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北国の山旅から

 私事ですが、先週末4人で、北海道の中央あたりに位置している大雪山系・赤岳(2,078m)に登ってきました。

 登ったルートは、日本で一番早い紅葉を迎える「銀泉台〜赤岳登山コース」で、人気の紅葉スポットになっています。

 

 

 大自然の「赤いじゅうたん」と言われている銀泉台の紅葉は、思わず声が出そうになるくらい圧倒されます。歩いた人だけが味わえる感動的なパノラマが眼下に広がっています。

 竈(かまど)に七回くべても火持ちが良いと言われている「ナナカマド(七竈)」の群落が紅葉したものです。

 

 9月下旬になると、高山植物の「チングルマ(珍車)」の花も終わり、種子が今にも飛んで行きそうでした。

 

 矢印が指しているのは「エゾシマリス」です。冬支度に忙しく歩き回っています。

 

 大雪高原の沼めぐりで出合った「滝見沼」の紅葉です。

 思わず、くぎ付けになりました。

 

 石見銀山の紅葉は、北海道より遅れて、例年だと11月中旬頃から見ごろになります。銀山の紅葉は「コハウチワカエデ」が赤くなったもので、これも見事です。

 少し情報としては早いですが、紅葉の季節に銀山にもお越し頂けると嬉しいです。       文 責(T)

 

 

 

 

| ガイドつれづれ日誌 | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
おもてなし

9月30日(日)

健康ウォーク・鞆ケ浦道コース

ただ今受付中

0854−89−0120

にお電話ください

 

         彼岸花がきれいです

 

先日、夕方豊栄神社にいたときのことです。

龍源寺間歩から帰ってこられたご夫婦の女性が、極楽寺前で座り込まれました。

靴擦れで歩き辛くなられたようでした。

車で迎えに来ますからしばらくここで待っていてくださいと言いました。

その時、地元の方が車で通りかかられて「しんどいの?」と声をかけられました。事情をお話すると「じゃあ、これに乗って」と言われました。

すると、同乗していた若い男性2人が降りて、さあ乗ってくださいとご夫婦に声をかけ、自分たちは歩いて帰られました。

それがとても自然で、さわやかで、これこそおもてなしだと思いました。(A)

| ガイドつれづれ日誌 | 05:52 | comments(0) | trackbacks(0) |
銀の道歩いています

  お彼岸の入りを迎え、地元大田市では恒例の「中日っあん」が23日〜24日迄、大田市駅前の通りが歩行者天国に開放され、天気にも恵まれ賑わっています。

そんな中、筆者、今日は、銀の道、大森から尾道へのルートの島根県美郷町界隈、旧JR三江線沢谷駅から銀を運んだ最初の宿場町「九日市宿」を経由して飯南町赤来道の駅までの約11kmを、スタッフ・参加者20名で歩きます。

お彼岸の定番 おはぎ

彼岸花に魅せられ・・

真っ最中の稲刈りを横目に・・・

酒谷の銀山街道

飯南町下赤名の古民家

 

この道、2015年9月19日から22日のシルバーウイークを利用して、3泊4日で史実に忠実に歩いたコースを、今回は手軽に歩こうと、ヒガンバナの咲くこの時期に選んだのはベストでしたね。再びこの景色を再現し歩く喜びを感じています。特に九日市宿から酒谷番所跡までの道は急坂で、しかも長く、今回の一番の難所となります。

