 制定――――

 午後にはすっかり青空も広がり、お客様の姿もチラホラ見えました。(銀爺)

| ガイドつれづれ日誌 | 00:34 | comments(0) | - |
1月11日

今日は、1月11日。

旧暦1月11日は、江戸時代の石見銀山では、大事な日でした。

銀山は、9日の最終の仕事が終わると坑道入り口を封印し、10日、11日は休みとなります。

10日は、幕府への献上品「無名異」の箱詰め作業が行われ、11日はそれが発送されました。これらの仕事に携わる役人は、麻上下を着用して行いました。

 

 無名異をつくり発送した代官所長屋門

 

「無名異」の発送が終わると、山神社(佐毘売神社)へ参詣します。

山神社は、銀山の守り神ですから、奉行(代官)・役人、山師・坑夫・は、正装して参詣しました。

山神社では、馬路の鞆ヶ浦から塩鯖、塩水、海草(ホンダワラ)を持ち帰り、社殿の扉に海草をかけ、塩水をうって銀山大盛を祈願する「塩かけ神事」が行われました。

当時は、銀鉱石のことを鏈(くさり)と言いましたので、扉にかけた海草がやがて腐る、鏈(くさり)になる、と掛けたのだと言われています。

 

 走るカートの中から写した佐毘売山神社

 

ちなみに、旧暦1月11日は今年でいうと2月4日になります。(A)

| ガイドつれづれ日誌 | 09:37 | comments(0) | - |
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