江戸時代、石見銀山で生産された灰吹銀を牛馬300頭、人足400人、厳冬の時期に運んだこの場面を、参加者の皆さんと思いを馳せ歩きます。 主催は、銀の道広域連携実行委員会で、銀の道を歩きたいという方から人気となっています。初めての参加者が多いこともうれしいですね。皆さんを歓迎して楽しく歩きたいです。ガイドの会からは2名の参加です。もっと多くの仲間に参加してほしいです (S)

| ガイドつれづれ日誌 | 03:15 | comments(0) | trackbacks(0) |
代官制度の改革

石見銀山では延宝3年(1675)に奉行支配から代官支配に変わりました。よく産銀量が落ちたのが原因と耳にしますが、実は幕府のシステム変更の過程によるものです。

江戸初期は家康の信任のもと実務を取り仕切り、大きな権限をもち、検地、灌漑、治水、鉱山開発等独自のノウハウを持つ代官頭(大久保長安・彦坂元正・長谷川長綱・伊奈忠治)がいて、さらに在地土豪や豪商等の代官がいました。つまり、初期の代官は土地に根ざし代々家職として継承することが多く、それは個人経営的な年貢請負人的なものが多かったようです。石見銀山では、地役人約百名が「大久保長安」から直接指示を受けたようです。

代官頭・大久保長安

代官頭4名はそれぞれ、江戸を取り巻く形で陣屋(本拠地)を構、大きな力を持ちましたが、二代将軍秀忠の頃には幕府の制度も整備され、死亡や失脚してゆく中「伊奈家」はかろうじて代官として業務を狭めて存続するも江戸後期改易、華々しく活躍した代官頭は無用の長物となったようです。生前「年寄(後の老中各)」に名を連ねた「大久保長安」の一族粛清も一つにはこのような流れが影響したのかもしれませんね。

伊那忠治ゆかりの埼玉県伊奈町

彦坂元正のかるた(神奈川県戸塚)

その後、5代将軍「綱吉」の頃には財政支出も増え財政難が出始め代官の監査が強化され代官の大量処罰がなされましたが、一概に代官の不正というより、システムの欠陥によるものと思います。

悪名高い「犬公方・綱吉」は、どっこい、在地と無関係の者を代官として派遣、人事の流動化をし、代官職を、代々引き継がれる「家職」から単なる「職」として位置づけました。この「天和の治」により代官の意味は大きく変わりました(石見銀山が代官支配になったのはそんな流れの一コマだったようです)。「犬公方・綱吉」ちょっと見直してみませんか?(銀)

5代将軍徳川綱吉

| 銀山 むかし語りいま語り | 00:01 | comments(0) | trackbacks(0) |
リピーター

岐阜県の年配の女性のAさん。

1年半前大久保間歩ツアーに参加しようと来訪したが、腰の骨折の後で、歩く姿から、ツアー参加は無理ではないかと言われて、断念したとのこと。

それで、一人で散策しているうちに蔵之丞坑にたどり着いたが、帰り道が分からなくなって、何とか帰ったのが一生の思い出ですと言っておられました。

どうしても大久保間歩に行きたいと、今回は、娘さんと同行で、手を引いてもらわれながら大久保間歩ツアーを楽しまれました。念願がかなってとても良かったと喜んでおられました。

 

      郵便局前の蕎麦の花

 

別の日の大久保間歩ツアーに参加された香川県のBさんは、20年前子どもの頃家族で来たことがあるとのこと。

その時は、石見銀山資料館に行き町並みを散策したとのこと。

今回は、坑道も見てみたいとご夫婦での来訪。

20年前と比べて、町がきれいな感じがしたとも言っておられました。

 

   坑道内からみた龍源寺間歩の入口

 

大田市のCさんは、沖泊道、鞆ケ浦道は案内してもらって歩いたことがあるが、龍源寺間歩は、案内してもらったことがないので、兵庫県から来た知り合いといっしょに案内してほしいとワンコインガイドを申し込まれました。

こんなにすごいところだとは思わなかった、世界遺産になったわけがよく分かったと言われていました。

 

「リピーターを増やす」ということばをよく耳にしますが、一度行ったところへもう一回行くというのは、なかなか大変なことです。

リピートしてもらえるような努力が必要だと思います。(A)

 

 

 

| ガイドつれづれ日誌 | 06:19 | comments(0) | trackbacks(0) |
健康ウオークの続編

   前回は、五老橋までの様子をお知らせいたしました。

一行は五老橋を過ぎて「銀の道」の看板を左手に下っていきます。地元の方が整備した木橋を渡り、祠を横目に先日草刈りをした道を気持ちよく歩き、西田集落(当時の西田千軒)に入ります。銀山街道で賑わった風情を感じていただきました。集落には有名な瑞泉寺、水上神社、よずくはでなどがあります。きっとガイドさんから説明があったと想像いたします。

五老橋からすぐ、この看板を目印に下り西田の町へ

渡利家の前にて

 よずくの里で一服後、温泉津湊目指して出発です。「よずくはで」は集落の高齢化の影響でしょうか、今年は見ることができず残念でしたとガイドから聞きました。寂しいですね。西田集落を出発した一行は、かっての賑わいと共に栄えた渡利家が姿を見せてくれます。残念ですが数年前の立派な姿は今はありません。そして、一行は左手、銀の道の看板に案内されて街道に導かれます。気持ちよく歩くことができましたか。

中村の題目塔

銀山街道入り口

将棋岩

 

 そして中村の題目塔を過ぎ、再び銀山街道に入ります。しばらく銀山街道に酔いしれ温泉津を目指します。旅人が疲れを癒すため一時の休憩で岩を将棋盤に見立てた「将棋岩」が出迎えます。そして景観の素晴らしい清水集落に着きます。ここで一服。遠景に大持山、前矢滝、矢筈などの連山をみることができます。

そして清水の金柄杓。一行の皆さん、金の柄杓で水を飲まれたでしょうか? (笑)  いよいよ温泉津もすぐそこですよ。山陰道の上を歩き、車の通過音を聞きながら清水の石段畳の道の美しさに感動、まさに歴史を感じた場面でしょう。一行の皆さんいかがでしたか。ここで菅傘でもかぶって歩けば当時の雰囲気を味わうことができたでしょう。土橋を歩き松山の道標に到着です。今回は時間の都合で、車での移動となり、沖泊港で当時をしのび、鼻ぐり岩見学し、最終目的地「ゆうゆう館」到着です。ここで旅は終了です。お疲れさまでした。

清水集落からの連山の写真

名水 金柄杓

ストレッチの様子

温泉津街道の名所のひとつ 石畳みの階段

松山の道標「右 銀山大森・いずも大社」 

沖泊港 鼻ぐり岩の説明中

 

 石見銀山から約14km、毛利元就の直轄地、温泉津温泉の町並み、皆さんにはどのように映ったのでしょうか。

雨の石見銀山、そして厳しかった降路坂、西田集落名物の「よずくはで」には出会えなかったものの、銀山街道に酔いしれ、金柄杓の名水でのどを潤い、石畳みの階段で歴史を感じる感動を貰いましたね。 きったとみなさんは再び歩いてみようと思います。ご苦労様でした。ガイドさん、スタッフの皆さん、有難う!   完   

この旅の編集 (S) でした。

| ガイドつれづれ日誌 | 03:16 | comments(0) | trackbacks(0) |
秋の七草が五草、四草に

  ようやく秋らしくなり、三瓶周辺の草原には秋の草花が咲き乱れる季節になりました。花野といえば、カラフルな春のイメージを抱かれるかもしれませんが、俳句の世界では花野は秋の季語です。

秋の七草に代表される草原性草花は、わが国では万葉の時代から人々に愛でられ、また源氏物語にも沢山でてきます。

秋の野に咲きたる花を指(および)折りかき数ふれば七種(ななくさ)の花 (山上憶良 万葉集 巻八)  

萩の花尾花葛花なでしこが花おみなへしまた藤袴朝顔が花

(山上憶良 万葉集 巻八)

今、これら秋の七草のうち環境省の準絶滅危惧種にフジバカマが、絶滅危惧脅錣縫キョウが指定されています。昨日のブログに山野草を活けた写真の中にオミナエシがでていましたが、実はオミナエシも県によっては準絶滅危惧種に指定されています。三瓶山でもオミナエシが減少しており、オミナエシを食草し、絶滅危惧種に指定されているウスイロヒョウモンモドキという貴重な蝶も危機的状況にあります。

古代から親しまれてきた秋の七草は今、秋の五草、秋の四草になろうとしています。日本の草原は半自然草原と呼ばれ、人間の手が加わって維持されてきました。降水量が多く、気温が高いこの地方では、放置すれば、シイやカシなどうっそうとした常緑広葉樹林になってしまいます。草原は、今までは刈り取り、火入れ、放牧など緑肥利用や畜産利用で辛うじて草原が維持されてきました。これが、高度経済成長期を迎え、化学肥料や石油エネルギー、輸入穀物飼料に代表されるいわゆる農業の近代化により、日本の草原は消滅しつつあるというわけです。ちなみに明治、大正時代に日本の草原は国土の11%を占め、水田の面積に匹敵していたそうですが、現在はわずか1〜2%とか。

花野という季語も今のうちに使っておかないと、死語になってしまいそうです(O)。

旅いつも雲にぬかれて大花野 開成高校 岩田

から駕籠の近道戻る花野かな 正岡子規

たそがるる花野に月と星二つ 原石鼎

| ガイドつれづれ日誌 | 02:17 | comments(0) | trackbacks(0) |
エバーグリーン

 よく使われることばに、エバーグリーンというのがあります。一般的には常緑を意味していますが、植生豊かな日本ならではのことばでもあります。石見銀山の山ルートはエバーグリーン・ウォーキングミュージアムです。

 

       エバーグリーンMt. 

 見えているのは銀山(仙ノ山537m)です。

 

 山ルートのひとつ、本谷コースをご案内する大久保間歩ツァーがあります。先頭を歩いているのは石見銀山ガイドです。

 

          (この画像は、大田市教育委員会から提供を受けています。)

 ツァーでは、銀を採掘した跡が見れる最大級の坑道

(間歩)に入坑します。

 

 ツァーの終点の岩盤遺構です。この遺構は外から見てご案内しています。

 

        (当ブログへの転写は皆さまのご承認を頂いています。)

 先週末、お越し頂いた県内(団体)の方々です。ほんとうに気さくで明るい皆さまでした。楽しく嬉しいガイドができました。

 私の町では芋窯のことを「間歩(まぶ)」と言っていますと、お客さまがおっしゃっていました。間歩は坑道の特有な表現だと思っていましたが、こうしてお客さまから教えて頂くこともあります。

 

 石見銀山の間歩の名の由来は、江戸時代の古文書や文献「銀山社会の解明」によると、間歩口から13間(約23.6m)の鉱区(権利設定区間)のことを言ったと記されています。その鉱区(権利設定区間)は、自由に間を歩き採掘ができたことを意味します。そして、その区間(13間)に存在する穴のことも含めて間歩と言ったようです。

 

 ツアーの申し込みは大田市世界遺産センターですが、その受付け近くに活けてあった山野草の花々です。

 

 ニラの花、オミナエシ、ヨウシュヤマゴボウ等の草花がお客さまを持て成しています。山野草(自然種)は、山の緑に溶け込んで爽やかに咲いています。

 山野草の活け花は、見ているだけで風の音とエバーグリーンの山野を感じます。どなたが活けられたのか、園芸用の活け花より素敵なものです。     文 責(T)

 

 

(追記)

 白い花を咲かせるニラ(韮)は、食用にも使われるネギ科の植物、黄色いオミナエシ(女郎花)は、秋の七草のひとつ、粒状のヨウシュヤマゴボウ(洋種山午房)は、アメリカ原産の帰化植物でアメリカではインクベリー(インクの意)と呼ばれていますが、果実を潰すと出る液は有毒です。

 

 

 

| ガイドつれづれ日誌 | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
大田市への要望書

先日の大雨による落石です。(福神山間歩付近)

防護ネットのおかげで事故を免れています。

毎日お客様をご案内していると、いろんなことに遭遇しますが、危険と隣り合わせだと思うことも少なくありません。

土曜日、大久保間歩ツアーのガイドの時も、けがをされないように何度も注意を呼び掛けると、あるお客様に「危険なとこばっかりやな」と言われてしまいました。

 

石見銀山ガイドの会は、9月11日、楫野弘和大田市長に対して「世界遺産の意義と価値を伝えていくことに関する要望書」を提出しました。

世界遺産に登録されると、その意義や価値を伝えていくという責務が生じます。

「石見銀山遺跡とその文化的景観」は来訪者に「行って良かったと思う」人の少ない世界遺産というデータも発表されています。

これは、世界遺産の価値と意義が十分伝わっていないということであり、重く受け止めるべきだと思います。

毎日お客様に、世界遺産の意義と価値についてお伝えしている立場から、大田市として、世界遺産の意義と価値を伝えていくことに取り組んでほしいと思うことを要望書として提出しました。

要望書は楫野市長に直接提出し、懇談もさせていただきました。(A)

| ガイドつれづれ日誌 | 05:17 | comments(0) | trackbacks(0) |
健康ウオーク「温泉津・沖泊道」実施される。 第一回

   16日、石見銀山健康ウオークに山口県及び松江市、飯南町、浜田市、出雲市及び地元大田市から総勢12名の参加がありました。

まず受付、健康チェックがおこなわれ、主催者挨拶後出発となりました。出発時はあいにくの雨模様。銀山公園を午前9時15分の出発時は大雨でしたが、蔵泉寺番所に着いた頃は天に主催者の願いが届き小雨となりました。坂根口番所までのポイントでガイドが案内。

いよいよ、最初の最大の難所、降路坂を目指します。急な坂がつづきますので負担のかからないゆっくりと歩き、秘策を持ち出します。40秒ルールたる秘策。斜面を一気に上り詰めることはだれもできないことです。途中必ず休憩わ組み込みますよね。健康ウオークの研修で40秒ルールを習い実践し効果を確認したことで、このような街道を歩く際必ず使う手法です。つまり40秒歩きます。そして約30秒程度休み体力の回復を待ちます。この手法を使いながら斜面を時間かけて登っていきます。

参加者の一行は、元気に難所、降路坂茶店跡(峠)に到着、しばしの休憩。途中、街道からの美しい遠景に見とれる各参加者、つらいけども、満足感がみえました。

さて、天気も回復し、いよいよ五老橋(降路坂を下りきった場所)を目指します。急な坂と木橋が続きます。この区間は大田市銀山課によってよく整備されていますが、今年は大雨により丁度街道は降った雨が川となり沢山の枯れ木など流し足元の悪さが目立ちました。ガイドの安全・安心の手ほどきで皆、安全に街道を下り、降路坂の題目塔に到着。あとわずかな距離です。

増水した川を渡河し五老橋に全員が到着したのは昼過ぎ、西田千軒で賑わった町はすぐそこです。次回をお楽しみに。参加者の様子は、さすがに降路坂は厳しかったようです。当時この街道を使って難儀しながら銀を運んだ人のつらさを体験できた参加者、ここでたじろいではいけませんよ。楽しいことも待っていますから・・・・

受付・健康チェック後、気勢を上げてスタート

「山が光ったとされる仙ノ山」の紹介中のガイド

坂根口番所の紹介

街道最初の橋でポーズ

降路坂への渡河

クナイプ療法体験、皮膚温度も計測

40秒ルール適用し登板中

降路坂を下っています。足元に注意しなが下りました。

「大変疲れた」とおっしゃっていました。

渡河の様子。もうすぐ五老橋・・・・

お昼頃、無事到着、参加者のみなさんご苦労様でした。

 

今日のレポートは、ガイドから報告をうけ、実際の様子を参加者からお聞きして編集いたしました。(S)

| ガイドつれづれ日誌 | 03:25 | comments(0) | trackbacks(0) |
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